伊藤 達夫 / THOUGHT&INSIGHT株式会社

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 彼女に会うのは3年ぶりのことでした。
「ミュージカルのチケットが余ったから行きたい人いませんか?」と言われて。私が手を挙げて。
 OLになった彼女は今風の少し明るい灰色のスーツに身を固めていて。楽しそうにミュージカルを観ていました。その後、近くのプロントで軽く食事をしました。3年の社会人生活で身に着けたであろう営業用スマイルで彼女は私を楽しませてくれました。でも、少し陰りがある表情が気になりました。
「仕事はどうなの?」枝豆をつまみながら、私は話題を振ってみました。
「ええ。上司がすごくいい人なので、なんとか頑張っています。」
「そうなんだ。営業だっけ?」
「はい。」
「売れているの?」
 彼女は急に黙り込んで下を向いてしまいました。まずかったかな・・・、と思いましたが、彼女はすぐに顔を上げて言いました。
「売れて・・・、ません・・・。」
「そう。」
 私はとりあえず、ハイボールを飲み干しました。そして、聞いてみました。
「具体的に、どれぐらい売れているの?」
「・・・。全く売れてないんです。」
「えーっと。これまで何件の契約をとったの?」
「・・・。ゼロです。」
「まじで?」
「はい。」
 これには私が驚いてしまいました。3年で1つの契約も取れない営業マンってどれだけダメダメなんだよ・・・、と。しかし、私の記憶にある彼女は決して売れない営業マンになるような感じではありませんでした。
「上司とロープレとかしてないの?」
「ロープレってなんですか?」
「えーっと。じゃあ、質問を変えよう。君の上司は、君が案件を取ったりするのをどう手助けしているの?」
「とにかく、提案書が全てだ、という考え方なので、アポが取れたら、ひたすら提案書を作るんです。それで、訪問して、提案書の説明をするスタイルです。営業じゃなくてソリューション営業なんだ!というのが、会社の方針です。」
「そ、そうなんだ・・・。」
 今時、そんな会社がまだあるんだ・・・。一部上場企業だろ。テレビCMを打ちまくってブイブイ言わせている会社だろ・・・。どこまで前時代的な営業の考え方なんだろう・・・。
「夜中まで提案書を作り続けて。それで、お客さんにお見せするんです。『でも、こういうのはちょっとねえ』みたいな反応しかしてもらえなくて・・・。」
「うん。まあ、普通の反応だね。」
「でも、売れる人は、ものすごく売れているんです。上司もすごくいい人で励ましてくれるし、期待してくれているので、まだ頑張るつもりです。診断書持って異動なんて嫌なんです。」
「診断書?」
「あ、はい。たいていの人は、売れないと会社に来られなくなって、お医者さんの診断書とか上司に出して、異動にしてもらうんです。それで、管理部とかに行くんです。」
「そ、そうなんだ・・・。」
「だから、頑張ります。」
 彼女の「頑張ります」があまりにせつなかったので、ついつい言ってしまった。
「えーっと。俺さ、自分もけっこう売れるし、人を売れるようにすることは得意だから、2、3回、営業の考え方をあなたに教えてもいい?あなたを売れるようにすることは、多分、できると思う。」
「本当ですか?」
「あなただったら、半年で売れるようになって、1年で多少、スーパーな営業マンにできると思う。多分、それぐらいの時間でなんとかなると思う。」
「ええ!?スーパーな営業マンですか?」
「そう、スーパーな営業マン。」
「ぜひ、お話を聞きたいです。営業の考え方を知りたいです。」
「うん。じゃあ、その代わり、成果が出たら、その内容を本にしてもいい?本じゃなくても、うちのホームページで紹介するとか。社名とか実名は出さないけど、そういうケースとして、宣伝に使わせてくれない?営業改善とかよくやっているんだけど、お客さんはうまくいったからって自社の事例なんて使わせてくれないからね。」
「あ、はい。大丈夫です。わかりました。是非、やりましょう。やらせてください。」

