「すべての女性が輝く社会づくり」とドラマ「エイジハラスメント」/日野 照子
「すべての女性が輝く社会づくり」この名称を目にするたびに違和感を覚える。7月テレビ朝日ではじまった「エイジハラスメント」というドラマの初回を観ていて、違和感の正体をうまく表現する事例を見つけたので、少々長くなるが紹介したい。
「エイジハラスメント」は原作・脚本の内館牧子氏が98年に着想、08年に小説化したものを「資料を読んで今風にアレンジした」という企業内のあらゆるハラスメントを取り上げるという触れ込みのドラマで、初回を見たところ旧態依然の会社の様々なハラスメントに対し、若くてきれいな女性社員が物申すという一種の企業ファンタジーのようである。およそリアリティのないこのドラマの中で唯一、「こういう人いる」と思えたのが、風間杜夫氏演じる常務取締役である。
女性の管理職30%を目標に掲げ、女性を輝かせるプロジェクトなるものを次々と立ち上げるが、その実エイジハラスメントで退職する女性社員については、なかったことにするという人事担当役員。この常務が40歳の女性課長代理に意に染まぬ総務部門への異動を命じるシーンのセリフがこちらである。
『どうしても君に課長として頑張ってほしくてね。女性初の総務課長。僕は知ってのとおり女性を輝かせる企業を目指している。そのためには管理部門の中枢に女性課長を置くことは必須なんだ。』
一点の曇りもない建前論を、笑みを浮かべて語る常務。5年後輩の男性社員に自分の目指していた業務部門の課長ポストをとられるとあって、抵抗を試みる女性課長代理にとどめを指す次のセリフがさらに秀逸である。
『もしかして君、会社は要は若い男子社員を育てたいだけだと思ってない?総務みたいな何でも屋には女をあてとけ。そう思われたら心外なんでね。』
本心を先に露呈し、相手にうまく否定させるというコミュニケーションテクニック。
男性社員を業務部門の課長に抜擢し、邪魔な女性課長代理を総務部門に追いやる(あくまでもドラマ上の設定)という男性優位の処遇であるにも関わらず、常務のセリフだけを切り取ると、女性活躍を推進しているように見えるところがミソである。時流に合わせて、通りのよい建前で物事を動かす。企業では当たり前の行動パターンに、実にリアリティがある。
さて、現政府には安倍総理が本部長を務める「すべての女性が輝く社会づくり本部」という組織があり、内閣官房内に推進室が設置されている。もちろん、その政策パッケージにあげられている個々の提言や政策案は否定されるべきものではなく、実現すれば益になる人も多いだろうと思う。
2015年6月26日付けで公表された「女性活躍加速のための重点方針2015(案)」を読んでみても、例えば就業については国家公務員の女性登用加速化や、国・地方・企業の取組の推進と女性の活躍状況に関する「見える化」の推進、有価証券報告書における女性役員情報の集約とその「見える化」の推進などがあり、女性の理工系人材育成、警察や消防、自衛隊などの女性採用拡大なども掲げられている。どんどんやればいいと思う。
けれど、これらの政策が実際に現場に落ちてきたときに、先のドラマの常務のような人々の手によって「通りの良い建前」としてのみ扱われるだろうことは想像に難くない。本当の意味で、「主体性を持って自分が望むキャリア」を選べる人は、やはり幸運な一握りの人だけだろう。結局は、そうやって少しずつしか世の中は変わらない。
もともと「輝く」という言葉に「すべて」はそぐわない。「輝く」という言葉には、「名誉や名声を得て華々しい状態にある」という意味が含まれていて、それは他の大多数の人と異なるということだ。輝かない多くの人がいて、その中で異彩を放つことが「輝く」の正体なのだ。海岸の砂がすべて砂金だったら、金には何の価値もなくなる。「すべての女性が輝く社会づくり」という政策名称は、たどり着くことのない桃源郷を想起させる。
「女性活躍加速のための重点方針2015(案)」の冒頭には、『平成24年12月に発足した第2次安倍内閣以降、「すべての女性が輝く社会」の実現を政府の最重要政策の一つとして位置付け、成長戦略の一環として経済界を始め各界各層を広く巻き込んで取組を進めてきた。その結果、国民の間での機運がこれまでになく高まっており、日本社会は明らかに変わり始めている。』とある。果たしてどのくらいの女性が、社会の変化を実感できているだろうか。すべての女性が輝く社会への道は果てしなく遠い。
現実には、政策によってすぐに社会が変わるわけもなく、一人一人が自分の生き方を選べる環境が少しずつ整っていくことで、社会は自ずから変わっていくのだろう。政策という大いなる建前を利用して、生きやすくなる人が少しでも増えてくれたら、それはそれで価値があるのかもしれない。