「まあ……ちょっと……すごく難しいですが……」

 つぶやくようにそう言ったきり、長い沈黙が流れた。

 この1年半ほどは、どのような状態だったのか――?

 その問いに、彼は視線を泳がせて小さくうなると、「そうですね……。いや、ほんと大変でしたね」と、ようやく言葉を絞り出した。少ない言葉と沈黙の時間が、苦しい日々を逆説的に雄弁に物語る。


ストックホルム・オープンでは準決勝まで駒を進めた杉田祐一

 今年7月のウインブルドンで予選を突破し、本戦出場の切符を掴み取った時のこと。それは、当時ランキングを258位まで落としていた杉田祐一が、3大会ぶりに戻ってきたグランドスラムの舞台だった。

 2年前のこの時期、彼は間違いなく、日本テニス界のフロントランナーだった。

 2017年6月にアンタルヤ・オープンでATPツアータイトルを獲得した彼は、同年10月に世界ランキング36位に到達する。これは錦織圭に次ぐ、日本人歴代2位の記録。さらに当時は、錦織が手首のケガで戦線離脱していたこともあり、杉田は国別対抗戦等でエースの大役を担った。

 翌2018年1月の全豪オープンでも、杉田は初戦で当時世界8位のジャック・ソック(アメリカ)を破る。

「今まで経験できなかった緊張感を感じられるのが、本当にうれしい。もっともっと、こういう試合をできる場所に行きたい」

 28歳にしてブレイクスルーの時を迎えた彼は、これから目にするだろう未知なる景色への期待に顔を輝かせていた。

 そのわずか数カ月後――。

 長く暗いトンネルの始まりは、果たしてどこだったろうか?

 年間70〜80試合を戦うテニス選手にとって、敗戦は言わば日常の一部だ。ましてや当時の杉田がいたのは、世界最高峰のツアー大会。トップ選手相手に惜敗がひとつ、またひとつと続いたとしても、それはむしろ彼がこの舞台を主戦場とする証だと思われた。

 だが、勝利のない春が過ぎ、初夏を迎えても勝ち星に見放された頃、彼のなかで何かが崩れ始めていた。

「自分のテニスがわからない。どうやってポイントを取り、どう勝負を仕掛けていたのか、思い出せない……」

 好調時には意識せずともできていた身体の記憶が薄れていく。あの頃の自分はどうプレーしていたのかと考えれば考えるほど、思考の泥沼に足を取られた。

「ツアーで上位選手に1回戦から当たるなかでは、自分の展開になかなか持っていくことができない。その状況下で連敗が続くと、自分のテニスがどのようなものか思い出すことも難しかった」

 気がつけば、2月から5月にかけての戦績は、10連敗を含む2勝12敗にまで落ち込んでいた。

 だが真の苦しみは、このあとに訪れる。

 身体の内から湧き上がる闘志や活力を、どうやっても感じられない試合が続いた。頭では必死に身体を奮い立たせようとするも、「がんばりたいのに、がんばれない」自分がいる。

「自分を認めてあげられないのが、一番苦しかった……」

 それが、彼が陥っていた精神の陥穽(かんせい)だ。

 それでも当時の杉田には、その場から逃げるという選択肢は、まったく頭になかったという。

「今の僕には、テニスのプロの道というレールしかないと思っている。そこから外れることはできないという思いがあります」

 かつて錦織が、「修行に向かう仙人のよう」と形容したほどにストイックな男が、眼光鋭く断言した。苦しむ自分から目を逸らさず、この頃の彼は周囲の声に耳を傾け、時には母校へと足を運び、恩師に助言を求めたという。

 一方で、長く杉田に帯同するトレーナーの大瀧レオ祐市の目に見えていたのは、杉田の身体の使い方の、好調時との微妙な差異だ。

 とくに使えていないと映ったのが、内転筋(内太もも)。それは、低い姿勢で左右に鋭く切り返しカウンターを放つ杉田の、生命線とも言える部位である。そこで大瀧は、内転筋を自然と使えるようなトレーニングを多く取り入れたと言った。

 それら、個々に磨きをかけたピースが噛み合う音を聞いた試合を、杉田ははっきり覚えている。

 今年6月、ノッティンガムで行なわれたATPチャレンジャー(ツアー下部大会)の2回戦。

 スコアだけを見れば、1−6、3−6で敗れた、ありふれた敗戦だ。だが、戦う当人には、繊細ながら強固で懐かしい感覚が、確かにそこにはあったという。

「あ、これだって。負けたんですよ。あっさり負けたんですけれど、そこで、『あ、もしかしたら戻れるかな』と思いました。そこまで練習で自分を追い込んできたから、パッとできたのかも。いろんな方のサポートがあるなかで、ピースがカチカチッとハマっていった感じです」

 自身のなかに見出したその感覚を、彼は勝利という可視的な結果へと昇華する。7月から8月にかけて、ATPチャレンジャー優勝2回、準優勝1回という戦果を得て、自信を確信に変えていった。

 さらに10月のストックホルム・オープンでは、予選決勝で敗れるも、ラッキールーザーとして本戦に繰り上がる。そのラッキーを生かしてベスト8に勝ち上がった杉田は、準々決勝で今季を最後に引退を表明している元世界8位のヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)と対戦した。

 結果的に、ティプサレビッチのツアー最終戦となったこの一戦で、杉田は、なぜ自分はテニスをするのかという問いへの絶対的な解を得る。

 7度の手術を乗り越え最後の大会に挑むティプサレビッチは、テニス人生のすべてをかけてボールを追い、全身全霊を込めてラケットを振り抜いた。そのファイターの情熱に呼応するように、杉田も一打一打に声をあげ、全力でボールを叩く。試合時間は3時間を越え、最後は両者とも痙攣した足を引きずる死闘の末に、杉田が10度目のマッチポイントで勝利をもぎ取った。

「こういう一戦を、何よりも大切にしなくてはいけない。こういう、ぶつかり合う試合を」

 それが、テニスをやってきたなかで最高の瞬間ですよね――。あの時の熱を再確認するかのように、一語一語を噛み締めながら彼は言った。

 不器用な己を自覚し、自身と真摯に向き合い苦しみを乗り越えた今、彼はかつて至った場所の、その先を目指している。

「今まだテニスをやっているのは、36位を越えられると思っているから。ツアーで暴れたいですね。自分のプレーを、もっともっと多くの人に見てもらいたい。魂込めて、打っていきたいです」

 それこそが、彼が見たいと欲する景色だ。