脱フラット型経営! トヨタの最強組織づくり

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■ビン・ラディンを暗殺した米軍の少数精鋭チーム

今、世界の経営者が頻繁に口にするキーワードが「VUCA(ブカ)」だ。「Volatility( 不安定)」「Uncertainty(不確実)」「Complexity(複雑)」「Ambiguity(曖昧模糊)」の頭文字を取った略語である。

テクノロジーの進歩や予測困難な変化に晒され、世界の市場は不確実性、不透明性を増している。その変化の速さは20年前、30年前とは比べものにならない。VUCAはそんな状況を指す言葉だ。安定期には安定期に適した経営スタイルがあるように、現在のような不安定期には、それに適応した新しい経営スタイルが求められているのだ。

ひと頃、「スピード重視の時代に、ピラミッド型組織は時代遅れ」「トップ一人以外は全員平等で、各人がITで結ばれたフラット型・ネットワーク型組織が理想」とされていた。故スティーブ・ジョブズ氏、李健煕会長を擁したアップル、サムスンがそのイメージを代表している。

すべての決定を一人に集中するこの体制は確かに意思決定が速く、変化の激しい時代に適している。しかしその一方、社員全員がトップの指示を待つだけで自ら判断することがなくなり、次世代のリーダーが育たないという構造的欠点がある。

しかも、組織が大きくなると管理の目が行き届かぬうえ、階層なしでは誰も他人の面倒を見ず、人が育たないため組織力が劣化していく。フラット型は、日本の組織では必ずしも効果的に機能していない。

VUCAワールドに伍するスピードと、現場の社員の自立を両立させる手法はないのだろうか。

私が日本法人会長を務めるローランド・ベルガーでは、その新しい経営手法として「ライト・フットプリント(Light Footprint=LFP)経営」を提唱している。

LFP経営とは一言で言えば、現場が自ら判断し行動する、自律型組織を核とする経営スタイルである。それにより、巨大組織における情報伝達ロスと遅延の問題を解決し、刻一刻と変化する市場に臨機応変に対応していくことを目指す。

このネーミングは、実は米国の軍事戦略が由来で、2009年のオバマ米大統領就任以降に使われ始めた。ブッシュ前政権が対テロ戦争で行った大規模な地上軍投入にかえて、少数精鋭の特殊部隊を用い、敵にピンポイントで効果的な打撃を与える「俊敏に対応し、軽くて薄い足跡しか残らぬ戦略」を志向している。

その典型が11年5月のウサマ・ビン・ラディン氏暗殺作戦だ。パキスタンに潜伏するビン・ラディン氏発見・殺害のため、米軍は十数名とも伝えられる少数精鋭チームを現地に送り込み、目的を達成した。

現在、軍に求められる役割が、従来のような「対国家」から「対テロリスト」に変わってきたことを踏まえ、同様のタスクフォースを数百も編成し世界各地に送り出している。

LFP経営はこの米軍の新しい作戦スタイルに範を得ている。すなわち、従来型の企業組織とは別に、現場で自律的に判断できるタスクフォース型チームを多数編成。それらが社内外と戦略的パートナーシップを結び、チーム内およびパートナーとの間に信頼関係を構築し、外部に気づかれぬように計画を進め、一気呵成に成果を挙げるものだ。

実は、こうした組織を持つ企業は日本にもすでに存在する。意外にも、ピラミッド型の日本組織の代表といっていいトヨタが、まさにそうした表と裏の組織のハイブリッドであるLFP経営を実践しているのだ。

トヨタではこうしたタスクフォース型チームを「BR(Business Reform)組織」と呼んでいる(図参照)。

BR組織の原型が生まれたのは1993年。円高による経営難のさなか、「従来の業務は8割の人間で回し、2割の人間は将来のための仕事、もしくは普段手をつけられない仕事に就かせる」という経営方針が定められた。それに基づき、各部門からエース級の人材をピックアップして経営企画部付の少数チームとし、部門を跨いだ困難な課題の解決がミッションとして与えられた。

実はトヨタは80年代の終わり頃、冒頭で述べた組織のフラット化を断行した経験がある。が、うまく機能せず、その後は一度消えた班長制度や係長制度が復活することになった。

そんなトヨタの従来型“表”組織は「部」−「室」−「グループ」という名称の一般的なピラミッド型となっている。が、“裏”のBR組織はそこから独立し、課題の大きさに応じて部または担当役員と直結している。

