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ホテルの宿泊料金比較サイト「トリバゴ」のCMに出演し、流暢(りゅうちょう)な日本語と美貌で注目を集めたナタリー・エモンズさん。

アメリカではシンガーソングライターとして活動し、“世界一日本の歌がうまい外国人”を選ぶ『のどじまんTHEワールド!』(日本テレビ系)などでパワフルな歌声を披露。さらにMVやバラエティー番組ではキレキレのダンスも披露して話題のナタリー・エモンズさんにインタビュー。

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◆映画『千と千尋の神隠し』で“不思議の国”日本に憧れ、USJのオーディション合格で大阪へ

アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴで生まれ育ち、幼い頃から歌うこととダンスが大好きだったと話すナタリーさん。学生時代に日本人留学生の友だちができたことがきっかけで、日本に興味を持ち、いつか観光ではなく、日本で暮らしたいと思うようになったという。

「『千と千尋の神隠し』とか『おもひでぽろぽろ』などジブリの映画や日本のドラマもたくさん見て日本に憧れるようになりました。

そのときはまだ日本語が全然わからなくて、全部字幕で見たんですけど、やっぱりジブリの映画はすごく絵も音楽もきれいで、それまで見たことのない映像だとか物語だったから、『日本って不思議な国。夢のような世界だな。日本に行きたいな』って思うようになりました」

2010年、ナタリーさんに日本へ行くチャンスが訪れる。大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で行われるショーのオーディションを受けて合格。3年間大阪で暮らすことに」

−大阪のUSJのオーディションを受けて日本に来たのが初めてですか?−

「そうです。実はそれが私の人生初オーディションだったんですけど、そのときはダンサーがメインで決まって、1年間日本に住むことができるからすごくうれしかったです。

私にとって初めての仕事みたいなものだったから、私の両親はちょっと心配しましたけど、日本人のおもてなしの心だとか、心が温かい人たちがいっぱいいたので、日本で良かったなと思っています」

−大阪のUSJのオーディションもアメリカで行われたのですね−

「そうです。ロサンゼルスでやりました。ロサンゼルス、ニューヨーク、イギリス、オーストラリアとか、いろんな国でやっているんですけど」

−オーディションはどんな感じでした?−

「結構長かったですね。契約が1年間ぐらいで外国に住むことになるから、多分慎重に選んでいたんだと思います。

ダンスオーディションに歌もあったし、面接もあって、最後まで残ったら8時間ぐらいかかっていました。

それで決まってからは、ビザを取って3カ月後にはもう日本に引っ越していたので、結構早かったですね」

−その時点では、日本語はどのぐらい話せたのですか?−

「ほとんどしゃべれませんでした。日本語の勉強はUSJの仕事で大阪に引っ越してから始めたので、日本に来たときには『可愛い』とか『こんにちは』、『私の名前はナタリーです』ぐらいしかわからなかったです。

USJだと周りに英語を話す人たちがいっぱいいるし、スタッフさんも外国人に慣れているから英語がわかるし、日本人のダンサーたちも英語を頑張りたいから、ほとんどみんな英語で会話をしていたんです。

だから、なかなか日本語を使う機会がなかったので、いつ日本語がしゃべれるのかわからなかったけど、どんどん自分でテレビを見たり、会話を頑張ったりして、ちょっとずつ成長できたっていう感じかな」

−大阪弁と標準語ではだいぶ違いますが、戸惑いませんでした?−

「そうですね。何が大阪弁で何が標準語なのか、たまにわからなくなるときもあるんですけれども、最初来たときが大阪だったので、たまに使っちゃって自分でビックリすることがあります(笑)。『ほんまやなぁ』とか『わからへんなあ』って(笑)」

−ナタリーさんのルックスで大阪弁というのも可愛いですね−

「ちょっとギャップがありますよね(笑)」

−USJでは3年間、多くの賞を受賞されたショーに出演されたそうですね−

「はい。最初のショーはダンスがメインで、次は歌手、最後はMCのショーに出られて、それで日本語のレベルも上がって自信もついて成長できたと思うので、すごい感謝しています」

※ナタリー・エモンズ プロフィル
2月24日生まれ。アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。2010年から3年間、大阪USJのショーに出演するために大阪で生活。2013年に帰国。2014年、『トリバゴ』のCMに出演で話題に。『のどじまんTHEワールド!』(日本テレビ系)、『痛快TVスカッとジャパン』(フジテレビ系)、『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系)など、ドラマ、バラエティー番組や「手ピカジェルプラス」のCMに出演。『じょんのび日本遺産』(TBS系)ではメイントラベラーとして出演している。

