IBMのモーレツ社員はなぜ保育士になったのでしょうか(撮影:今井康一)

東京都板橋区にある認可保育所ほっぺるランド大谷口。3歳児クラスをのぞいてみると、子どもたちのお世話をしたり、工作を教えたり、紙芝居を読んだり……、エプロン姿の好々爺がせわしなく働いている。「じじ先生」こと、郄田勇紀夫さん(67歳)だ。

ベテラン保育士かと思いきや、実は郄田さん、まだ保育士になって丸2年。外資系IT企業大手の日本IBMを37年間勤め上げ、定年退職後に一念発起して65歳で保育士になった異色の経歴の持ち主だ。

「育児に参加した記憶はない」

自身にも40代になる子どもが2人いるが、「男は仕事だけして稼いでいればいいという時代だった。週末も仕事ばかりで、育児に参加した記憶はない」という。孫もがいるが幼稚園通いで60数年間、保育園とは無縁の人生を送ってきた。


1年強の猛勉強で使ったノート(編集部撮影)

ところが2015年秋、待機児童について取り上げた新聞記事に出合い、その女性の悲痛な叫びと若い夫婦の様子を見て、”普通ではない”と直感。衝撃を受けた。

今まで恵まれすぎていた自分の環境を思い知り、一向によくならないのには何か理由があるはずだと、通信講座で1年強猛勉強の末、保育士試験に無事合格し、保育の現場に飛び込んだ。

グローバル企業であるIBMには女性副社長や女性役員もいたし、自身の直属の上司にも部下にも女性はいた。しかし、「自分も含め、みんな”モーレツ社員”。徹夜もするし、男女の違いもなく働いていた。海外との電話会議があれば、深夜でも家で対応する。今思えば、当時もワーキングマザーはいたはずで、苦労してやりくりしていたのかもしれないけれど、当時の私はそんなことに気づきもしなかった」と、そこには贖罪の思いもあった。


実技試験の練習ではとにかく絵をたくさん描いたそうだ(編集部撮影) 

2017年春、いよいよ現場デビュー。しかし、先輩保育士から「お漏らししたから着替えさせて、消毒して」と頼まれたが、対応の仕方がまったくわからない。

それどころか、オムツの前と後ろがどちらかもわからなかった。自分の娘よりも若い保育士の先生に教えを請いながら、1つずつ仕事を覚えていく。座学だけではわからない、新米保育士としてのスタートだった。

IBM時代は、SEに始まり、営業や本社、工場、海外勤務、社長室CSなどさまざまな部門で多くの職種を経験した。よくサラリーマン時代の役職や肩書があった人は、定年退職後に再就職すると当時のプライドが邪魔をするという話を聞く。郄田さんは大丈夫なのだろうか?


子どもたちとじっくり向き合い朝の準備を手伝う郄田さん(撮影:今井康一)

「抵抗はないですよ。大学や短大で実技をみっちり習ってきた先生はピアノが上手に弾けるが、私は片手でしか弾けない。

今はSEとしてプログラムを書けなかった新入社員と同じ。

60歳を過ぎた人の中には、自分は部長だったとか、100人の部下がいたとか、職位や地位、収入で一喜一憂する人もいるけれど、自分の人生をバランスよく楽しむことが大事だと思っているので」

アメリカ駐在で価値観が変わった

外資系企業とはいえ、「肩で風を切って歩いていたような時代もあった」と自分で苦笑するほど典型的な仕事人間だった郄田さんの考え方が大きく変わったのは、40代半ばで経験したアメリカ駐在によるところが大きい。

「朝は7時くらいから会議はするし、お昼もサンドイッチをかじりながらビジネスミーティングとせわしない。だけど会議は30分以内。冒頭に必ずミーティングの目的が伝えられ、合意と成果のみを求める。

日本のように1〜2時間の会議なんて皆無。15時に仕事を終わらせて皆それぞれ家族との時間を楽しむために帰っていく。家族との時間を大切にする姿勢には、本当に驚きました」

アメリカで目の当たりにした現地の人の働き方、人生の楽しみ方は、郄田さんのそれまでの常識を覆すものだった。アメリカ駐在を経て、プライベート時間の充実の大切さを知った。そんな郄田さんが、今保育士として働くのは週3回。

週2回は趣味のテニスをしたいというのもあるが、それ以外にも週3回しか働かない理由があった。それは、郄田さんに新たな「野望」が生まれたからだ。

「アメリカに行って、それまで仕事のことばかりだった自分が人間の幸せについて考え出した。人生の核となるのは家族だし、何事もバランスが大事。75歳まで働きたいと思っているので、年齢的にもバランスを崩さないようにしたいから、週3日くらいがちょうどいい」という。