当初は事務系で始まった取り組みだったが、翌年には技術系でもスタート。以後、現在に至るまで、トヨタはこのBR組織を会社全体の変革ドライバーとして活用している。

■LFP経営に大きな影響与えたGembaの概念

BR組織によって達成されたミッションの代表例が、ハイブリッド自動車「プリウス」の開発である。

90年代初め、トヨタではハイブリッドシステムの研究を部門横断型のプロジェクトとして進めていた。しかし十分な進捗が見られなかったため、当時、副社長として環境対応車開発の旗振り役であった奥田碩氏が、ハイブリッドシステム開発のミッションを帯びたBR組織の編成を決断。94年12月、専任メンバー3名、兼任メンバー4名からなるBR−VF室が誕生した。

メンバーに最初に与えられたミッションは、トヨタが採用すべきハイブリッドシステムの選定であった。現在でこそハイブリッドシステムはトヨタ方式が主流となっているが、プリウス発表以前には、約80種類ものハイブリッドシステムが世に知られていたのである。チームはそれらを検討し、採用すべき候補を絞り込んでいった。

7カ月後の95年6月、このチームの検討結果をもとに、社内会議においてハイブリッド車の開発が正式決定された。そのわずか2年半後の97年12月には、初代プリウスの発売が開始されたのである。

トヨタでは大小合わせて数十ものBR組織が機動的に編成され、縦横無尽に動いている。“表”の組織が今日、明日に専念する一方、“裏”の組織であるBRは未来を創造するための具体的なテーマを担い、期間限定で集中的に活動する。大組織であるトヨタが硬直化せず、ハイブリッド車や燃料電池車(FCV)で世界をリードする秘密はBRという“裏”の組織にある。

同様のタスクフォースに、東レの「GO(グローバルオペレーション)推進室」がある。合成繊維を祖業とする東レが、「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングとの協業のために設置した特命チームだ。繊維が自ら発熱することで保温性を確保する「ヒートテック」やコンパクトに畳んで持ち運べる「ウルトラライトダウン」という大ヒット商品を生み出したことで知られる。初期のメンバーは10名ほど。それで年間1000億円もの新たな売り上げを創出している。

実はLFP経営のコンセプトには、日本企業の「現場」という概念が大きな影響を与えている。LFP経営を提唱しているローランド・ベルガーのグローバルCEO、シャレドア・ブエは現場や現場力という概念に関心が深く、私も何度となく質問攻めにされた。彼の著書『ライト・フットプリント経営(Light Footprint Management : Leadership in Times of Change)』には、「Gemba」という言葉が20回、「Gemba Power」という言葉が10回近く登場する。

LFP経営では、日本企業がこれまで大事にしてきた「現場を重視し、現場に裁量を委ねること」に力点が置かれているのだ。

■現場の力を「今」から「未来」に向けて発揮させる

ただしLFP経営を成功させるためには、いくつかの条件がある。

第1に、ミッションを絞り込み、明確にすること。

第2に、永続的な組織とはせず、ミッション達成に期限を設けること。

第3に、チームのリーダーには年次に関係なく、能力的に最適任と思われる人材を抜擢すること。

第4に、メンバーは専任とし、ミッション達成に責任を負わせること。

第5に、経営とチームを直結させること……等である。

一般的なプロジェクトチームとLFP経営におけるタスクフォース型チームとの大きな違いは、メンバーが少数かつ専任であることだ。

タスクフォース型チームには、達成すべきミッションとそれを達成するための期限(納期)が与えられる。ただし達成の方法についてはチームに一任される。同時にチームは、達成についての責任を負う。専任であるため逃げ道はない。

さらに期間限定の組織であるため、リーダーは年次を気にすることなく、自由に人材を登用できる。若手にリーダーとしての経験を積ませることができ、また企業内の若い層のモチベーションが高まり、組織全体の活性化にもつながる。

LFP経営ではこのようなタスクフォース型チームに、既存のピラミッド型組織に比肩する重要性を与え、人材は必要に応じてその両方を行き来させることによって育てるのである。

日本企業の強みは「現場」にある。しかし従来の組織のままでは、「現場力」が発揮されるのは「現業」においてのみである。ここに非日常的な課題解決のためのタスクフォース型組織を加えることにより、現場力を「今」から「未来」に向けて発揮させることが可能となる。

LFP経営はこうした問題点を解消し、人を育てつつ組織の変化への適応力を高める、サステナビリティの高い経営手法である。

これまでも多くの企業はプロジェクトや委員会といった場を設営し、個別テーマに取り組むという手法を採ってきた。しかし、その多くは中途半端に取り組んで、中途半端な結果に終わってしまっている。

BRのようなタスクフォース型組織を、従来型組織と並列する中核組織として位置付け、2つを一体化しながら運営するハイブリッド組織。これこそが、VUCAワールドにおいて勝ち残るための組織戦略なのである。

(早稲田大学ビジネススクール教授 遠藤 功=文 久保田正志=構成 時事通信フォト=写真 平良 徹=図版作成)