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「爆弾を命中させて帰ってくればいい」と言い続けた佐々木友次さん

9回特攻に出て、9回無事に帰ってきた佐々木友次さんという人がいた――。

「これってすごい驚きじゃないですか?」と語り始める鴻上さん。

「当時のことを調べれば調べるほど、軍隊という環境の組織としてのハードさがわかる」

その中で、たった21歳の若者が特攻を命じる50代や60代の上官に向かって「体当たりして死ななくても、爆弾を命中させて帰ってくればいいじゃないですか」と言い続けて、それを実行し続けた

当時の資料を紐解くと、佐々木さんが特攻から戻ってきて、上官から「なぜ、体当たりしないのか?」とののしられていた場面を目撃したという証言がたくさんある。

何度目かには「とにかく死んで来い」と言われて「爆弾を落として船を沈めるのが私の仕事で、無理に死ななくてもいいと思います」と佐々木さんは答えている。

そんなことを軍隊という徹底した上意下達の組織の中で行うことができる日本人が存在した。「想像を超える事実でした」と、鴻上さんは言う。

その佐々木友次さんが、(数年前の取材時には)まだご存命であった。

「そのことを知ったとき、思わず叫びました」

すっかり歴史上の人物だと思い込んでいたからだ。すぐにでもインタビューに飛んでいきたかったが、場所は北海道。

ちょうどその時期は芝居の本番を控えていて稽古に追われていたので、どうしても動けなかった。

「その後、公演を終えてお会いできたのが亡くなる数カ月前でした。合計で5回のインタビューを行うことができた。まるで奇跡のようなタイミングで、これもめぐりあわせだったのかな」と振り返る。

「鴻上さんがそんなにも惹かれて、インタビューをしたり当時の資料を読み込んだりして書き上げたこの本、どんな人たちに読んでもらいたいと思っていたんですか?」とタケが聞くと、「日本型組織に苦しんでいる人ですね」と答えた後で、「これは、実はこの本の編集者が教えてくれたんです」と笑う。

担当編集者が考えたという本の帯には確かにこう書かれている。

「命を消費する日本型組織に立ち向かうには」

これを見た時、なぜ佐々木友次さんに強く惹かれたのかが腑に落ちた、という。

現代はブラック企業、ブラックバイト、ブラック校則のように構成員の命を消費しながら伸びていく組織の中で、それに立ち向かいたいと思いながらもそうできなくて苦しんでいる個人が非常に多い。

たとえば、会社員の残業。

仕事がたくさんあるから残業してそれをこなすということだったはずなのに、いつの間にか上司が残っているから残業する、みんなが残業するから残業する...というように、残業そのものが目的になっている。

これは、特攻という戦術が、「体当たりをしたら船を沈められる」ということで始めたのに、それに対してアメリカ軍がすぐに防衛方法を編み出して効果が少なくなってしまったにもかかわらず「体当たりする」ことそのものが目的になっていった状況とよく似ている。

「会社員だけじゃなく、PTAやママ友といった組織の中でも同様のことが起こっていると思います」

「そういう状況を変えていくためにはどうすればいい?」と問うタケに、「佐々木友次さんという人がいたことを知るだけでも勇気になる」とキッパリと語る鴻上さん。

「本の中では、なぜ特攻という効果のない戦略が続けられたのか?についても、僕なりに分析を行っています。日本人の精神性と密接な関係にある。何らかのヒントを得てはもらえるんじゃないでしょうか」

ろくでもないリーダーほど精神論しか語らない

「命を賭けろ!」とか「気合いだ!」「ガッツだ!」なんてことしか言わないリーダーは「ろくでもない」とばっさり切り捨てる鴻上さん。

「リアリズムを語るのが優れたリーダーです」

『不死身の特攻兵』の中にも印象的に描かれているが、「美濃部正さんという少佐は非常に優れたリーダーでした」という。

特攻の末期、ほとんどヒステリー状態のようになっていた軍隊では、時速200キロしか出ない布張りの練習機(赤とんぼ)で特攻に出ろ!という命令が年配の参謀たちから出された。