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◆「トリバゴ」のCMオーディションで人生激変

2013年、3年間のUSJの仕事を終えてアメリカに帰国したナタリーさん。その頃から曲作りを始めるようになったという。そして2014年、「トリバゴ」のオーディションの話が…。

「USJの仕事が終わったとき、本当に日本に住みたいと思って、タレントとか女優として仕事がしたかったんですけど、どうやって日本の芸能界に入るのかわかりませんでした。

私は全然有名ではなかったし、ビザを取るのも大変だったので、一回アメリカに帰ったんです。

それで、『トリバゴ』のCMのオーディションの話があって決まって、そのおかげで他のいろんな仕事が来るようになったので、すごい感謝しています」

−「トリバゴ」のコマーシャルは話題になって、一躍ナタリーさんのお顔が知られることになりました−

「そうですね。決まったときは、私より日本語がすごく上手な外国人、知り合いがたくさんいるので、『本当に私でいいの?』って思いました。

でも、私が選ばれたからほんとに光栄ですし、一生懸命頑張ってみたいと思いました。

それで『トリバゴ』のCMがあったから、いろいろなすてきな経験もできましたし、仕事もいただくようになって。本当にあのCMがなかったら、今の日本での仕事はなかったと思います」

−オーディションを受けたときは自信ありました?−

「ダンスは自信があったんですけど、ほかはちょっと足りないかなと思って。

だからどんどん成長できて日本人の友だちでも助けてくれた人がいっぱいますし、サポートしてくれた人もいっぱいいたから、それでどんどん自信がついたかなっていう感じです。まだ緊張するときはいっぱいあるんですけど(笑)」

−「トリバゴ」のCM撮影はいかがでした?−

「『トリバゴ』の本社はドイツなので、監督をはじめ、スタッフにもドイツ人が多かったんです。

だから、欧米の感覚で、『自信満々でセクシーに演じてください』って言われたんですけど、『そのイメージは日本人には向かない』って言って説明して変更になったところもありました」

−あのCMでバラエティー番組などのオファーが来たり、周囲の状況もガラッと変わったと思いますが−

「そうですね。町で声をかけられるようになりましたけど、みんな優しかったです。

道を歩いていて声をかけられると、『ありがとうございます』という感じでうれしいです。でも、外国人なので、よく間違えられて、『マッサンの人だ』とか、『ナタリー・シモンズだ』とか(笑)。

『えっ?ナタリー・シモンズって誰?』って思いましたけど、『ナタリーが合っているから、まあいいか』って(笑)。半分合っていますからね。

あと、『トリバゴだ』ってよく言われますね(笑)。最近は『じょんのびの人だ』とか『ナタリー・エモンズだ』って正しい名前を言ってくれる人もいるのですごいうれしいです」

−バラエティー番組に出た感じはどうでした?−

「初めて出たときはすごく緊張しました。『何をしゃべったらいいの?』って。

大体は打ち合わせで何をしゃべるかわかりますけど、たまに全然わからないまま始まる番組もあるので、『間違ったらどうしよう』みたいな感じでドキドキしますよね。

だから、ちょっとストレスだったんですけど、やってみたらすごいみんな笑ってくれたし、すごくいい雰囲気だったので、楽しかった。終わったときに『またやりたい』って思いました」

2018年にはドラマ『家政夫のミタゾノ』の第7話に、アメリカから日本の老舗高級旅館に“おかみ”としてやってくるメアリー・アニンストン役で出演。美しい和服姿も話題を集めた。

「旅館のおかみさんがやれて楽しかったです。あのときはまだ漢字の勉強をしていなかったので、セリフはローマ字で書いて覚えていました」

−和服姿もすてきでした−

「ありがとうございます。着物は大好きです。着物を着ると背筋がピンとなった気がします。急にお姫様になった気分になるし、あと、生地がすごくきれいで、着ると本当に気持ちが良いなぁと思って(笑)」

素顔はとても気さくでキュートな笑顔がチャーミング。日本に対する愛が伝わってくる。文化庁選任の「日本遺産大使」にも決まり、今後の活動にも期待が高まる。次回後編では、初めてのソロコンサート、メイントラベラーをつとめる旅番組の撮影エピソード、ストレス解消法などについて紹介。(津島令子)