基礎から分かるイギリス「EU離脱」の真相

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■キャメロン英首相の軽率な判断

EU(欧州連合)からの離脱の是非を問うイギリスの国民投票から一夜明けた、6月24日の東京株式市場。主要市場の中で最初に開票結果の洗礼を受ける格好となった。離脱派の勝利が濃厚になるにつれ下げ足を加速。日経平均株価は前日比1286円安の1万4952円と史上8番目の下げ幅となり、1万5000円の大台を割り込んだ。

ドル円相場は一時1ドル=100円割れの99円台に突入。ポンド・ドル相場が1.33ドル台と1985年以来31年ぶりの安値を付けるなど、同日の外為市場も大荒れの動きとなった。

国民投票の帰趨は流動的だったが、市場関係者の間では「最終的には残留派が過半数を占める」という、楽観論が大勢だった。それだけに、株式市場、外為市場は不意を突かれる格好となった。Brexit(British+exitの造語:英国のEUからの離脱)が現実になったことで、マーケットは不安心理に支配されている。

開票結果を受け、EUへの残留を望むスコットランド、北アイルランドがイギリスから分裂する、との見方が現実味を帯びてきた。また、対英進出企業が戦略の見直しを迫られるのは必至で、少なくとも対英投資が抑制されるのは避けられない。イギリス、国際社会の双方にとって、現時点でマイナス要素しか見当たらない状況だ。

イギリスのEU離脱という投票結果は、世界の金融市場関係者の意表を突く格好となり、世界経済を大混乱させた。イギリスはその影響の大きさに一時の熱狂から早くも覚めて反省の色が濃い。予想外の結果にショックを受けているのは当のイギリス国民かもしれない。

キャメロン首相は残留派の敗北を受けて、早々に辞意を表明したが、そもそも3年前に「EU離脱・残留の国民投票を実施する」と表明したのが発端だ。

移民の増加に対する不満、EU圏内の相次ぐ債務危機で生じたEU自体への不信感を背景に、当時台頭しつつあった、EUからの離脱を唱える英国独立党をけん制する狙いもあり、キャメロン首相が残留か離脱かを問う国民投票を実施する方針を2013年に表明。2015年の総選挙では国民投票を公約に掲げて保守党が勝利を収めた経緯がある。

■イギリスは欧州辺境の孤立した小国になる

今年2月にはEUと移民制限政策で合意した。EU域内からの移民流入を抑えるため、移民に対する社会福祉の制限を求めたイギリスに対し、EUは移民流入が「例外的」に急増した場合の緊急措置として認めた。母国に居住する子供への児童手当について、イギリスが求めた給付停止は退けられたが、手当の水準を母国の生活水準に合わせる措置は認められた。

これらの成果をもとに、キャメロン首相は6月23日の国民投票を実施することを表明。とはいえ、公約の実施を迫られたものであり、「危険な賭け」と批判も根強かった。

投票権を有するのは18歳以上のイギリス国民。高年齢層が離脱派、若者が残留派と色分けされ、理屈を感情が上回る結果となった。さらに、パナマ文書問題がキャメロン首相の指導力を揺るがせ、離脱派のエスタブリッシュメントに対する不満を増幅した面も見逃せない。

イギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」。イングランドとウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの非独立国で構成されるが、今回の国民投票によって分裂につながる可能性が出てきた。残留派が過半数を占めたスコットランド(62%)、北アイルランド(55.8%)はEU残留に向けて動き始めている。スコットランドは北海油田の権益を有しており、経済的にはむしろ恵まれた立場にある。一方、北アイルランドはアイルランド統一も視野に入れたスタンスを見せ始めている。

フランスのマクロン経済相は「英国は欧州辺境の孤立した小国になる」と極端な表現で警告する。

国家の分裂となると、イギリスの国力、経済力、発言力が一気に低下する。国民投票で「負けることはないだろう」というキャメロン首相の軽率な判断がこの深刻な事態を引き起こした。この結果責任は大きい。

■貧乏な移民に対する英国民のアレルギー

イギリスはEUの前身であるEC(欧州共同体)に1973年加盟したが、加盟国との間で路線対立を繰り返してきた経緯がある。1979年から11年強の長期政権を誇ったサッチャー首相は、当初は親EECだったが、政権終盤には批判的な姿勢に転じていた。