 ミュージカルの日から2週間。彼女は待ち合わせ時間に少し遅れてやってきた。陽気な表情で。鼻歌を歌いながら。
渋谷ツタヤのスターバックスの前で突っ立っている私を見つけると、
「あ、ごめんなさい。そこのハブで一杯、ひっかけてました。そしたら同僚に会っちゃって。話し込んじゃって。すいません。」
 渋谷ツタヤの前で、若くてかわいい女の子と待ち合わせるのは悪い気分ではない。そして、その若い女の子は一杯ひっかけてやってきたのである。遅刻したことを除けば、営業適正としては抜群なはずだ。決裁者のおじさんたちにウケもいいだろう。でも、売れていない・・・。一体なぜ?
 3年で1つも売れないなんて尋常ではない。テレビCMをバンバン流している大手企業だ。やはりおかしい。よっぽど自分で穴を掘って自分から埋まりに行っていないと、売らない方が難しいはずだ。今日はそこを明らかにしないといけない。
「いいよ。5分ぐらいは別にたいしたことじゃないから。喫茶店よりは飲み屋がいい?
もう一杯ひっかけているなら、居酒屋でも行けばいいか。
「あ、私、歌いたいです。カラオケがいいです。」
「カラオケ?」思わず聞き返してしまう。カラオケなんて数年行っていない。あと、若い女子がおっさんとカラオケ行っていいのかな・・・。
「はい。お歌はずっとやっているので、たまに歌って調整しないといけないんです。」彼女は真面目な顔をした。定期的に歌わないと調整できないって、どんな職業の人なんだ・・・。
 いや、営業だから。営業をやって月給をもらっている営業のプロだから。彼女のスーパーなマイペースに少し戸惑いながらも、センター街の奥の『歌広場』へ。彼女は携帯を提示して割引をもらいながら、「飲み放題コースで、ええと、2時間でいいですよね?」と私の方を振り返った。

