崎陽軒のシウマイ、社長が胸に刻んだ「真にローカルなるものがインターナショナルに」
1908年、横浜駅構内の食料・雑貨の売店として創業した崎陽軒だが、意外にも創業当初、シウマイを扱っていなかった。駅弁は販売していたものの、当時の東海道線の下り路線は、始発の東京駅で駅弁を購入する乗客が多く、横浜駅での販売は芳しくなかった。
「名物がないなら作ればいい」。初代社長である野並茂吉氏が目をつけたのが、港町で中華街を擁する横浜らしさを象徴するシウマイだった。
ところが、シウマイを弁当として販売する上で致命的な課題が立ちはだかる。冷めると美味しさが損なわれてしまうのだ。そこで地元中華街の点心職人をスカウトし、試行錯誤の末に完成したのが、具材の豚肉にホタテの貝柱を加えた「冷めてもおいしいシウマイ」。その製法は、いまなお受け継がれている。
苦労の末に作り上げたシウマイだが、発売当初の売れ行きは芳しくなかった。全国的にその名を知らしめることになったのは、商品PRのために導入した「シウマイ娘」。
赤いチャイナドレス風の制服に身を包んだ販売員は話題を呼び、当時、毎日新聞で連載されていた獅子文六の小説「やっさもっさ」にも登場。この小説は松竹によって映画化され、シウマイ娘には桂木洋子、相手役には佐田啓二という当時のスターによる共演も話題を集めた。
迫られる決断
茂吉氏の孫であり3代目となる現社長の野並直文氏は慶応義塾大学卒業後、崎陽軒に入社。最初に任されたのは、弁当のご飯を炊く「シャリ屋」と称される係だったという。「シウマイの味を引き立てるのはおいしいご飯があってこそ。あれはいい経験だった」(野並社長)。その後、慶応大学大学院で経営の学びを深め、レストラン経営などの現場経験をさらに積んだ。
社長就任を前に、先代社長である父・豊氏から大きな選択を迫られる。「全国展開すべきか、ローカル路線でいくか」。悩む直文氏の背中を押したひとつが、当時、大分県知事として「一村一品運動」を提唱していた平松守彦氏の言葉。「真にローカルなるものがインターナショナルになりうる」。「この言葉にはっとさせられた」(直文氏)と述懐する。
