「ゴースト・イン・ザ・シェル」の一体どこが「攻殻機動隊」なのか。テーマ以外の全てである

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史上最も分かりやすい攻殻機動隊。それがハリウッド版『ゴースト・イン・ザ・シェル』だ。


仕事しながら自分探しもする少佐


今までたくさん映像化されてきた攻殻機動隊だけど、今回のハリウッド版『ゴースト・イン・ザ・シェル』の話のコアになるのが、スカーレット・ヨハンソン演じる"少佐"の「自分探し」である。例によって少佐は全身をパワーもスピードも生身に大きく勝る機械の身体に置き換えている(これを劇中では「義体化」という)のだが、今回の彼女は元難民。「乗っていた難民船がテロで沈み瀕死の重傷を負ったので義体化した」という理由がちゃんとある。

ところが本作の悪役である「クゼ」との接触でこの義体化以前の記憶を信じていいかわからない事態が立て続けに発生。少佐は事件を追いながら自らの本当の過去を掘り下げていく。大雑把に言うと、このプロセスを2時間かけて語るのがハリウッド版『ゴースト・イン・ザ・シェル』だ。

というわけでハリウッド版は「スカーレット・ヨハンソンが自分探しをする」という、そこだけ聞くと「食べたり祈ったり恋をしたりするのかな……?」と勘違いしそうな主題が打ち出されている。この主題はわかりやすい。なんせ舞台が現代だろうがサイバーパンクな近未来だろうが、「主人公が自分探しをする」という話は普遍的だし、観客もとっつきやすいはず。全身義体化が当たり前でトグサが「なんで義体化しないんだ」って言われていた原作漫画とも、「生命とは……」ってず〜っと悩みっぱなしだった押井版とも違う、新たなテーマである。この改変の是非は人によって異なるだろうけど、ちゃんと2時間の映画としてストーリーは着地しているので、そのあたりはさすがハリウッドの脚本だなぁという感じ。

怒涛の「攻殻機動隊にありがちなこと」連打


話の芯が変わっちゃってるじゃん! というハリウッド版だけど、じゃあどの辺が攻殻機動隊なのさといえば、テーマ以外の全てである。少佐は補正下着一枚みたいな格好でビルの屋上から飛び降りるし、記憶を書き換えられた男と光学迷彩で殴り合うし、多脚戦車の砲塔のフタを力技でひっぺがす。サイトーは狙撃するし、トグサの鉄砲だって「ちゃんとマテバですよ!」というのをわざわざ画面に映してくれる。

要するに、「攻殻機動隊にありがちなこと」を延々実写で見せてくれるのである。これをオリジナリティがないと言って叩くのは楽だが、ストーリーの核が入れ替わっている以上、こうしないと多分攻殻機動隊の映画ではなくなってしまう。とはいっても変形する芸者ロボやホログラムの広告、巨大な多脚戦車などはどうしても面白いので、そういうものが動いてるだけでニヤニヤしちゃったのも事実だ。

そんな中、異常だったのがビートたけしである。基本的に攻殻機動隊あるあるを繰り返すこの映画の中で、彼だけがアウトレイジ的な雰囲気を醸し出し続ける。たけしが演じるのは公安9課の荒巻課長という少佐たちのボスなのだが、劇中世界では確実に骨董品であろう古いリボルバーを使って銃撃戦までやってのけるのだ。このたけしの銃撃戦シーンだけは妙に生々しく、雰囲気は公安9課というかほぼヤクザ。原作漫画で拳銃を使って脅しをかけるシーンはあったけど、荒巻課長はそんなにアクティブなキャラではないので、要するにこれ、たけしに拳銃撃たせたかっただけでは……?

という内容の映画なので、原作ファンなら見た後に確実に色々言いたくなるはず。是非同好の士で連れ立って鑑賞にいくことをお勧めしたい。そうでない人でも、充分サイバーパンクっぽい世界観に浸らせてくれる作品である。「なんかとっつきにくそうだな……」とか「他のアニメとか見てないとだめなんでしょ」ということは全くなく、ものすごくわかりやすいので、軽いノリで見にいっても全然OKな一作だ。
(しげる)