今シーズン、球団創立80周年メモリアルイヤーを迎えた中日ドラゴンズ。一昨年、選手兼任で谷繁元信政権を発足させた白井文吾オーナーは「4年契約の3年目にあたる2016年シーズンの優勝」を絶対条件に突きつけていた。しかし、谷繁ドラゴンズは4位、5位と期待を裏切り、3年目の今季は最下位に低迷。球団ワーストの10カード連続負け越しとなったところで堪忍袋の緒がプッツン、事実上の監督解任となった。
 「監督代行として指揮を執る森繁和ヘッドコーチは、あくまでワンポイントで、監督問題が紛糾した場合の保険です。中日球団は昨年オフに引退したOBの山本昌、山武司両氏に期待しており、落合博満GMは日本ハム時代から師弟関係にある小笠原道大二軍監督を推しているとみられています。その綱引きの中で、ドラゴンズOB会は谷繁監督の力量不足とともに、編成部門の最高責任者である落合GMにも責任がある、と声を上げている。新政権で一つでも多くのコーチポストをゲットしようと、落合色一掃に躍起です」(ベテラン中日担当記者)

 とはいうものの、この問題、実は戦う前から軍配は上がっている。中日新聞本社の落合氏に対する信頼は揺るがないからだ。白井オーナーはじめ本社首脳は「年間8億円」もの選手年俸を削減したコストカッターとしてのGMの手腕は、リーグ優勝に勝るとも劣らないと評価している。
 そんな落合GMが、本社首脳にこっそり持ちかけているのが、超大物監督の招請案だ。球団が急きょ、谷繁監督の解任に踏み切ったのも、その実現性が高まってのことだった。

 超大物監督とは、大リーグ、マーリンズイチロー(42)だ。8月初旬に史上30人目となる、メジャー通算3000本安打を達成したことで、本人も日本復帰の可能性を示唆している。ただし、これには条件があって、「50歳まで現役続行」というものだった。
 「これが中日には渡りに船だったようです。チームを指揮しながらホームの試合ではスタメン出場してもらい、アウエーの試合ではスタメンを外れ、ここ一番の場面で『代打と代守』で出場する。そうすることで年齢的な問題は解決できるし、年俸も抑えられる。おまけに、これならナゴヤドームの入場者増は確実。チームの采配は委ねるとしても、選手状況の掌握や育成、補強はこれまで通り森ヘッドと落合GMがサポートする。メジャーで分業システムを十分理解しているイチローなら、落合GMともうまくやっていける。落合GMに全幅の信頼を寄せる白井オーナーは、そう判断したようです。これで読売にひと泡吹かせられるとゴーサインが出たようです」(名古屋のテレビ局幹部)

 イチローの今季年俸は、インセンティブを含めなければ2億円強。シブちんで知られるドラゴンズとはいえ、兼任監督であるなら、「監督」と「大物外国人選手」の2人分と換算して4億円程度は供出できる。おまけにイチローは愛知県出身だけに、観客動員の大幅増も見込め、これだけでも十分採算がとれるに違いないが、イチロー監督の狙いにはもう一つある。それが落合GMとそりが合わず、近い将来のFA移籍が予想される大島洋平、平田良介両外野手の引き留めだ。
 とりわけ、今季8月中にFA資格を取得する大島は名古屋出身で、何としても残留させたい選手。しかし、一昨年オフの契約更改交渉の際、落合GMがふるう異常なまでのコストカットに猛反発。誰もが泣く泣く判を押す中、反旗を翻し保留第1号になった。年俸調停の直前で落合GMが交渉の場から離れ、ことなきを得たものの、両者の関係はギクシャクしたままだ。
 その大島に同調したのが平田で、今季は落合GMと反目する谷繁監督から主将に任命されると「声を出して明るいチーム作りをしたい」と上層部への不満を代弁。そんな背景があるだけに、谷繁監督休養で不信感が増長、他球団へのFA移籍は不可避となっている。
 「現体制では不満分子の大島も、愛知県出身のイチローが監督に就任するなら残留する可能性が高い。そうなれば、平田も残るはず。2人の年俸は9000万円と7000万円。皮肉なことに落合GMの手腕で年俸が低く抑えられており、FA宣言すればオファーが殺到するのは必至。彼らをつなぎ止めるためにも、落合色に染まらない監督が求められているのです」(中日OBの野球解説者)

 日本中を沸かせたリオ五輪の閉会式が22日に行われた。ハイライトは次の開催地にオリンピックフラッグをリレーする「フラッグハンドオーバーセレモニー」。この全世界が注視する中で小池百合子東京都知事が登場し、東京と日本をアピールした。同時にそこではその国を代表するスポーツ選手が登場するが、小池知事がトップシークレットで熱心に出場を依頼したのが実はイチローだった。前々回のベッカム(ロンドン)、今回のペレ(リオ)に匹敵するスーパースターは、この男以外にないと…。
 登場すれば、「東京」のイメージが付いてしまうため、イチローは最後の最後までこの依頼を受けるかどうか迷ったという。時を同じくして届いた「名古屋」からのオファーが、その大きな要因になっていたのだ。