「じじせんせーい、教えてー」と子どもたちがひっきりなしに郄田さんを呼んでいた(撮影:今井康一)

「保育園問題を解決したくて、保育士になった。そして次は、保育士の結婚を支援するような仕事がしたいと思っているんです」

保育園の中のことは、外からは見えにくい。中に飛び込んだからこそ見えた課題を解決したいというのだ。

保育士はとにかく忙しい。忙しさに加え、乳児のお昼寝だと乳幼児突然死症候群防止のために、5〜10分おきにチェックが必要。アレルギー対応ではテーブルやふきん、雑巾を分けるなど細かなルールがある。子どもたちの命を守るためにやらなければならないことがたくさんある。にもかかわらず、給与は安い。


紙芝居は近くの図書館で借りてきて読み聞かせている(撮影:今井康一)

職場に男性はほとんどおらず、土曜出勤もある。朝から晩まで働いて、夜はバタンキュー。デートの時間すら取れない。そんな彼女たちを見ていると、保育士の幸せも考えなければと思った。週5日働いていたら、そこまで手が回らないんです」

子どもたちの幸せを考えると、親が幸せでないといけないし、保育士も幸せでないといけないというのが、現場に飛び込んで郄田さんの導き出した答えだった。

IBMには「栄光ある不満(Glorious Discontent)」という言葉があるが、会社の制度や仕組みがおかしいと思ったら、手を挙げて提案する「創案制度」があった。郄田さんも営業所時代に感じた製品情報の一元管理について提案したところ、本社製品部門の中に新しい部門が新設され、自ら新部署で課題解決に取り組んだ。

「どんな職場にも問題はある。IBMでも仕組みのおかしいところを発見して改善してきた。そういう意味では、保育士も部門の1つにすぎない。IBMはお客さま満足度を大切にしているが、保育士の仕事は究極のお客さま満足度だと思っている。提供するサービスが変わっただけで、やっていることは同じなんです」

近い将来保育園が余るときがくる

郄田さんに言わせると、日中の顧客は子ども、朝夕は顧客が送迎に来る保護者に変わるのだという。


子どもたちが使っている折り紙の枝や桜は郄田さんの手作りだ(撮影:今井康一)

「これから幼児教育が無償化されるとまたしばらく保育園が不足するかもしれないが、近い将来、必ず保育園が余り淘汰される時代がくる。そのときに必要なのは、保育園のブランド力。

それにはお客様満足度と社員満足度が必要不可欠になる。職員の満足度の低い保育園は、お客様の満足度まで気が回らない」

そのために保育士の満足度を上げていくのが大切だという。保育士の現場は人手不足だと言われるが、「保育園は、もっとAIやロボットを使って効率化できる。私が銀行を担当していたとき、営業支店にビデオカメラを設置して、行員の指先を撮影し、無駄を分析して業務改善した。


郄田勇紀夫(たかだ ゆきお)/保育士。1951年千葉県生まれ。1974年3月東京都立大学経済学部卒業(現・首都大学東京)。同年4月日本アイ・ビー・エムに入社。SE、営業課長、常務取締役補佐、富山営業所長、業務改革推進担当、北アジア太平洋地域の需給管理担当、アメリカIBMでオプション・モニターの需給管理担当、社長室CS(お客様満足度向上)担当、ビジネス・コントロール(内部統制)担当などを経験し、2011年12月に定年退職。2017年4月より都内の認可保育所で保育士として勤務。著書に『私の履歴書:Enjoy my Business ! Enjoy my Life ! 』(2011年出版)、『じーじ、65歳で保育士になったよ』(編集部撮影)

保育園では、子どもたちは食べこぼしが多いため、保育士たちはひっきりなしに床掃除をしているが、それは外で遊んでいる間に機械で代替できる。

日々の連絡帳記入も、全員一緒の内容についてはフォーマット化できれば、一人ひとりの子のコメントにもっと注力でき、保護者の満足度を上げることができるし、保育士の業務も軽減できる。

保育園もイノベーションを起こさないと時代に取り残されるときがくる」

保育園にはまだまだビジネスチャンスがある、と現場の改善に意欲を燃やす郄田さんだが、今のいちばんの喜びは「じじせんせーい」と子どもたちが駆け寄ってきてくれること。

子どもたちとの笑顔の触れ合いという何物にも代えがたいやり甲斐があるからこそ、郄田さんは今突き動かされている。