欧米人はイルカに黒人奴隷の亡霊を見る/純丘曜彰 教授博士
/追い込み漁で売られ、ショーでこき使われるイルカは、欧米人に、かつての黒人奴隷誘拐とミンストレルショーの悪行愚行の罪を思い出させる。一方、現地漁民も、自己中の被害者面に甘んじて、国際社会に食材として理解を得る努力を怠ってきた。歴史の常識は変わる。いずれにせよ、もはや潮時だ。/
大航海時代以来、欧米の連中は、新大陸の労働力を調達すべく、アフリカでずっと奴隷狩りをやってきた。1962年、リンカーン大統領の奴隷解放宣言で「奴隷」ではなくなったことにはなっているが、その後も百年以上に渡って差別問題が続いた。建前だけは自由ということにされた黒人たちは、その後、ミンストレルからマイケル・ジャクソン、エディ・マーフィーまで、御主人様たちに愛想を振りまくように仕込まれて、歌やダンスのショーで曲芸をやらされ、さもなければ、ボクシングだの、バスケットボールだの、体を張った見世物「スポーツ」の世界で生きることを強いられた。
日本人にとっては、イルカ漁も、その曲芸も、ただの「魚」の話だが、欧米人からすれば、それらは自分たちが隠蔽忘却してきた過去の恥ずべき暗黒史を見せつけられるようで、いたたまれないのだろう。その罪の重さに耐えきれず、イルカについては、あたかも自分たちがその救済者であるかように振る舞って、過去の罪を償わずにはいられないのだろう。ようするに、イルカ問題は、欧米人の根深い歴史的トラウマこそが元凶。
そんなの、日本人としては知ったこっちゃない。いい迷惑。とはいえ、だからと言って、どこが悪い、と開き直ってみたところで、それで連中が納得するわけがない。かえって、その開き直りに自分たちの過去の悪辣な姿が垣間見え、ますます日本に対する「正義」の鉄槌を高く振り上げ、イルカたちを力尽くでも解放しようとするだけ。
とはいえ、イルカの話で、日本人は、と言われても、それはそれでまた迷惑。生まれてこのかた半世紀以上にもなるが、イルカなんか喰ったことがない。北方領土だの沖縄だのなら、もしくは、日本の基幹産業の米作だの自動車だのなら、同じ日本人としてなんとかせねば、とも思うが、辺境の異端漁民の奇妙な異食趣味のために、日本の外交から学術まですべてをリスクに晒すなどというのは、あまりにバカバカしい。費用対効果としてまったく割が合わない。国家を挙げて日本人としての民族的なプライドを賭けるほどの重要性があるとは、とうてい思えないし、まったくシンパシーも感じない。
漏れ聞くに、野良イルカを取ってくるだけで、ずっとずいぶん悪どくボロ儲けをしてきたそうじゃないか。これまでにその利益の半分でも宣伝普及費に注ぎ込み、日本人にも、欧米人にも、フカヒレやツバメの巣のような高級希少食材としてイルカを認知してもらう努力をきちんとやってきていたならば、こんな事態にはならなかった。自分たちの強欲と怠慢のツケが回ったんだよ。この場に及んで、自分たちの「利権商売」のために、日本が手間をかけるなどというのは、外部不経済もいいところ。つまり、日本人一般からコストを搾取して、連中が自分たちのポッケに入れているだけ。
たしかに、かつてイルカだの、クジラだののおかげで、日本は苦難の時代を乗り切ってきた。だが、それは、黒人奴隷同様、もはや歴史の話。現代の日本が国際社会の中で生き残っていくための国家戦略としては、むしろいま一部の連中がかってにやっているだけのイルカ漁の方を「補助金」の小銭ですっぱり止めさせ、いまだにイヌだの、サルだの喰っているような、小うるさい異食の連中に、欧米と一緒になって圧力をかけていく側に回った方が得策じゃないのか。
