「伯爵夫人」もエロいか知らんが、侯爵夫人もなかなかにエロい

写真拡大 (全5枚)

〈外見さえ整えて、ひとしきり作法を守っているかぎり、上流階級の淑女に許された自由を楽しむことなど、実は造作もない〉
オシャレです。

ホセ・ドノソ『ロリア侯爵夫人の失踪』(寺尾隆吉訳、水声社《フィクションのエル・ドラード》)は、エレガントで背徳的、そしてアーバンな官能小説。


三島由紀夫賞受賞作『伯爵夫人』がいろいろエロいという噂が聞こえてくるが、侯爵夫人もなかなかにエロい。

「結婚行進曲」のアイロニー


1920年代のスペイン、首都マドリード。
ニカラグアの首都マナグアに生まれ、外交官の5人娘の長女としてマドリードに住んでいた美少女ブランカ・アリアスは、修道女学校を卒業して間もなく、若くて裕福なパキート(ロリア侯爵)と、ワーグナーのオペラのボックス席でのむつみあい(!)を経て結婚する。
『ローエングリン』に有名な「結婚行進曲」が含まれていることを考えると、じつに気の利いた演出だ。


そののち、わずか5か月で、夫はジフテリアで死んでしまう。
ヒロインは19歳にして優雅この上ない未亡人生活を手に入れた。
ここから、ブランカの奔放な生活がはじまる。

ノンストップの淫奔な生活


〈未亡人となったブランカは、何も知らない、何もわからないふりを決め込み、高価な美しいお人形のように、このかわいい頭につまらないことを吹き込まないで、そんな態度を貫いた〉

以下、ピチピチの若者からヨボヨボの老人、さらに同性の相手まで、優雅な睦言からヴァイオレントなコイトゥスまで、ブランカのセクシャルな遍歴が、ドタバタ喜劇調の軽さで次から次へと語られる。

新大陸からやってきた型破りな娘が、歴史と伝統の煮こごりみたいなヨーロッパの王国で、周囲の異性や同性にカルチャーショックを与える──。
といえばこのパターンは、ヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』や『デイジー・ミラー』『アメリカ人』などの「国際状況小説」を思わせる。


『ロリア侯爵夫人の失踪』は、いわばエロ国際状況小説なのだ。

第1次世界大戦と世界恐慌に挟まれた黄金の1920年代と言えば、フランスの「狂乱時代」、米国の「ジャズエイジ」。スペインの首都マドリードもまた、そのような華やかさを帯びていたのだろうか。

ストーリーは、ブランカの分身のような犬(ワイマラナーの牝)ルナの登場によって俄然きな臭くなっていく。


この犬は、ただ雰囲気作りのために投入されたのではなく、ストーリーを破局に追い込むために作者が満を持して登板させた、いわばストッパーであり、もうひとりの主役なのだ。

不気味なエンディング


最終章は次のような不気味な文章ではじまる。

〈今日まで、デマとして片づけられることもなければ、ひそひそ話以外の形で伝えられることもなく、伝説のようにマドリードで語り継がれてきた噂話によれば、日暮れに車でレティロ公園を訪れて事に及ぼうとするカップルは、おぞましい光景を目の当たりにすることになるという。

絶頂へ至ろうとするまさにその瞬間、車の窓ガラスに突如灰金色に目を輝かせた大きな灰色の犬の頭が現れ、前脚をドアに掛けたまま、喘ぐ口から唾液だらけの舌を出してけたたましく吠え続ける。

予想もしないこの恐怖の光景に、怯えたカップルは体を離し、全速力でその場を逃れる。泣きじゃくるかヒステリーの発作に襲われた女の横で、男は雄叫びを気にしながらめいっぱいアクセルを踏み込み、犬はしばらく追ってくるものの、さすがに車のスピードにはついていけず、吠え声はけたたましい都市の遠景に混ざって消えていく。

こんな試練に耐えられるほど強い愛で結ばれたカップルは少ない〉

ゴージャスの世界が猥雑に頽廃し、徐々にほころびてゆくというそれまでの絢爛たる語りから一転、最終章は急に都市伝説ホラーの趣を呈する。この振れ幅がたまりません。

作者ホセ・ドノソ(1924-1996)はチリを代表する小説家。本書『ロリア侯爵夫人の失踪』は1980年に刊行された中篇小説だ。
1978年の幻想的な長篇ヴァイオレンス小説『別荘』(寺尾隆吉訳、現代企画室《ロス・クラシコス》第1巻)については、「豪華別荘で展開する残虐と耽美。これはチリの『バトル・ロワイアル』だ」をお読みください。


(千野帽子)