交渉や商談の際、あいさつもそこそこに本題に入ろうとする人がいる。ミュンヘン・ビジネススクールのジャック・ナシャー教授は「単刀直入に話を始める人は交渉で失敗しやすい。感じのいい雑談をするだけで、相手が譲歩してくれる可能性は高くなる」と指摘する――。

※本稿は、ジャック・ナシャー『望み通りの返事を引き出すドイツ式交渉術』(早川書房)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Bobby Coutu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bobby Coutu

■映画に出てくる交渉マンなら「嫌味で冷酷」だが……

自分の要求を容赦なく相手に突きつけ、そして狙いどおりのものを手に入れるピンストライプのスーツを着た嫌味な人物。こうした交渉担当の冷酷なビジネスマンのイメージを私たちに植えつけたのはハリウッド映画だ。

だがそういう映画のストーリーを書く脚本家の収入は、映画業界のなかではお世辞にも多いほうとはいえない。映画にかかわるクリエイティブな仕事をしている人々のなかで、もっとも労働契約条件が悪いのは脚本家だ。つまり、脚本家は交渉が不得手なのである。皮肉なものだ。

交渉相手とはよい関係を築いたほうが、交渉の成果は上がりやすい。その理由を知りたければ、自分自身にこう問いかけてみるといい。交渉においてあなたが寛大になれるのは、好感のもてる相手に対してだろうか? それともあまり好感のもてない相手に対してだろうか?

関係性のよさが重要な理由はしごく単純だ。私たちは、なんの関係もない相手に対しては、よい関係を築けている相手に対してよりもずっと攻撃的になるからだ。

■脅す、侮辱する、さえぎる交渉はいつも成果が出ない

スチュアート・ダイアモンドの交渉術コースでは、学生をいくつかのチームに分けて交渉のシミュレーションを行わせ、どのチームが高い成果を上げたかを学生自身に評価させている。

その結果は、ほぼ毎回同じだという。交渉時の態度が悪いチームは(相手を脅す、侮辱する、相手の話をさえぎる、相手にあてこすりを言うなど)、交渉の成果も上がらない。交渉時の関係がよいチームほど、交渉の成果は高くなる。交渉相手に敬意をもって接すれば、相手に好意をもってもらえるだけでなく、相手の理解も得やすくなるからだ。好感のもてない相手の言い分に耳を傾けようとする人はいない。交渉相手に好かれるかどうかで、交渉の成果は大きく変わる。

あなたが相手に共感できなくても、どんな極端な状況にあっても、相手との関係性が重要であることに変わりはない。人質事件が起きたときは、人質が生きている時間が一分でも長いほうが解放されるチャンスは大きくなることがわかっている。犯人と人質とのあいだに結びつきが生まれ、犯人が人質を殺すのに躊躇(ちゅうちょ)するようになるからだ。

■“単刀直入”がまったくよくないワケ

交渉をはじめる際には、席につくなり「それでは本題に入りましょう」と言うのでなく、最初は相手の精神状態を読みとることからはじめよう。交渉相手はストレスを感じて、いらだって攻撃的になっているだろうか、それとも、上機嫌で愛想がよく、開放的な気分でいるだろうか? よく知っている相手でも、日によってまったく別人のような印象を受けることもある。

ただし、強硬に自分の要求を押し通そうとするタイプの相手との交渉にのぞむ場合でも、あなたは友好的に、オープンな態度で相手に接したほうがいい。そうすれば、相手も強硬姿勢を強めるかわりに、あなたに対して寛容な態度を示してくれるようになる。人間はえてして、周りから求められているとおりのふるまいをしようとするものだからだ。

友人たちが会話しているときの様子や、気の合う者同士が話しているときの様子を観察すると、彼らのふるまいがよく似ているのに気づくはずだ。ボディランゲージ、体の動きや話すときの速さ、それどころかくだけた話し方をしたり堅苦しい話し方をしたりといった話し方のスタイルまで似通っている。

■友人のように、相手のふるまいを合わせればいい

人間は、自分と同じような気分でいる人間にもっとも感化される。腹をたてている人は同じように腹をたてている人に感化されやすく、悲しげな気分でいる人はやはり悲しげな気分でいる人に感化されやすい。そして双方が相互に感化しあうと、ふるまいは自然に似通ってくる。気の合う友人同士の話し方やしぐさが似ているのはそのためだ。

つまり、あなたが相手と良好な関係を築くために、互いに打ち解けあっている状態を意識的につくり出すには、あなたのふるまいを相手に合わせればいいということになる。あなたの話し方やしぐさは、わざとらしくならない程度に相手に合わせるようにしよう。

この二者間の相互の信頼関係はラポールと呼ばれている。ラポールは、精神科医のジークムント・フロイトが患者と良好な関係を築く際にも、重要な役割を果たしていた。

では、交渉時に相手とのあいだに良好な関係やラポールを形成するには、具体的にどうすればいいのだろう?

