1日放送、テレビ東京「天才アスリート 受け継ぐ言葉〜みらいのつくりかた新春SP〜」では、タレントのYOUがモーグル元五輪日本代表の上村愛子、日本女子短距離スピードスケート界で唯一のメダリストである岡崎朋美と対談した。

岡崎がスピードスケート500メートルで銅メダルに輝いた1998年の長野五輪で、当時女子高校生だった上村は7位入賞を果たした。だが、先輩の里谷多英が金メダルを獲得。当時は「うれしいのに悔しい」と感じたという。

先輩が日本人として初めて金メダルを手にしたことが「うれしくてうれしくてしょうがない」と同時に、「私も選手だよな」と気づいた上村は、「これでいいのか」と初めて思ったという。この瞬間が、「メダリストになれるように強くなろうと思ったきっかけ」になったのだ。

だからこそ、上村は長野のころの自分が「アスリート」ではなかったとし、バンクーバー五輪のときに岡崎から「私に似てきたね」と声をかけられたのをよく記憶していると明かした。「あのころようやくアスリートっぽくなったのかな」と語る上村に、岡崎は「最初はおとなしめだったけど、だんだん風格が出てくるというか、自覚が顔に出てきた。これイケるなって」と振り返っている。

その岡崎も、長野五輪で大先輩の橋本聖子からレース直前に「普段どおりやればもう結果は決まっているよ」と声をかけられ、自信になったと明かす。「乗せられると乗るタイプ」という岡崎は、五輪の“魔物”を味方につけることができたのだ。

しかし、岡崎と違い、上村はメダルに手が届かなかった。連続5大会出場を果たしながら、表彰台に立つことができなかった。2010年のバンクーバー五輪で、競技後に吐露した「なんでこんな一段一段なんだろう」というコメントは、その悔しさを如実に物語っている。

引退も考えたバンクーバー五輪後、上村を支えたのは、16歳のころから書き続けてきた練習日記。中でも何度も読み返したのは、脳科学者の茂木健一郎の言葉だ。

「脳は自分のやっている課題を楽しむことができるときに最大の力を発揮する」

上村はこの言葉で「自分でいいんだって初めて思えた」と、大きな気づきだったと明かした。

そして臨んだ2014年のソチ五輪。前回同様4位に終わり、上村は最後までメダルを手にできなかった。だが、競技後には「オリンピックは本当に楽しい場所でした」というコメントを残している。