14日放送、フジテレビ「S-PARK」では、女子バレー日本代表の中田久美監督にインタビュー。最後の五輪出場となった27年前を振り返った。

史上最年少の15歳1カ月で日本代表に選出され、当時の女子バレー史上初となる3大会連続五輪出場を果たすなど、日本女子バレー界のレジェンドである中田監督にとって、最も記憶に残っている一戦は、1992年のバルセロナ五輪、準々決勝のブラジル戦だ。

前回大会で逃していたメダルの獲得が求められるなか、日本選手団の旗手も務めた中田監督は、「年齢・キャリアを重ねていくことによって、自分の責任も当然大きくなってくる。焦りはすごくあった」と振り返る。

迎えたブラジル戦、中田監督の反則で流れが変わってしまう。中田監督は「同じミスをしても、ほかの大会だったら取り戻せるけど、五輪であのミスをすると致命的になるというのを、やりながら初めて感じた」と述べた。

狂った歯車は戻らず、日本はこの試合を落として敗退。メダルの夢は消えた。中田監督にとっては、現役最後の五輪となった。中田監督は「負けて泣いたことはない。あれが最初で最後」と明かす。

だが、その忘れられない涙は、今につながっている。中田監督は「メダルを懸けての大事な試合で勝ちきれなかったというのは、非常に悔しい思いでもあるが、その悔しさが今のエネルギーにもなっている」と述べて。

かつては日本のお家芸だった女子バレー。「メグカナ」や木村沙織の存在など、スターは絶えず出てくるが、平成の五輪7大会でメダルはひとつしかない。

お家芸復活を託され、代表を任された中田監督は、「もちろん金メダルを目指す。それ以外は考えていない。だれが何と言おうと、そこは目指す」と、東京五輪に向けて意気込んだ。