箕島vs星稜(1979年夏)を彷彿とさせる好ゲーム

 明治神宮大会準優勝の日本文理がまさかの初戦敗退をした。「まさか」と書いたが、試合を見終えた今、まさかという感じはしない。試合は常に日本文理がリードすると、それに豊川が追いつくというシーソーゲーム。少し大げさに言うと“高校野球史上最高の試合”と言われる1979(昭和54)年の箕島対星稜戦を思わせた。

 箕島対星稜戦は4回表に星稜が先取点を取るとその裏に箕島が1点返し、延長12回表に星稜が2点目を入れるとその裏に箕島が1点返し、16回表に星稜が1点入れるとその裏に箕島が1点返し、18回裏に星稜が1点取ってサヨナラ勝ちするという手に汗握る展開だった。

 この豊川対日本文理戦も0対1で迎えた9回裏に豊川が追いつき、延長10回表に日本文理が2点取って勝負あったと思ったその裏に豊川が2点取り、延長13回裏に豊川が5番佐藤 廉の左中間を破る中前打でサヨナラ勝ちするというスリリングな展開だった。 試合開始当初は日本文理が豊川の先発、田中 空良(3年)を攻略できると思っていた。履正社の溝田 悠人(3年)のところでも書いた振幅の大きい投球フォームがコントロールミスを誘うと考えたからだ。

 投げに行くときの体の上下動、テークバック時に右腕が深く背中のほうに入ること、それらが原因の左肩の早い開き……プロでは2011年の選手権でストレートの速さが注目され、同年のドラフト会議で横浜DeNAから1位指名された北方 悠誠(唐津商)が似たタイプだ。北方は現在も制球難に見舞われることが多いが、この日の田中はそれほど荒れなかった。と言うより、13回投げて与四球がたった1個だから、制球はよかったと言うべきだろう。

 とくに目立ったのが変化球のキレのよさとコントロールだ。縦・横2種類のスライダーと打者近くで小さく落ちるスプリット、さらに縦のスライダーと見紛うようなチェンジアップ(シンカーっぽい変化)があり、中盤以降はこれらを主体に投球を組み立て、日本文理の強打線を見事に抑え切った。

 ストレートがよくなかったわけではない。序盤はクセの強い投球フォームからぶんぶん腕を振って140キロ台の速球を投げ込み、最速は145キロを計測した。しかし、ストレートは結果的に“見せ球”だった。これだけ速いストレートがありますよ、とアピールし、それが日本文理打線各打者の頭にインプットされたと思った瞬間から変化球を多用し、39アウトのうち三振13、ゴロアウト20という内訳を見れば、田中の変化球がいかに有効だったかわかる。  

 とくに見応えがあったのが超高校級スラッガー、飯塚 悟史(3年)との対決だ。速いストレートを序盤に見せ、そのストレートの球道から小さく変化するスライダー、スプリットを多投して内野ゴロを4つ奪った。 延長13回には1死一、三塁というピンチを迎え、チェンジアップ→スプリット→スライダーで2ボール1ストライクのカウントになったところで私は四球にして塁を埋める作戦に出ると思ったが、飯塚の打ち気を誘うような低めに変化球を投じ、一塁ゴロ併殺に打ち取った。 投手・飯塚は昨年秋の明治神宮大会とは別人だった。田中とは正反対に早めにヒジをたたんでテークバックを作り、腕を振るというより押し出すような腕の振りで12回3分の2を投げ、被安打10、奪三振11、与四球2にまとめ上げた。 ストレートは最速143キロを延長10回に計測したが、これはあくまでも脇役。目をみはったのは内角攻めの迫力だ。ストレート、スライダーで執拗に右・左に関係なく打者の内角を突き、外角で勝負する下地をしっかり作り上げた。

 思い返せば、昨年秋の明治神宮大会決勝で沖縄尚学に8対0から逆転されるという屈辱を味わった。このときの沖縄尚学戦の強引な攻めに対する反省がこの日の緻密な組み立てにしっかり反映されていた。最後は126キロのスライダーが甘く中に入り佐藤にサヨナラ打を喫したが、投球に関してそれほど悔いはないと思う。

 豊川の殊勲者は田中以外では6番武市 啓志(3年)が挙げられる。9回まで5安打に抑えられていたが、そのうちの3安打は武市が放ったもの。9回裏には2死二塁の場面でライトへヒットを放ち、これが1対1の同点となるエラーを誘っている。どんなプレーだったのか再現しよう。

 3番氷見 泰介(3年)がセンター前ヒットで出塁し、勝負をかけた豊川ベンチは代走に俊足の山本 拳世(2年)を送る。次打者がバントで送り、二死後に打席に立った武市がライト前にヒットを放ち、山本はホーム生還をめざす。ライト・星 兼太(2年)の好返球を見て、あわてて三塁へ戻ろうとする山本。捕手の鎌倉 航(3年)がこれを見て三塁に送球するが、サードの池田貴将(3年)がこれを弾いて送球はレフト方向を転々として、山本が同点のホームを踏んだ(記録は捕手の失策)。 明治神宮大会の悪夢を払拭しようと臨んだ選抜大会で新たな課題を背負わされた格好になったが、単純に豊川は強かった。日本文理には豊川を上回る勝負強さを身につけて夏に捲土重来を果たしてほしい。

(文=小関 順二)