「さて、今日は営業の話をするんでしたね。」部屋に入ると、改まった口調で言ってみた。そうだ。今日は真面目な話をしないといけない。
「あ、はい。そうですよね。」カラオケの選曲コントローラをいじっていた彼女はエヘっと笑って舌を出した。
 おいおいローラかよ・・・。でもまあ、かわいいからいいか・・・。
「それでね、売れない人には売れないなりの理由があります。営業はセンスとか言われますが、1つの技術体系であることには違いないです。センスがある人は、その技術体系を学ぶのが早いし、センスがない人は遅い。それは間違いないです。だから、その体系から見て、あなたがどういうレベルなのか?が分かれば薬の塗りようがあります。まず、今日はそのあたりを把握したいと思います。」
「はーい。わかりましたー。」
 彼女は既に酔っぱらっているのか、手でおまわりさんがするような『敬礼』をしながら言った。これは相当普段のうっぷんがたまっているのかな・・・。私は構わず微笑んで続けた。
「じゃあね、聞きたいんだけど。どういう人が会社では売れているの?」
「売れている人ですか・・・。そうですねー。」
 彼女は考え込むようなしぐさをした。というか、動きが漫画チックでかわいいのだが、これはこれで持ち味なのか。かわいくなければ許されないが・・・。
「同期で売れている人は、『俺は客が買いたくなるようにコントロールすることができる』って言っていました。お客さんが欲しがるようにコントロールできるらしいです。そういえば、上司も似たようなことを言ってました。」
「コ、コントロールなんだ。」
「はい。そういう本とかもけっこうあって、私も勧められて読みました。『お客さんを思い通りにコントロールして売る方法』みたいなタイトルだったような気がします。」
「うーん。そうなんだ。」
 どういう会社なんだ?
 確かにコントロール技法はないわけではない。催眠暗示的な技法がないわけではない。俺もできないわけではない。でも、それはうがった見方の技術体系だ・・・。相手との相性もある。NLPが普及したから言語的なコントロール技法が営業現場にも溢れるようになったんだろうか・・・。それともいわゆるコーチングか?
「だから、私もいろいろ試してみているんですけど、うまくいかなくて。」
「例えば、どんなことを試しているの?」
「はい。相手の仕草を真似るとか。」
「ああ、ミラーリングね・・・。」
「そう、そうです。ミラーリングです。あと、呼吸を合わせるとか。」
「ペーシングね。」
「そうです。相手に合わせるっていうか。」
「あとはバックトラックとかも習った?相手の言葉をオウム返しにするっていう。」
「あ、はい。それとか、クライアントの中に常に解決策はあるとか。」
「なるほど。コーチングとかNLPみたいなもんか・・・。」
「そうです。そういう技術をたくさん覚えたりしました。」
「そうなんだ・・・。」
 これは、また、ずいぶんと筋の悪いノウハウに洗脳された会社だよな・・・。急成長企業だから、自己啓発系のいわゆる『コントロールテクニック』が入り込んでいるんだろうか・・・。
 まあ、仕方ないと言えば仕方ないかもしれないけど。確かにその手の本が流行って売れたこともあったような気がする。だが、たいていはまともな人がそのおかしさに気づいてやめるもんだが・・・。
「でも、私は一生懸命提案書を作るほうに注力しています。お客さんに買わせるにしても、そっちのほうがまっとうだと思うんです。お客様のホームページを調べて、提案を作って、それを見てもらう。それが一番ちゃんとしていると思うんです。上司も、『それが正攻法だ』って言ってくれて。みんな夜遅くまで提案書を作っています。」
「熱心なんだね。」
 皮肉っぽい口調にならないように注意しながら言った。そもそも、提案書を作りこんで営業に行くなんて、私の中ではありえない・・・。
「はい。夜は節電でエアコンも消えちゃうんですけどね。電気も半分ぐらいしかついてないですが・・・。そして営業だから残業も出ないですけど・・・。」
 彼女はうつむいて言う。おいおい。だんだん暗くなってないか・・・。しかも労働基準法違反だし・・・。まあ、営業手当がついていれば、許されるか・・・。
「きつくない?」
「はい。正直、きついです。でも、診断書をもらって異動とか、そういうのは絶対に嫌なんです。実績を残してから、異動するとかならいいんですけど。今の状態で異動したくありません。」
「そうか・・・。でも、わかったよ。」
「はい?」彼女はすっとんきょうな声を出して俺を見た。
「君が売れない理由。」
「えー、もう分かったんですか?何ですか?どうしてですか?教えてください。」
「うん。今までの会話でわかるということは、どういうことだと思う?自分で考えてごらん。」
「今までの会話で・・・。バックトラックが下手とか?」
「いや、違う。むしろ上手だよ。」
「・・・、提案が的外れだとか?」
「それもないとは言わないけど、それよりもっと根本の問題があると思う。」
「根本の問題?えー、教えて下さいよー。」
 彼女は駄々をこねるようなしぐさをした。かわいいが、25歳だから許されるのかな。いや、ぎりぎり許されない年齢になってきているような気がするが・・・。
「俺はトイレに行ってくるから、考えておいて。」
 彼女を部屋に残してトイレに行った。さて、どうしたもんだろう。彼女が自分で気づければいいけど。トイレに行く途中で他の部屋の様子を見たが、JKやJDばかりのように思えた。渋谷だからか・・・。俺たち、場違いかな・・・。
