ソリが合わなかったとされるファン・ニステルローイ(左)とC・ロナウド(右)。R・マドリーでも共にプレーした。(C) Getty Images

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 かつてマンチェスター・ユナイテッドで活躍した元オランダ代表のルート・ファン・ニステルローイは、当時のサー・アレックス・ファーガソン監督と関係を悪化させた末にレアル・マドリーへ移籍した。

 ユナイテッド時代の晩年にファン・ニステルローイが問題児だったとのエピソードがあるが、カップ戦の決勝で代わりに出場したルイ・サハは、同僚との関係が良かったと話している。

 英『FourFourTwo』のインタビューで、サハは「彼はいつもナイスだったよ。監督の選択に関しては問題があったのかもしれないけど、自分とはなかった」と述べた。

「彼はゴールにこだわっており、自分はそれをリスペクトしていたんだ。優れた選手だったし、監督と問題があっただけ。自分としては、彼と一緒にプレーすることもできた」
 
 だが、ファン・ニステルローイは当時はまだ若手だったクリスチアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーに不満を抱いていたと言われる。C・ロナウドとは練習中に衝突したこともあった。

 元フランス代表FWは、「ルートにはエゴがあり、すべてのパスを望んでいた。クリスチアーノやルーニーを成長させるのに、監督にとっては難しい時もあったんだ」と振り返っている。

「ルートがクリスチアーノを泣かせた? イエスだ。そんな話もあった。ケンカになったことがあったと思う。クリスチアーノのお父さんが亡くなった時のことだった。だから、タイミングが正しくなかったんだ。強いスピリットを持つ選手同士ならあり得ることだけど、ルートは自分の言葉のいくつかを後悔しているはずだよ」

 一方で、サハは「クリスチアーノはアニマルだった。人間と言えるか分からないくらいだったよ! 18、19歳でも普通の若者じゃないと分かった」と、若かりし頃からC・ロナウドが特別だったと称賛した。

「こういう能力を持った選手たちは、才能だけではなく、だれよりもハードワークするのが大切だと分かっている。テニスのトップシードの選手は、技術やボールを打つのが上手いののではなく、だれよりもハードワークをするんだ。そして、クリスチアーノもそれをしてきた」

 そして、C・ロナウドはファン・ニステルローイをも上回るだけの得点を記録してきた。当時、彼が通算700ゴール以上を決めるほどの存在になると考えた人は多くないだろう。ただ、サハはファン・ニステルローイと良好な関係を保つ一方で、C・ロナウドの天賦の才を認めていたようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部