弱者保護、再分配を重視する独仏など大陸側諸国に対しイギリスは市場競争を重視する傾向があったためで、EUへの加盟がむしろ経済停滞を招いているとの不満のもととなった。

不満が顕在化したのが、EU創設に向け1991年に合意されたマーストリヒト条約。政治・通貨・共通市民権などの基本方針が打ち出されたことで、イギリスのアレルギー反応が目立ってきた。1993年11月にEUが創設された頃には、イギリスのフラストレーションはすでに高まりつつあったのである。

イギリスは2002年に誕生したEUの単一通貨ユーロを導入せず、自国通貨であるポンドを維持。しかし、11年以降のユーロ危機への対応では、イギリスも巻き込まれた。EUは危機の再発防止に金融監督の一元化など統合強化の動きを進め、これに対しイギリスではEUの官僚組織の焼け太りと批判する声が高まった。

国民の声は二極化していった。与党である保守党の内部すら一枚岩ではなく、閣僚クラスにも離脱派が存在する状況だった。

EUは基本条約では、加盟国の国民に域内の移動の自由を保障している。ポーランド、リトアニアなど低所得の東欧諸国が加盟した2004年以降、特に2008年のリーマン・ショックを機に大量の移民が仕事を求めてイギリスに流入した。その結果、医療、住宅、教育サービスの財政を圧迫。「低賃金の職を奪われ、社会福祉にただ乗りしている」との国民の不満が高まった。イギリス政府は仕事に就かない移民の福祉給付を制限しているが、昨年以降の中東地域からの難民危機も加わり移民に対するアレルギー反応が高じていた。

経済が成長している時期なら不満を吸収することも可能だが、世界的な経済成長が低迷している時期。特に労働者階級、低所得層の人々が不満をため込んでいった。

また、貿易や産業、環境政策などの決定権がEUに集中するにつれ、イギリスの自主権が損なわれているとの不満もくすぶった。高年齢層を中心に、かつての大英帝国時代のプライドに傷がつけられたと受け取る声が高まったのだ。

■アベノミクスと日本経済への打撃は深刻

こうした声を背景に、ジョンソン前ロンドン市長らが率いる離脱派は移民の制限、主権の回復などを強力に訴え、一方の残留派は「離脱すれば不況になる」と経済的損失を前面に打ち出す形でしか対抗できなかった。

EUから離脱すると、イギリスはEU市場へのアクセスが難しくなり、関税の減免措置が受けられなくなる恐れがある。離脱通告から2年以内にEUと新たな貿易協定を結ぶことになるが、イギリスの輸出の約4割をEU向けが占めており影響は避けられない。

2008年のリーマン・ショックと比べても事態は深刻だ。今回の国民投票は単純に悪材料出尽くしとならない。当面、世界的に政治・経済の両面で不安定な動きを強いられるのは避けられそうにないからだ。

キャメロン首相は辞意を表明し、自らはEUからの離脱通告を行わず、次期首相にゆだねる意向を示している。これに対し、EUは速やかな手続きを求めているが、前例のないケースだけに予断を許さない。

また、今回のイギリスの動きがEU圏内他国に飛び火する可能性も否定できず、米国と緊密な関係にあるイギリスが離脱することで、EUの政治力の低下は避けがたい。イギリスのEU離脱で喜んだのは、主要国の中ではウクライナ問題で経済制裁の対象となっているロシアや中国のみとの見方もある。

日本経済への影響も深刻だ。イギリスに進出している企業は1380社。製造業は558社と4割を占める(帝国データバンク調べ)。EU向け輸出を計画していたトヨタ、日立などイギリス進出企業は企業戦略の見直しを迫られる。さらに為替相場が円高に動くマイナスも大きい。EU離脱ニュースが流れた6月24日は1ドル=99円台に急伸。ポンド安や円高が続けば、日本の企業業績の足も引っ張る。これまで急増していたインバウンドにもマイナスとなる。このままでは、アベノミクスと日本経済に急ブレーキがかかる。

世界経済を大混乱させたEU離脱。イギリス国民が示した民意は本当に正しかったのだろうか。

(ジャーナリスト 山口邦夫=文)