 トイレから帰ってくると彼女は歌っていた。チャゲ&飛鳥のYAYAYAを絶叫して歌っていた。確かに上手だ。
いや、しかし、本当にこの子の心臓は強いぞ。この子は。この子はすごい子になる。スーパーどころか、ハイパーな営業マンになれる。だが、ひっぱたくシチュエーションだ。体罰禁止とは言え、ここは怒っていい場面だ。
 彼女が絶叫していることは全く気にせずに、リモコンで演奏停止ボタンを押した。
「あー、いいところだったのにー。」不服そうに俺を見た。
「そうだね。いいところだったね。それで、答えは?」
「答えですか?そうですね・・・。えーっと。質問は何でしたっけ?」
「お前は本当にやばいな!」
 彼女の左右のこめかみにげんこつをあてて、ごりごりと圧迫した。
「痛いですー。パワハラですー。パワハラですー。いたーいー。」
「質問は、お前がなぜ売れないか?だ。思い出したか?」両手に更に力を入れてゴリゴリしながら言った。
「お、お、覚えてます。あ、わかった!こういう圧力というか、圧迫みたいなものがたりないんでしょうか?」
「あ、圧力・・・。」
 思わず絶句する。こいつの頭はどうなっているのだ・・・。
「なんか、力が抜けるな。君は本当に湘南藤沢キャンパス出身なのか?」
「はい。実家から2時間かけて毎朝通っていましたよ!電車の中では必ず本を読んでました!」
「その割には、なんか、間が抜けているというか・・・。」
「は!」彼女ははっとした顔をして、
「そうですか。間抜けだから売れないんですか!」
 衝撃の事実に気づいたような顔で俺を見つめる。いや、違う。違うんだ。
「違うよ・・・。もう、面倒だから、答えを言うと、自分が売るもんだと思っているから売れないんだよ。」
「へ?」
「この考えの枠組みを変えれば、君なら売れるよ。」
「は?」
「まあ、すぐには分からないかもしれないから、今日はこの意味を考えながら家に帰りなさい。今日のセッションはおしまい。俺は歌うから。」
 尾崎豊を歌っている間、彼女はずっと考え込んでいた。時に難しそうな顔をして。でも、ずっと考えていることは確かだった。頭だけはいい。これは大学の頃からそうだ。だからきっと、大丈夫。ここまで誘導すればきっとわかる。
 しかし、彼女は一筋縄では行かなかった。歌い終わってからも、しつこく喰らいついて来た。こういうところだけは営業適正が高い・・・。
「売るもんだと思っているから売れないってどういうことですか?教えてください。」
「だーめ。自分で考えないとダメだよ。」
「営業って売るのが仕事じゃないですか。自分で売るもんじゃないですか?」
「本当に、しょうがないね・・・。じゃあ、なんで売れると思うの?」
「なんで売れるかですか?そうですね、それはきっと、最高の営業を決めるから売れるんですよ。提案だったり、そういうものが決まるから売れるんです。」
「だから売れないんだよ。」
「意味がわかりません。」彼女の眼は座っている。そして、なぜか俺に怒っている。なぜだ、なぜ俺が怒られなくてはならないんだ?おかしい。おかしいぞ。
「じゃあ、ヒントね。あなたの言う『決まる』って何?どういうこと?」
「ええと。お客さんについて調べて、提案したものが、良かったってことですよ。そうです。良かったんです!」しゃべりながらさもすごいことを思いついたように言う。いちいち反応していたら疲れるので、スルーする。
「うん。じゃあ、その『良い』って何?どういうこと?」
「良いとは何か?ですか。売れる提案ってことじゃないですか?」
「それだと『良いから売れる、売れるから良い』の循環になっちゃうよ・・・。他の要素を探してよ・・・。」
「うーん。お客さんのニーズにあっていた?」
「少しだけ近づいたね。ニーズとか、そういう難しい言葉を使わずに説明してごらん。」
「ニーズを使わない・・・。お客さんが必要な提案?」
 カタカナ英語を日本語にしただけじゃないか・・・。まあいい・・・。
「なるほど。お客さんが必要な提案が良い提案で、売れるわけだ。じゃあ、君が売れないのは、自分が売るもんだと思っているから売れないというのはどういう意味だと思う?」
「・・・。それは・・・。」
 しばらく彼女は黙った。空中を見たまま黙った。彼女の顔を見ながら、神妙に答えを待つ。少し気まずいけど信じて待つ。ここでしゃべってはいけない。それしかできない。不意に彼女は口を開いた。
「お客さんが買うもんだってことですか?」
 ようやく期待した答えだ。どれだけ時間がかかっているんだよ・・・。
「そう。その通り。」
「うーん。でも、お客さんに無理に買わせるのもやっぱり嫌かなあって思うんですけど。」
 また戻った・・・。大丈夫かな・・・。でも我慢しないと・・・。
「無理に買わせる?それは売りつけたくないと言っているの?」
「はい。売りつけるのは、やっぱり嫌なんです。」
「そう・・・。」
 これは相当に重症だ。ここまで言っても、わからない。今の枠組みがよっぽど強いんだろうか?
「売りつけるんじゃなくて、提案をちゃんとして売りたいんです。」
 仕方ない。今の枠組みが強力すぎる場合は、壊さないとどうにもならない。会社に帰ったら今までの枠組みを強化するような状況しかないなら、言葉を刻み付けないといけない。
「わかった。もう、全部言うから黙って聞きなさい!」と言って彼女の両頬を親指と人差し指で掴んだ。多少荒療治だが、仕方ない。

