ジャニーズ一期生・永田英二が明かす大スター10人の素顔「震災と大病を機に歌手としカムバック」

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 世界に誇る映画スター、千葉真一(76)のバラエティ番組進出をサポートしたのも永田だ。

「あるトーク番組に出た時、楽屋で機嫌を損ねてしまったことがあったんです。『若い女の話とか振られたら何も話せないよ』と。でも、そこはプロですから、しっかり盛り上げてくれました」

 昨年秋放送のバラエティ「逃走中」(フジテレビ系)で、千葉は若手芸人に交じって「リアル鬼ごっこ」に参加した。

「アクション映画と同じくらい真剣になりすぎて、カメラが追えない“禁止区域”に逃げ込んでしまったんです。スタッフから『注意してもらえませんか?』と言われましたが、本人はそれだけ大真面目に番組に取り組んでくれたんですよ」

 09年に老人ホームで亡くなった故・山城新伍。永田は公私両面で晩年を支えた。

「ジャニーズ時代からのつきあいで、私に銀座遊びを教えてくれたのは何を隠そう山城さん。きれいな遊び方をする人で、金払いもよかった。その山城さんに恩返ししたいという気持ちもあって、亡くなる3年前からマネージメントを担当させてもらいました。ちょうどその頃、週刊誌で認知症報道が出たり、いろいろ叩かれましたが、どんな時でも『前向きに生きていこうよ』が山城さんの口癖。その生き方に私自身、大きな力をもらいました」

 長く裏方に徹した永田だが、11年には歌手としてカムバックする。あるパーティの余興で歌を披露したところ、そこに居合わせたレコード会社の社員がその歌声に聞き惚れたのが再デビューのきっかけだという。

「実はその2年前に肺の大病を患って、とても歌える状態ではなかった。懇意にしているリハビリの名医のサポートでようやく声が出せるようになったんです。だから、この声が東日本大震災でへこんでいた50代、60代の励みになればという思いでした」

56歳の復活イヤーに開催したチャリティライブには、山本リンダ(64)も駆けつけ花を添えた。

「リンダさんとはデビューも同じくらいで、『どうにもとまらない』で再ブレイクしたのを間近で見て、あの世界観に圧倒されました」

 昨年にはアルバム「58〜フィフティエイト〜」で、第56回日本レコード大賞企画賞を受賞した。

「内田裕也さんには『まだお前イケてるよ。出ろよバカ!』と非常に温かいお言葉をかけられて(笑)、昨年末には内田さんが主催するニューイヤーロックフェスティバルにも呼んでいただきました」

 今年5月に還暦を迎え、なお精力的に音楽活動を続ける永田。その胸には常に「ジャニーズ一期生」としての誇りがある。

「ジャニーズ根性っていうんですかね。例えば自分がギターをまったく弾けなくても、『明日、ギターを弾け』と言われたら弾けちゃう気がするんです」

 ジャニー喜多川氏との出会いから、多くのスターとともに歩んだ52年の音楽人生。“本番”はこれからかもしれない。