たとえばあなたが車の販売員なら、「車の予算はどのくらいをお考えですか?」ではなく、「以前はどんな車に乗っていらしたんですか?」という会話から話をはじめるといい。どんな人に対しても使うことができ、誰も嫌な気持ちにさせない話題から会話をはじめるのだ。天気、映画、旅行、食の好みやスポーツなど、分野はどんなものでもかまわない。

■雑談とは「双方が興味をもてる話題を見つける」こと

壁に掛かっている絵について話しているうちに交渉相手に元医学生の芸術家の娘がいることがわかり、交渉相手は本当は娘に医学部を卒業してほしいと思っていたなど、話の糸口にすぎなかった話題が興味深い会話に発展することもある。相手の関心事やこれまでの人生についてなど、話をする前に相手に関する情報を仕入れておくのも、もちろん大いに役に立つ。

私はときどき、私の家族やお気に入りの旅行先など、ごく個人的なことについても訊かれることがあるが、彼らがその問いに対する私の答えにたいして興味がないのは容易に見てとれる。単にトレーニングで学んだ交渉の手順をなぞっているだけなのだ。

しかし世間話の意義は、よくある礼儀正しいやり取りを通して双方が本当に興味をもてる話題を効率よく見つけることにある。そして互いに興味のある話題が見つかれば、煩わしいお決まりの儀式もその場にいる全員にとって楽しめるものになるばかりか、交渉におけるあなたの態度にもプラスに作用する。不機嫌な状態で交渉をすると、相手に対してひどく批判的になりがちだからだ。

■「うん」「そうだね」と肯定の返事を引き出す

交渉相手に友好的な態度をとっても、目標の追求に支障が出るわけではない。交渉相手が、交渉役としてのあなたと1人の人間としてのあなたは別人だという事実に気づき、心理学でいうところの「認知的不協和(人が矛盾するふたつの事実を自分のなかに抱えたときに感じる不快感)」を感じているときこそ、交渉を大きく前進させる絶好のチャンスだ。相手は自分のなかにある不快な感情を解消しようと、問題解決に協力的な態度を示して調和を取り戻そうとするからだ。

交渉相手との会話を、常に差し障りのない話題からはじめたほうがいいのはそのためだ。会話のなかで相手があなたに同意を示す回数が多ければ多いほど、交渉の重要な点においても同意する可能性は高くなる。そしてその場にポジティブな雰囲気を生じさせれば、最初から相手とのあいだにラポールを形成し、交渉が成立しやすい下地をつくり上げることもできる。

物件を案内中、家の立地のよさやベランダの眺めのよさなどについて相手からの賛同を得ている不動産業者は、その時点ですでに売買が成立する可能性を確実に高めているのだ。

あなたが恋人と喧嘩(けんか)をして、部屋に重い空気がたち込めているときにも、この方法は有効だ。「もう20時じゃないか。何か食べようか?」といったなんでもない質問を相手に繰り返すのだ。相手から何度も肯定の返事を引き出しているうちに、空気はやわらぎ、行き詰まった状況は解消されるはずである。

■新車が欲しいときは車種よりディーラーを先に選べ

交渉が難航した項目は書きとめておき、時間を置いてからまたその項目に取り組むようにしよう。はじめから、15分以上話しても進展の見られない項目は後回しにするなど、一定の時間制限を決めておくといい。そうすれば、5つ目の項目で行き詰まったまま深夜をむかえるような事態は避けられる。

良好な関係を築くための一番の近道は、第三者を介することだ。友人との食事の席で知り合った人とは、親しくなるのにさほど時間はかからない。あなたの同僚や知り合いのなかに、あなたの交渉相手と親しい人がいたときは、交渉の場に来てもらうか、少なくとも交渉相手にあなたを紹介してもらえるよう頼んでおくといい。紹介してもらう場合は、直接会って個人的に引き合わせてもらえれば理想的だ。

あなたが逆の立場でも同じことが当てはまる。交渉相手を、友人や知り合いを通して見つけるのだ。新しい車を買いたいときには、あなたが知っている誰かにおすすめのディーラーを教えてもらうといい。そうすればディーラーは、あなたの友人ネットワークと長期にわたってビジネスができると考えるため、取引を一回限りのものと見なす場合よりも、ずっと友好的に接してくれる。車を買うときには、車よりも先にディーラーを選ぶようにしよう。

■プライベートを共有することも大切

ジャック・ナシャー『望み通りの返事を引き出すドイツ式交渉術』(早川書房)

相手とラポールを形成し、良好な関係を築くのは、実はとても簡単なことなのだ。相手の気分を把握して、感じのいい会話をかわすだけでいい。そうすれば、相手が譲歩してくれる可能性は高くなる。感じのいい会話をすれば友好的な下地ができ、交渉時にも、無関係の人間と交渉する場合よりも友好的な判断をしてもらえるようになるからだ。

交渉相手とは、私的な場でできるだけ多くの時間を過ごすようにしよう。相手と食事に行ったり飲みに行ったりする時間がないときは、せめて交渉がはじまる前に私的な時間がもてるよう、交渉の場に早めに入ることを心がけたほうがいい。

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ジャック・ナシャーミュンヘン・ビジネススクール教授
1979年生まれ。ミュンヘン・ビジネススクール教授(リーダーシップ・組織論)、ナシャー・ネゴシエーション・インスティチュート創業者。フランクフルト・ロースクールを首席で修了。オックスフォード大学サイード・ビジネススクールMBA修了。ウィーン大学Ph.D.修了。欧州議会、欧州司法裁判所、国連ニューヨーク本部などに勤務した。ドイツ語圏における交渉のトップエキスパートであり、世界各国の企業にアドバイスし、コミュニケーションと交渉術に関する講演やセミナー活動も行っている。
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(ミュンヘン・ビジネススクール教授 ジャック・ナシャー)