「お前は売りつけられるほど他人のコントロールに長けていない!!!」

「商品は営業が売るんじゃない!!!お客さまが買うんだ!!!」

「お客さまが欲しい、必要だと思ったものを営業から買うだけだ!!!」

「まず、この枠組みを心に刻みつけろ!!!」

 カラオケボックスでよかった。こんなことを居酒屋でやったら、店員や他のお客さんに奇異な目で見られるだろう。
「は、はひー。(は、はい)」彼女はたじろぎながらうなずいた。もはや涙目だ・・・。だが、彼女の頬を握った手に更に力を込めて続けた。

「他人をコントロールできるなんて幻想だ。お前が傲慢なだけだ!!!」

「認知症の老人に、金融商品のサインをさせた証券会社の社員が訴えられた。確かにこれはコントロールかもしれない。人の道にもとるよな。が、しかしだ。お前のお客さんはそんな老人なのか?そんな判断力を失った病気の人なのか?」

「ひ、ひへ。ひはいはふ。(い、いえ、違います)」

「違うだろう!!!」

「相手はビジネスのプロだ!!!」

「だったら、コントロールなんてできるわけがない!!!」

「売りつけられるわけがない。そんな考えは失礼極まりない!!!」

「売りつけたいも、売りつけたくないも間違っている!!!」

「お客さまが必要かもしれないと思うから、それを確かめるために時間をとってくれるんだ。そして、お前のつまらない提案を聞いてくれるんだ。」

「は、はひ。(は、はい)」

「そして、その提案を聞いて、自分たちが必要だと思えば買うし、必要だと思わなければ買わない。それだけだ。まずはそこに気づくことが大事だ。いい?わかった?」

「は、はひー(は、はいー)。」

 そして、彼女の頬から手を放した。赤くなっている・・・。パワハラだな・・・、これは・・・。まあ、上司でもないから、別にいいか・・・。
 しばらく彼女は頬を両手で抑えて、うずくまっていた。少しだけすすり泣いている。うーん。少しだけ罪悪感・・・。薬が効きすぎても困るんだが、どうだろう。
 カラオケボックスの大きな画面にはきゃりーぱみゅぱみゅが映っていた。歌手にひたすらインタビューをし続けている。かわいいが、少し目が大きすぎる気がする。
 彼女はふいに、目の前のモスコミュールを飲み干した。そして、俺を見て言った。
「ひどいじゃないですかー。嫁入り前の娘の顔をくしゃくしゃにして。ブスになったらどうしてくれるんですか!」
『嫁入り前の娘』ってお前はいつの時代の人間なんだよ・・・。
「まあ、いいじゃん。そんなに簡単にブスにはならないよ。けっこうかわいいから。」
「え、本当ですか?」
 彼女は目を輝かせた。いや、なんでそんなに嬉しそうなんだよ・・・。
「いや、嘘。」
 彼女はマンガのキャラのように、頬をプクーっと膨らました。
「もう、いいです!本当に!絶対に、絶対に、私をスーパー営業マンにして下さいね!売れないままだったら許しませんからね!帰りましょう!」
 彼女はさっさと帰る準備を始めた。そして、すたすたと部屋を出ていく。
 これは、見所があるかもしれない。予想以上に早く売れるようになるかもしれないし、長期的には間違いなく売れるようになるだろう。期待できるかな。楽しみだ・・・。
 これが彼女とのセッション初日だった。

