日経平均VI「24」はまだ大丈夫!?

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 11月9日の相場を見て、ある一人の男の顔を久方ぶりに思い出した。バブル期の株式市場を演出した、当時の野村証券の取締役株式部長だった橘田嘉和氏(その後、日本相互証券社長・会長を経て引退)である。年配の読者ならニューヨーク時間の1987年10月19日(月)に起こった「ブラックマンデー」をご記憶と思う。

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 そこに至る時代・時間的経緯は省くがこの日のニューヨーク市場は(ダウ平均で)、508ドル安と値下がり率にして22.6%の大暴落となった。世界恐慌の入り口となった「ブラックサーズデー」(1929年10月24日)の値下がり率12.8%をも大きく上回った。

 出勤直後の橘田氏は早々に、当時の野村證券社長の田淵義久氏に呼びつけられ「どうなるのだ、このニューヨークの大暴落は」と問われた。橘田氏は平然として「大丈夫です。機械的なシステム売買の結果ですから。コンセントを外せば下げ止まるのですから」と応じた。

 何故こんな話を持ち出したのかというと、9日の相場は一般投資家には理解し難い動きだったのではないだろうかと考えたからである。この日の相場は朝方から買いが先行し、取引時間中としては1992年1月以来となる2万3000円を上回った。その後、一転して下げに転じた相場は400円近い下落幅となった。一日の高値・安値の値幅は859円に及んだ。

 何故か。要約するとこんな流れである。2万3000円を上回った時点で「一段高」を懸念した日経指数の先物を売っていた投資家は、損失の拡大を防ぐための手を打った。オプション市場で「コール(買う権利)」に大量の買いを入れた。結果、日本経済新聞社が算出する「日経平均VI(ボラティリティー・インデックス=恐怖指数)」が大幅に上昇(24)した。こうなった時に起こるのが機械的にシステム売買をする投資家の「売り」である。その急増が日経平均を大きく押し下げた。「止めるためには(できない相談だが)、システム売買の電源を抜く以外にない」。

 だが日経VIに20-30水準は時として発生する。「50超なら先々に要注意」と過去の例は教えている。