ロジカルシンキングを越えて:5.仮説、論点をめぐる誤解/伊藤 達夫
最近では、仮説や論点をテーマにしたビジネス書も増えているように思います。大手コンサルティングファーム出身の方々がそういった書籍を書いてらっしゃいます。
事業会社でも、コンサルタント風にいろいろやってみようとなると、仮説をたててみよう、論点をたててみようというお話になります。
しかし、仮説でも論点でも、実際にやろうとすると、同じ結果が待っています。
どういう事態が待っているのか?
「何も思い浮かばずに固まる」という事態がたいていは待っているのです。
仮説思考の本を読むと、「まずは仮説ありき」と書いてあります。でも、そんなに簡単に仮説なんて出てきません。
論点思考の本を読むと、「まずは論点ありき」と書いてあります。でも、論点をMECEに書いていこうとしても書けません。
これはなぜでしょうか?どういうことなのでしょうか?
実は、仮説と論点は表裏一体です。この関係を理解していないと仮説思考、論点思考などできたものではありません。それを理解してなのか、とあるコンサルタントは「仮説」に関する本と「論点」に関する本を似たような体裁で出しましたね・・・。
私のところには、大企業の企画職の方がけっこういらっしゃいます。「大手ファーム出身者の研修を受けたが、仮説、論点の実務への活かし方が全くわからなかった」とおっしゃいます。
そういう方に、「論点をMECEに分けようと思わない」こと。「仮説が突如として湧いてくると思わない」こと。「すべては逆算してゴールと論点をつなげるプロセスである」ことを教えます。そういったことを教えると、彼らは「非常によく理解できた」と言って業務に戻っていきます。そもそも、大手ファームが教える仮説思考、論点思考には嘘があると私は思っています。
また、こういった書籍の中身を読んでみると、想定する読者のレベルが高すぎるという問題があるように思います。たいてい「仮説もなく、論点もなくいろいろやろうとしても無駄」というようなことが書いてあります。
しかし、私はこういった「仮説もなく、論点もなくいろいろやろうとしても無駄」だった体験は企画職として必須のものだと思っています。その大量の無駄な作業をくぐりぬけてこそ、効率的な仮説、論点の世界に行きつくことができるのであって、初めから「仮説がわかる、論点がわかる」などというのはありえないのです。
そして、きまって、「コンサルティング会社の人間が優秀だからできるのではない。やり方が優れているからそれを身につければ大丈夫だ」と書いてあります。
しかし、コンサルティングビジネスというものを少し冷静に考えてみれば、これは嘘だということがわかります。
コンサルティングビジネスを考えたとき、大手ファーム間の競争の中でいかに競争優位を作り上げるのか?を考えた場合には、もはや「リクルーティングの時点で差別化する」以外に解はありません。
「やり方」で差別化しようとしても、離職率の高さから考えて、不可能です。教育ノウハウが確立されればされるほど、それは流出します。
では、なぜ、コンサルティングファームと事業会社の差があるように感じるのか?流出したはずのノウハウが事業会社で定着しないのか?
それは、ある程度のベースがあることを前提とした教育手法しかコンサルティングファーム内には存在しないのであり、それがいくら流出してもベースがない人間が身に着けるのは至難の業であるため、コンサルティングファームと事業会社のノウハウ格差はそれなりに存在し続けるということです。
情報さえあれば、情報を扱う技術は大手コンサルティングファームは高いのです。そこが大手ファームと事業会社の差別化の原点です。
余談ですが、最近では主だった米国の大企業は「コンサルティングファームからのヒアリング依頼」を受け付けません。
普通に考えれば当然ですが、ヒアリングされた情報はおそらく、競合他社や、新規参入を計画している他業界の企業の戦略立案に使われるわけです。競合の戦略立案に使われるかもしれないような情報を誰が好き好んで提供するのでしょう?
ちょっとひどい言い方をすれば、大手ファームのヒアリングは「産業スパイ」的な側面もないとは言えないわけです。むしろ、これまでヒアリングが公然と認められてきたことのほうが不思議だと言えるかもしれません。
日本でも、「個人情報保護」であったり、「秘密保持」であったり、コンプライアンスの流れは止めようがありません。いつの日か、大手企業は「外部会社からのヒアリングは受けない」時代も来るかもしれません。
そうなったらそうなったで、大手ファームは別の手段を考えるでしょうけどね。
ただ、これまでのように、知見がある方にヒアリングをお願いして、情報を取り、それを元データとして加工してバリューを出すというスタイルは過去のものとなるかもしれません。
最近の「会員制コンサルティング」というか、成功事例をシェアしましょうというコミュニティー型のコンサルティングビジネスというのは、この流れの延長上に必然的にあるもののように思います。
成功事例を共有し、ともに情報を利用しあう。このほうが、そもそもコンサルタントに依頼して、ヒアリングをしてもらうよりも、すっきりしていていいじゃないか、と。こういうことを言うと、「コンサルティングのバリューはそういうものじゃないんだ」と反論する方がいらっしゃると思います。
私もそう思います。「コンサルティングのバリューは成功事例に追従することではない」と。それは一番安易な手段だ、と。しかし、人は常に安易な方向へ流れます。コンサルタントもクライアント企業もそういう安易な方向へ流れたがるものです。
ただ、成功事例の共有は、それはそれで1つの価値です。コンサルティングビジネスを続けるのであれば、それとは違った価値の提供が必要となるでしょう。
ただ、「他業界の成功事例」であろうとなんであろうと、なんでもいいので「仮説を立てる」ことによって、全体をつながりが見えてくるという効用はあります。仮の結論を置いたことによって、意味ありげだと思っていた事実の意味合いがくっきりと見えてくる。
それがまた、論点の精度を上げていくことに役立ちます。たとえ、最終的に仮説が棄却されて、全く違ったアクションが答えになったとしても、その仮説には意味があるわけです。そういう意味では「他業界の成功事例を仮説として採用する」のは意味があります。
したがって、当初の仮説には他業界の事例をそのまま持ってきたとしても、それはそれで構わないとも言えます。ただ、これは最低限のバリューしかないやり方であって、私はもっと別のバリューを出せる考え方、やり方があると思っています。長々と誤解について書き連ねてきましたが、次回で誤解についてまとめて、じゃあ、どうするの?というお話につなげていこうと思います。