かつては当然だった黒人奴隷と同様、歴史の常識は変わる。抗ってもムリ。これまで何度も機会はあったのに、自己中の被害者面で当たり散らし、国際理解を得る努力を怠ってきたツケだ。もはや勝敗は決してしまっている。イルカより、あんたたちの方が完全に湾内に追い込まれてしまったんだよ。もう潮時だ。これ以上、ムダにじたばたやっていると、村ごと、世界から経済的文化的に「野蛮人」として「撲殺」されるぞ。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
大航海時代以来、欧米の連中は、新大陸の労働力を調達すべく、アフリカでずっと奴隷狩りをやってきた。1962年、リンカーン大統領の奴隷解放宣言で「奴隷」ではなくなったことにはなっているが、その後も百年以上に渡って差別問題が続いた。建前だけは自由ということにされた黒人たちは、その後、ミンストレルからマイケル・ジャクソン、エディ・マーフィーまで、御主人様たちに愛想を振りまくように仕込まれて、歌やダンスのショーで曲芸をやらされ、さもなければ、ボクシングだの、バスケットボールだの、体を張った見世物「スポーツ」の世界で生きることを強いられた。
そんなの、日本人としては知ったこっちゃない。いい迷惑。とはいえ、だからと言って、どこが悪い、と開き直ってみたところで、それで連中が納得するわけがない。かえって、その開き直りに自分たちの過去の悪辣な姿が垣間見え、ますます日本に対する「正義」の鉄槌を高く振り上げ、イルカたちを力尽くでも解放しようとするだけ。
とはいえ、イルカの話で、日本人は、と言われても、それはそれでまた迷惑。生まれてこのかた半世紀以上にもなるが、イルカなんか喰ったことがない。北方領土だの沖縄だのなら、もしくは、日本の基幹産業の米作だの自動車だのなら、同じ日本人としてなんとかせねば、とも思うが、辺境の異端漁民の奇妙な異食趣味のために、日本の外交から学術まですべてをリスクに晒すなどというのは、あまりにバカバカしい。費用対効果としてまったく割が合わない。国家を挙げて日本人としての民族的なプライドを賭けるほどの重要性があるとは、とうてい思えないし、まったくシンパシーも感じない。
漏れ聞くに、野良イルカを取ってくるだけで、ずっとずいぶん悪どくボロ儲けをしてきたそうじゃないか。これまでにその利益の半分でも宣伝普及費に注ぎ込み、日本人にも、欧米人にも、フカヒレやツバメの巣のような高級希少食材としてイルカを認知してもらう努力をきちんとやってきていたならば、こんな事態にはならなかった。自分たちの強欲と怠慢のツケが回ったんだよ。この場に及んで、自分たちの「利権商売」のために、日本が手間をかけるなどというのは、外部不経済もいいところ。つまり、日本人一般からコストを搾取して、連中が自分たちのポッケに入れているだけ。
たしかに、かつてイルカだの、クジラだののおかげで、日本は苦難の時代を乗り切ってきた。だが、それは、黒人奴隷同様、もはや歴史の話。現代の日本が国際社会の中で生き残っていくための国家戦略としては、むしろいま一部の連中がかってにやっているだけのイルカ漁の方を「補助金」の小銭ですっぱり止めさせ、いまだにイヌだの、サルだの喰っているような、小うるさい異食の連中に、欧米と一緒になって圧力をかけていく側に回った方が得策じゃないのか。
かつては当然だった黒人奴隷と同様、歴史の常識は変わる。抗ってもムリ。これまで何度も機会はあったのに、自己中の被害者面で当たり散らし、国際理解を得る努力を怠ってきたツケだ。もはや勝敗は決してしまっている。イルカより、あんたたちの方が完全に湾内に追い込まれてしまったんだよ。もう潮時だ。これ以上、ムダにじたばたやっていると、村ごと、世界から経済的文化的に「野蛮人」として「撲殺」されるぞ。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)