スポーツ選手、歌手、俳優――昨年は様々な有名人の薬物使用が話題となって報道されました。違法な薬物使用は本人の健康や社会生活に多大なる影響を及ぼすのみならず、家族や周囲への被害も甚大で、手を出すべきではありません。
しかし、現在の薬物問題をめぐるメディア報道のあり方が果たして問題の改善に結びつくものなのか、という疑問の声が上がり始めています。

ラジオ番組がきっかけで「薬物報道ガイドライン」を策定


薬物報道の現状に対して、ラジオ番組で問題提起したのが評論家の荻上チキ氏。TBSラジオ「Session-22」のパーソナリティを務める荻上氏は、国立精神・神経資料研究センターの松本俊彦氏、薬物依存症リハビリ施設ダルク女性ハウス代表の上岡陽江氏、ギャンブル依存症問題を考える会代表の田中紀子氏とともに「薬物報道ガイドライン」を作成、明日(1月31日)記者発表をすることも決まっています。


実はこのガイドライン策定、ラジオ番組の生放送での会話がきっかけで生まれたものでした。昨年の12月、ある芸能人の薬物使用に関するニュースを伝えた際、荻上氏と松本氏が薬物報道の問題点について触れ、「是非薬物報道に関するガイドラインを作りましょう!」と盛り上がり作ることになったのです。これを受け今年の1月17日にTBSラジオ「荻上チキのSession-22」の中で「薬物報道ガイドラインを作ろう!」という特集タイトルの番組が放送され、その中で議論されたものを世に出すことになったのです。
※「薬物報道ガイドライン」の全文と、放送中に交わされた議論の書き起こしはこちら

白い粉や注射器の映像を流すことも危険


では、現在の薬物報道の一体どこに問題があるのでしょうか?
番組中で松本氏は「薬物依存症というのはれっきとして精神疾患、医学的な疾患」であるにも関わらず「どうしても糾弾する、あるいは晒し者にする、というイメージが強い」と指摘。
また上岡氏は、薬物報道が増えると状態が悪くなるリハビリ中の患者が増えるとし、テレビに白い粉や注射器の映像を流すことの危険性などを指摘しています。

違法薬物の使用を防ぎ、よくないものはよくないときちんと伝えなけれいけない一方、依存症という「病気」としての面もきちんと報道していくことにどうやらポイントがあるようです。では、今回のガイドラインによって、薬物報道はどのように変わっていくのでしょうか?
ガイドライン作成の過程を生放送したラジオ番組「Session-22」の番組プロデューサー、TBSラジオの長谷川裕氏にお話を伺いました。

リスナーから届いた賞賛の声と戸惑う声



――今回の企画を放送することになった経緯を教えてください。
「昨年12月に番組で薬物問題についてのニュースを取り上げた際、放送中にチキさんとゲストの松本俊彦さんが『報道のガイドラインを作りたいですね』という話になったんです。だったらそれを作っていく過程の議論を生放送すれば、みんなの理解も深まるんじゃないかと。それで「それ、ぜひ番組でやろうよ」とチキさんに提案したら、彼はお正月の数日の休みの間に、様々な専門家や当事者団体などとコンタクトをとって、一気に叩き台を作ってきたんです」

――番組放送後の反応はどうだったのでしょうか?
「これまでも番組では、チキさんが薬物報道の問題を指摘してきたこともあって、問題意識を共有しているリスナーも多く、好意的な反応が非常に多かったです。最近の放送の中では賞賛の声が非常に多かった回の1つです。

――ネガティブな反応はありましたか?
「数は少ないですが、依存症患者に寄り過ぎていて、薬物の恐ろしさが伝わらないのではないか、違法薬物に手を出した時点で犯罪者なのに、犯罪者に対して甘すぎるのでないか、という声もありました。こうした意見があることは僕にもよくわかります。ただこれまでの薬物報道でも『違法薬物使用という罪を犯した』という角度ばかりが強調されてきましたし、『依存症』という角度からの考えるという発想は、まだまだ浸透していないと思います。今回のガイドラインは、『犯罪者をいかに罰するか』ではなく、『薬物による実害をいかに減らすか』に重点を置いているので、そのアプローチに違いに戸惑う方もいるかもしれません」

