「両国の記念大会のメインイベントに選ばれたのが、自分でなくロード・ウォリアーズであったことや、かねてから評価していない小型パワーファイターの長州力が相手だったこと、IWGPタッグでは負けブックを提案されたことに対し、それぞれ不満に感じてのことだったと思われます」(同)
 全日から新日への移籍も、全日がさまざまな選手を新日から引き抜いたことが、自身のメインイベンターとしての価値をおとしめる行為と考えてのことだった。
 そうして見るとプエルトリコでの惨劇も、ブロディの「自分がトップでありたい、あるべきだ」というわがまま勝手が招いたもので、自業自得と受け取る向きもあるだろう。
「ただ、それはブロディ自身の信じる“プロレス道”を貫いてのこと。正しいと信じる確固たるスタイルがあって、ほかの誰かが何を言おうとも、ブロディはそれを曲げることができなかったのです」(同)
 言うならば頑固職人であり、そうした意味ではやはりブロディの死もまた“プロレスに殉じたもの”といえるのではなかろうか。

ブルーザー・ブロディ
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PROFILE●1946年6月18日〜1988年7月17日。米国ミシガン州出身。身長198㎝、体重140㎏。得意技/キングコング・ニードロップ、ワンハンド・ボディスラム。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)