「遺伝子編集で、胎児の疾患を「子宮のなか」で治療する──CRISPRによる研究の“実績”と課題」の写真・リンク付きの記事はこちら

ウィリアム・ペラントーは、フィラデルフィア小児病院に勤務する小児外科医だ。彼の出番は、親たちが胸を締め付けられる知らせを聞かされたあとにやってくる。胎児が命にかかわる発育不全を抱えているのだ。

こうした発育不全は、超音波画像に映った影や親の遺伝子検査によって判断されるが、普通は赤ん坊が母体を離れるまで治療は施せない。さらにそのころには、もう手遅れになっていることもある。

救えなかった家族たちの記憶が頭を離れないというペラントーは、急速に発展する遺伝子編集技術を子宮内に適用しようと試みる研究チームに加わった。こうした技術のヒトへの応用はまだまだ先の話だが、マウスでの研究は飛躍的に進歩しており、CRISPRを使って病因を除去する治療法の有効性が示されている。

第三の選択肢としての「遺伝子編集」

子宮内診断を告げられた親たちには、たいていふたつの選択肢が与えられる。中絶するか、生涯にわたって繰り返し侵襲的手術を受ける可能性のある子どもを育てる覚悟を決めるかだ。

出生前遺伝子編集は、第三の選択肢を与えるかもしれない。「侵襲性を最小限に抑えた方法で、こうした疾患の遺伝的病因の根本治療を行う未来が訪れるでしょう」とペラントーは言う。

このヴィジョンを実証するため、ペラントーらペンシルヴェニア大学の研究チームは、CRISPRのi遺伝子編集コンポーネントをウイルスに埋め込み、妊娠中のマウスの胎盤に注入した。このマウスの胎児は、致死的な肺疾患を引き起こす変異をもっている。そこにCRISPRコンポーネントを投入することで、コンポーネントは羊水とともに胎児に吸い込まれ、体内で急速に分裂する肺胞前駆細胞のDNAを編集する。

この前駆細胞は肺の内部を構成するさまざまなタイプの細胞へと分化する。そのなかのひとつに、呼吸のたびに肺が破裂しないよう粘液を分泌する細胞がある。この粘液を構成するタンパク質を変質させる変異は、先天性呼吸器疾患の主要な原因のひとつであり、通常これをもつマウスは生後数時間で死亡する。

ところが、CRISPRで遺伝子編集を施した個体は、4頭に1頭が生き延びたのだ。この研究結果は、このほど学術誌『Science Translational Medicine』に掲載されだ。

胎児への治療だからこそ可能なこと

今回の研究は、過去1年で同チームが実施した2度目の概念実証だ。

ペラントーらは18年10月にも、致死的な代謝障害の原因となる遺伝子変異を編集し、論文で報告した。このときの手法は今回のものとは少し違う。ペラントーらはマウス胎児の肝細胞のなかの1塩基対を置換することで、ほぼすべての新生マウスを生き残らせることに成功したのだ。

最近の成功例のなかには、ほかにも18年のイェール大学とカーメギーメロン大学の共同研究などがある。マウス胎児にCRISPRを注入することにより、βサラセミアと呼ばれる血液疾患を治療した研究だ。

この分野はまだ揺籃期にあるが、CRISPRを利用した治療法[日本語版記事]に特有の問題(十分な数の標的細胞にCRISPRを届けることや、免疫系の攻撃を避けること)の多くは、患者が子宮内にいるうちに治療することによって解決すると、パイオニアたちは考えている。

ペンシルヴェニア大学の心臓専門医で、今回の論文共著者のひとりであるエドワード・モリッシーは、「おとなの組織の細胞の遺伝情報を編集する場合は、細胞の増殖速度が遅いため、効果を出すにはたくさんの細胞に届けなくてはなりません」と説明する。一方、胎児は発達途中であり、細胞は新たな組織に成長すべく急速に分裂を繰り返す段階にある。早い段階で編集を行うほど、導入した遺伝的変異は増殖し、発達中の組織に行き渡る。

モリッシーらの実験では、マウスは肺胞の約20パーセントが編集された状態で産まれたが、13週後には編集された遺伝子が肺の全表面に行き渡った。「編集後の細胞は、重篤な疾患をもつ未編集の細胞を打ち負かしたのです」と、モリッシーは言う。

肺疾患のケースでは、これが大きな強みになる。胎児が子宮内の液体で包まれた世界を抜け出したとたん、肺胞は肺表面活性物質を含む粘液のバリアを分泌し始める。これが埃やウイルスなど外来物質の付着を防ぐのだが、これによってCRISPRコンポーネントが組織に到達するのも妨げられてしまうからだ。

また、発達中の組織の免疫系は、外界にさらされて生活している人のものと比べて弱い。このため、細菌に由来するCRISPRコンポーネントが攻撃を受ける可能性が低いのだ。

母やほかの受精卵へのリスク

遺伝子編集が早いほどいいなら、受精したばかりで細胞が数個しかない状態の胚を対象にすればいいのでは? そう思うかもしれない。しかし、生殖細胞編集と呼ばれるこうした技術は、倫理的にはるかに複雑な問題をはらむ(18年に中国で起きたCRISPRベビーのスキャンダル[日本語版記事]はその一例だ)。

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この段階での編集は、あらゆる変更をすべての細胞に継承する。精子や卵子をつくる細胞も例外ではない。米国では、遺伝子組み換えヒト受精卵を扱ういかなる臨床試験も認可しないよう、議会から食品医薬品局に指示が下されたことで、このような遺伝子編集は事実上禁止された(この「禁止令」は毎年更新する必要があり、最新版は19年2月に発令された)。

また、ごく少数の細胞でしかない受精卵の段階では、正確な診断を下すのは難しいという問題もある。胎児の姿や、そのほかの生命活動の兆候を確認できるまで待てば、疾患の重さを判断する手がかりが得られる。

ただし、安全性には未解決の問題が残っている。まず子宮内遺伝子編集の患者はふたりいる。子どもを治療する過程でこの技術は、健康な第三者、すなわち母親をリスク(危険な免疫反応など)にさらす可能性がある。しかも、遺伝子編集は母親の生殖器官のなかで行われるため、標的を外れたCRISPRコンポーネントが卵管を通って卵巣に入り込み、ほかの未受精卵に変更を加えるリスクもある。

実用化がどれだけ先になるかを考えるにあたっては、既存の子宮内遺伝子療法の例が参考になる。これは、ウイルスを使って欠陥遺伝子を正常なものに置き換える比較的古いアプローチで、1990年代半ばに初めて提唱されたあと、マウスでの概念実証の成功を報告する研究がいくつも出された。しかしいまのところ、進行中の臨床試験は1件だけだ。

「すべての遺伝病を治癒する万能薬ではありません」と、ペラントーは言う。しかし彼は、CRISPRによるアプローチと遺伝子療法分野の成果を組み合わせることで、少なくとも一部の患者に対して新たな選択肢を提供できると考えている。

「何年も先の話ですが、子宮内遺伝子編集は将来のどこかの時点で、いまは何の選択肢もない家族に希望を与えることでしょう」

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