「働きやすい会社」を目指すということ/猪口 真
どこもかしこも人手不足
今大半の会社が「人材不足」だとなげいている。
新卒採用に多額の予算をかけられる大手企業でもそういった声が聞かれるのだから、中小企業にとってはなおさらだ。業種によってはほとんど人が集まらない状況すらある。
全国の中小企業を対象に2017年に行った、日本商工会議所のアンケート調査を見ても、以下のような調査結果が出ている。
・全体では、6割以上の企業が「不足している」と回答。
・昨年度調査よりも「不足している」と回答した割合が上昇(5ポイント)
・調査を開始してから3ヵ年連続で人手不足感が強まっている。
・宿泊・飲食業の不足感が昨年度調査同様最も高く、8割以上の企業が「不足している」と回答。
そこで企業側としては、さまざまなその企業で働く利点を作ろうと必死になっているのだが、そうした施策が、本当に人材確保につながっているのか、その施策によって採用された人材は本当に必要な人材か、あるいは本当に企業の成長につながるのか、といったことに関しては、どの企業も確証は持てていない。
「働きやすさ」を追求しても意味はない?
さらに昨今、増えている論調が「働きやすさを追求しても企業の業績や優秀な人材確保に効果はない」という内容だ。
根底にあるのは、「働きやすさ」と「働きがい」の違いで、企業は「働きがい」を従業員には与えなければならないというものだ。
確かに「働きやすさ」言われると、条件面などの表面的な要素を思い浮かべやすい。大手の人材採用関連企業の、いわゆる「働きやすさ」の調査結果を見ても、「働きやすさ」の項目に並ぶのは、休日の取りやすさや給与の高さ、労働時間の短さ、手当や福利厚生などの制度的な項目が大半だ。
そして、こうした理由だけで選んできた学生や中途採用者は長続きもしなければ、本当に優秀かどうかもわからない、というのが、「効果なし」論の大まかな主旨だ。
働きやすさとは内面の満足
ある側面だけとらえれば、そうかもしれないが、これはあまりにも労働者をなめているのではないか。
誰であっても、休日は取りやすい会社の方がいいし、給与の高い会社の方がいいに決まっている。これらの項目を並べれば、上位にくるのは当然だろう。
問題なのは、「働きやすさ」にこういう制度的なことしか考えられない企業側の旧態依然の体質だ。
働きやすさをつくる要素には、こうした制度的なものに加えて(むしろ)、働く人の内面(心)が満たされるかどうかにある。
組織内では良好な人間関係が構築され、自分と組織双方の成長が実感でき、何より会社自体が信頼に足るものかどうかが重要となる。
つまり、本当に働きやすい会社とは、会社のミッションから戦略〜業務プロセスにいたる結果を出すバリューチェーンを持ち、気持ちよく働ける人間関係の文化があり、何よりも大切なのは、この会社にいれば自分自身が成長できるという確信が持てるかどうかだ。
もちろん、人事制度も重要だが、こうした観点が持てない限り、本当に働きやすい会社をつくることはできない。
人事制度や外形的な「働きやすさ」のための施策をいくら行ったところで、働く人の内面を満足させない限り、真の「働きやすさ」を与えることはできないだろう。
これからの働きやすさ
これまで日本は、必死になってヒエラルキー重視の組織体制をつくり、人事制度をつくり、市場ニーズに対するバリューチェーンを維持してきた。「社畜」や「セブンイレブン(7時から11時まで働く)」などの揶揄に対して、重厚な福利厚生や手厚い手当で対応してきた。
ところが働き方に多様化が求められるようになり、ビジネスの環境変化も激しくなった。さらに、少子化の波は、突然人材不足の問題を生み、これまで培ってきた企業内の制度や慣習が通用しないケースが一気に増えてきた。
だから「働きやすい」会社を目指すことで、より良い人材を採用しようとどこも必死なのだが、本当の働きやすさを追求しない限り、新しい時代に古い時代の考えで対応しようとしても土台無理な話だ。
本当に働きやすい会社を作るということは、多様化した働き手が、現在の制度、文化、戦略、理念に心から満足することで、快活なコミュニケーションをとりながら、新しいチャレンジをし、成長していくということだ。人が成長すれば、リーダーシップが生まれ、求心力が備わり、そしてさらに人が集まる。
そうした組織が成長しないはずは決してない。本当に働きやすい会社とは何か、熟考すべきときにきている。