解説

 さて、いかがだったでしょうか。この章では、営業マンの心得るべき精神論を記したつもりです。実際に、ここまで露骨なパワハラはしませんでしたが、彼女が自分で気づくまで、延々と問いかけつづけました。

「売りつけたいと売りつけたくないは同じじゃない?」とか。「なぜ、売りつけられるんだろう?」とか。

 営業本でも、安易なコントロール技法が喧伝されていた時期があるように思います。ある程度の営業経験がある人が使うのならば、ミラーリングやバックトラック、○○話法などのコミュニケーション技術はそれなりに活かす方法がないわけではありません。しかし、初めから相手をコントロールできると思い込んで営業をしても、うまく行く人は少数派です。

 一般的な傾向として、数年で営業をやめてしまう人や、売れない人の共通点として、「罪悪感」や「押しつけ感」、相手に迷惑をかけているという感覚があると思います。こういった相手に悪いことをしているという感覚があるからこそ、割り切りで「売りつけている」人間が売れるんだという思い込みをこういった人たちはしていると思います。

 厳しい言い方をすれば、これは「逃げ」だと思います。もしも、売れている人がお客さんの役に立っているのであれば、自分はお客さんの役に立っていないことになります。全く売れない状況のきつさを全て自分で引き受けなくてはなりません。自分がダメなのではなく、売れている他人がダメなのならば、自分は救われますからね・・・。

 お客さんが必要だから買う。

 これは、営業をする際に、一番重要な考え方です。

 では、営業マンの役割は何か?

 お客さんに必要な商品をお届けすることです。ただ、必要な商品は必ずしも明らかではない。

 では、必要とする商品をお届けするためにどうするのか?

 まずは、絶対買うつもりのお客さんの買う気を削がないこと。ステップ論で言えば、これが第一歩になります。よっぽど強烈なプッシュが必要な商材でもない限り、このスタンスで行けます。当然、1つ目のステップですから、この先に何個も越えるべき段階があります。

 確かに、誰も必要としない商品を売っている会社もあります。そういった会社では歴戦の営業マンが顧客にいろいろと法的にすれすれのことをやったりして、売っていることがあるかもしれません。

 しかし、多くのまっとうな会社に勤める営業マンであるならば、たいていは、必要とされるまっとうな商品を売っているに決まっています。自問自答してみて下さい。この商品を必要とするお客さんはこの世界にいるのか?いないのか?

 もし、ある程度の数、お客さんが存在しているのならば、この本に書いてあることは大いに参考になるはずです。

 ただ、申し訳ないのですが、誰も必要としない商品、例えば洗濯板のような商品を今の日本で100万枚売るような方法はここには書いてありません。そして、100円の飲み物を1000円で売るような方法も書いてありません。そして、相手を思いのままに操る方法も書いてありません。そもそも、そんな方法が世の中にあったとしたら、みんな自分でこっそりやって大儲けしていますよね・・・。

 普通に必要とされることがある商品を適正な価格で売る営業をする場合において、この本は役に立ちます。そういった方法に興味や関心がある場合、読み進めて頂ければと思います。きっとご期待に添えると思います。

 このあと、彼女は果たしてスーパー営業マンになれるのか?先生は教えきることができるのでしょうか?「乞う、ご期待!」でございます。