「真田丸」2話徹底レビュー。堺雅人と大泉洋の担う「赤と黒のこより」の選択

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NHK 大河ドラマ「真田丸」(作:作三谷幸喜/毎週日曜 総合テレビ午後8時 BS プレミアム 午後6時)
1月17日放送 第2回「決断」 演出:木村隆文


悲劇と喜劇のバランスがいい


初回視聴率の19.9%から第2回では20.1%にあがり、第3回にも期待がかかる「真田丸」。

第2回は、天正10年(1582年)、「昌幸(草刈正雄)は、武田家滅亡の未曾有の危機に何をなすべきか。真田家党首として人生最大の岐路に立たされていた。」(ナレーション/有働由美子)
考え過ぎてくじ引きに頼るところまで追いつめられた昌幸だったが、最終的に織田につくことにする。

歴史好きの心をくすぐろうと史実に囚われてがっちがっちになることなく、物語のうねりもしなやかで、百姓に扮して敵の目を欺く作戦など、三谷ドラマではおなじみのピンチを切り抜けるエピソードや、武田勝頼(平岳大)の悲劇、幽玄なる武田信玄の亡霊(林邦史朗)の登場など、笑いとシリアスの配分もよい。

堺雅人の視線の演技が効いている


とりわけ、くじ引きのシーンに笑った。
北条につくか、上杉につくか、進退をくじ引きで決めようとする昌幸。
第1回で、かなりフリーダムな人間に描かれていた昌幸なので、すべてを神に委ねることもさもありなんと思わせて、北条か? 上杉か? でも実際はどっちにもつかないよね? と歴史を知る者にも知らない者にも、まるでクイズミリミリオネアのような演出で楽しませた。
みのもんたに勝るとも劣らない緊張感ある顔芸を見せる草刈正雄。家族の危機に颯爽と助けに現れるシーンも
決まっていた。

このカリスマ的な人物・昌幸のふたりの息子はじつに対照的。
くじ引きの際、面白がる信繁(堺雅人)と、眉をしかめる信幸(大泉洋)。兄弟の差異が、2話では噛んで含めるようにと描かれる。
岩櫃城に向かう時、信幸は徹底して慎重。対して、信繁は柔軟だ。信繁の機転は次々と功を奏していく。祖母・とり(草笛光子)は、信幸の言葉を明からさまに右から左に流し、信繁のことばかり信用していて、これでは、長男の立つ瀬がない。
が、しかし、信幸の行動には信念がある。
「おれには、一族みなを無事に岩櫃に送り届けるというつとめがある。無理はしたくない」
「(人を斬ることを)ためらうな。おまえのためではない、一族のためだ、そう思え」など、すべては、真田家の長男としての責任を自覚したうえでの行動なのだ。長男はつらいよ、である。
昌幸も「わしにとって最も大事なのは真田の一族じゃ」と言っているのだから、従うしかない。
“お家を守ること”。これがこの時代に生きる人間に徹底して叩き込まれていることを、三谷は執拗に描く。
次男である信繁もそれはわかっているので、彼の聡明さは主にそのために発揮される。あくまで、父が掲げる目的のためにアイデアを出しているのだ。まるで、いざというときのために発明している「宇宙戦艦ヤマト」の真田さんみたいに(あ、真田つながりだ!)。
堺雅人が、黒めがちの大きな瞳をキョロリと、頻繁に兄や父に向け、信繁の観察力や洞察力に優れた特性をよく表している。

ボケのなかに本質を滑り込ませる


昌幸は「乱世、ここに極まれる。これからはひとつ打つ手を誤るとそれは即座に真田の滅亡につながる。心してかからねばならん。わかるな」と息子たちに言い聞かせる。
北条か上杉か、篭城か打って出るか、裏切るか忠誠を尽くすか、選択に次ぐ選択の戦国時代。
勝頼(平岳大)を裏切って、徳川についた穴山梅雪(榎木孝明)を好きじゃないと言いながら、面と向かうとニコニコしている家康(内野聖陽)、織田につこうとした小山田信茂(温水洋一)の首をはねろと命じる信忠(玉置玲央)と、昌幸の言葉を裏付けるような様々なケースが描かれる。

滅びてしまった武田に対して「ちっとも嬉しゅうないのはなぜじゃ」と言って、かつて、大河ドラマ「風林火山」で信玄の軍師・山本勘助を演じていたからだと多くの視聴者から一斉につっこまれた内野・家康の2話での役目は、このボケだけでは決してない。
「何がいったい人を滅ぼすのか」と問い、「生き延びられればそれで充分だ」と希望を述べる。それは極めて重要な部分だ。
「真田丸」は、相手の裏をかきながら、何がなんでも生き残る頭脳プレーの物語です、という宣言を1、2話
を使ってしてみせ、いよいよこれからが本番だ。
激化する戦のなかで生き延び、家を守る。そのための究極の選択を、信繁と信幸が体現しているよう。信繁が差し出したくじ引きのための赤と黒に塗り分けた2本のこよりが、ふたりに見えてきて、無性に心がざわめく。
(木俣冬)