「実害をいかに減らすか」という考え方



ここで長谷川氏が言っている「薬物による実害をいかに減らすか」という考え方、実は「ハーム・リダクション」と呼ばれるもので、欧米を中心に薬物以外にも様々な社会問題に対処する際の考え方のベースとなっているものなのです。たとえばHIVや性病の感染予防のために売春婦にコンドームを配ったり、ホームレスの間で覚せい剤の注射器を回し打ちしたりすることによってHIVやC型肝炎が拡大することを防ぐために注射針無料交換プログラムがあったりするのはこうした考えが背景にあるのです。

日本は先進国の中ではハーム・リダクションの考えがあまり浸透しておらず、懲罰的な論調が多いようです。しかし単に薬物依存者を糾弾しても薬物汚染という社会問題は解決しないのも事実です。2009年に放送倫理・番組向上機構(BPO)が出した「青少年への影響を考慮した薬物問題報道についての要望」でも指摘されているように、薬物使用者の治療と社会復帰など、様々な社会問題を総合的に解決しない限り薬物の根絶という課題の解決は難しいのです。
違法薬物というと暴力団関係者や高所得の華やかな有名人の快楽というイメージを持っている人も多いかも知れませんが、番組内での上岡さんの発言によると、女性の薬物依存者には性暴力などの虐待を受けて来た人がかなり多いというのです。

そのように薬物依存の背景に虐待や貧困など様々な問題があるケースを考えると、まさに更生というよりも治療という観点も不可欠になってくるのかもしれません。

「ダメ。ゼッタイ。」というような薬物使用者を強く否定するような表現は一次予防としては機能したとしても、様々な社会的環境の中で追い詰められて自罰的になりながら薬物依存の治療を行っている子どもなどにとっては逆効果になり却って悪い結果を招くことにさえなりかねないといいます。今回作成されたガイドライン案(バージョン1.1)で「『人間辞めますか』のように依存者患者の人格を否定するような表現は用いないこと」とあるにはそう背景があったのです。

――今後このガイドラインは日本の薬物報道を変えていくことになりそうですか?
「第一歩としての問題提起ですので、すぐに大きな変化につながるのは難しいと思います。ただ、例えば自殺報道については世界保健機構(WHO)が作った『自殺予防メディア関係者のための手引き』というものがあります。有名人の自殺などをセンセーショナルに報道することで、後追い自殺が相次いでしまういわゆるウェルテル効果を起こさないよう、抑制的な報道を求めるガイドラインです。まだまだ十分ではありませんが、以前に比べると徐々に自殺報道も変わってきているように感じますし、少なくとも私たちの『荻上チキ・Session-22』では、自殺に関するニュースのときには常にこのガイドラインを参照し、自殺の具体的な方法を詳細に伝えることは控え、また相談の窓口などを併せて紹介するようにしています。これからは、薬物問題に関する報道に際しては、少なくとも私たちの番組では必ずこの『薬物報道ガイドライン』を参照することになりますね」

メディアをバッシングするためのガイドラインではない


――ご自身の番組以外のメディアについてはいかがですか?
「チキさんも番組の中で強調していましたが、このガイドラインは、決して他のメディアをバッシングするためのものではないんです。それぞれのメディアが自身の薬物報道のあり方を考える際に、少しでも参考になれば嬉しいなと思います。メディアの当事者として思うのは、問題のある報道が必ずしも制作者の悪意や意図によるものではない、ということです。むしろ無知や無理解が主な原因だと、自戒を込めて思います。無知や無理解で私たちがお叱りを受けるのは当然ですが、だとしたら、知るしかない、学ぶしかない。今回の企画でも、長年依存症問題に取り組んできた方や、当事者の方の話を訊いて、僕自身も『そうなのか。全然知らなかった』と気づかされることがたくさんありましたから。このガイドラインを叩き台に、これからチキさんたちが様々なメディアとの対話や勉強会を重ねていくとのことですので、少しずつ変化が起きていくのではないでしょうか」

罪を犯した人を糾弾して溜飲を下げるのではなく、少しでもよい社会を実現するための報道。これから日本の薬物報道がどのように変わっていくのかに注目です。
(鶴賀太郎)