そのとき、最も年少の少佐であった29歳の美濃部さんはこう言った。「赤とんぼでの特攻が有効だとお思いでしたら、箱根の上空で私はゼロ戦一機で待ってますから、みなさんは50機でやってきてください。私が全部撃ち落として見せます」。

そして、美濃部少佐が部下に対して行ったのは厳しい飛行訓練だった。

目視出来ない夜間の飛行訓練は、着陸と離陸だけでも通常は500時間から1000時間の練習を必要とするが、それを100〜200時間で習得させるような非常に厳しい訓練を行った。その際の美濃部少佐の口ぐせは「お前たち、この訓練に音を上げるなら特攻に出すぞ」だったという。

「今、何が必要で、そのためには何をすべきかを分析できるリーダーであった」「すごい勇気、そして非常に合理的だ」と鴻上さんは称賛する。

戦争だから死ぬことは構わない。

ただ、死に甲斐を求めている。

赤とんぼでの特攻を拒むのは臆病だからではなく、部下を戦に出すからには効率的な戦いをしたいんだと言い続けた美濃部少佐。ただ、残念なことに美濃部少佐の発言を参謀たちは悠然とタバコをくゆらしながら無視した、と記録には残されている。

組織は変わらなかった。赤とんぼの特攻は送り出された。

この話にショックを受けて「何も変わらなかったんですか?」と問いかけるタケ。

鴻上さんは「全体は変わらなかったが、少しは変わったこともあった。美濃部さんは、やはり希望だったと思う」と教えてくれた。特攻を推進した大西滝次郎も、美濃部さんにだけは特攻を命じなかった。一時期は命じられたが、最終的には「お前はいかなくていい」と。

現場においても変化があった。

佐々木友次さんの属する陸軍の特攻機は、爆弾だけを落とすことができないように機体に800キロ爆弾が縛り付けられていた。

敵機を爆破するためには機体ごと突っ込むしかなかったのだ。敵機を見つけられなかったり機体の不備で不時着することになったりしても爆弾を外すことができなくて無駄死にするしかなかったという。

佐々木さんは第一回目の特攻のメンバーで、その時の隊長の岩本さんはその状況を憂慮して、機体から爆弾を外して落とすことができるような細工を整備兵に頼んでくれた。この岩本隊長もリアリズムを大切にできる優れたリーダーだが、残念ながらくだらない上官のくだらない命令のせいで、命を落とすことになった。

「調べれば調べるほど、怒髪天を衝いて情けなくなるエピソードがごろごろしています」と嘆く鴻上さん。

「でも、岩本隊長が亡くなった後も、整備兵は佐々木さんの機体から爆弾が落とせるようにし続けてくれたんです」。これが、現場の力学だ。

現場の人は、みんな、特攻という戦法には意味がないと感じていた。

800キロ爆弾をくくりつけていたら、優秀なパイロットがみんな死んでしまうじゃないかと怒っていた。

特攻の初期はベテランのパイロットに出撃が命じられることが多かった。

飛行士としてプライドを持って急降下などの練習をしていたのに、突然「急降下しなくてもいい、ぶつかれ」と言われて、パイロットたちはものすごく怒ったのだ。そのことを現場は知っていて、力学が働いた。整備兵たちは毎回ちゃんと爆弾を落とせるように調整をして送り出してくれたという。

「企業でもありそうですね。トップはだめだけど、現場はちゃんと機能している」とちょっぴり苦笑するタケであった。

文化放送『The News Masters TOKYO』のタケ小山がインタビュアーとなり、社長・経営者・リーダー・マネージャー・監督など、いわゆる「リーダー」や「キーマン」を紹介するマスターズインタビュー。音声で聞くには podcastで。

The News Masters TOKYO Podcast 文化放送「The News Masters TOKYO」
http://www.joqr.co.jp/nmt/ (月〜金 AM7:00〜9:00生放送)
こちらから聴けます!→http://radiko.jp/#QRR
パーソナリティ:タケ小山 アシスタント:西川文野(文化放送アナウンサー)
「マスターズインタビュー」コーナー(月〜金 8:40頃〜)

【転載元】
リーダーズオンライン(専門家による経営者のための情報サイト)
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