家長昭博はスペインでも活躍できるのか?
■ マジョルカ移籍か?
2010年はセレッソ大阪でプレーしたMF家長昭博がスペインリーグのマジョルカに移籍することが濃厚になってきた。少し前には、同じスペインのアトレチコ・マドリーへの移籍話が出ていたが、今度はマジョルカ。以前、ヴィッセル神戸のFW大久保嘉人が所属していたクラブである。
MF家長の保有権を持つのはガンバ大阪であるが、2008年、2009年は大分トリニータ、2010年はセレッソ大阪でプレー。共にレンタルでの移籍であり、2010年シーズン終了後、ガンバ大阪に復帰するのか、セレッソ大阪に完全移籍するのか、他のJクラブに移籍するのか、海外に移籍するのか、いろいろな選択肢があったあ、もともと海外志向が強い選手であり、このたび、悲願だった海外移籍が実現しそうな運びとなった。
■ 家長の経歴
MF家長はガンバユース時代から名前の知られた選手であり、2005年には20歳以下で争われるワールドユースにも出場している。2004年に高校3年生でG大阪とプロ契約し、いきなりデビュー戦でゴールをマーク。左サイドを主戦場とし、卓越したキープ力と緩急のあるドリブルで頭角を現し、G大阪でも準主力として活躍。北京五輪代表チームでも主力となった時期があったが、2007年シーズンに試みがされた右ウイングへのコンバートがうまくいかずに、G大阪でも出場機会が減っていった。当時のG大阪は、MF遠藤、MF二川、MF橋本、MF明神と中盤にタレントが揃っており、彼らを脅かすことはMF家長といえども難しかった。
結局、2007年のオフに大分にレンタルで移籍するも、シーズン開幕前の2008年2月に右膝前十字靭帯損傷を負傷。全治6ヶ月の重傷を負って、五輪出場もならなかった。復活したのは2009年シーズン。開幕から白星に見放されて降格の危機が迫りつつあった大分でシーズン途中にチャンスを得ると、ボランチや右ウイングバックといったポジションで新境地を開拓。鮮やかな復活を遂げた。結局、チームは降格してしまったが、ポポビッチ監督の下、快進撃を見せたチームを支える見事な活躍を見せた。
大分がJ2に降格したことで、G大阪に復帰するかと思われたが、移籍先に選んだのはライバルのC大阪。開幕当初はレギュラーではなかったが、7節からスタメン起用されると、その後、チームは快進撃を続けた。
■ 出場機会を失ったG大阪時代
G大阪時代はMF遠藤という軸になる選手がいたため、MF家長が起用されたのはサイドのポジションがほとんどだった。キープ力があって、ドリブルもうまいので、サイドアタッカーとしても機能していたが、西野監督はFWメッシとダブらせて、右ウイングでMF家長を試した。しかし、シュートがうまくないということもあって、なかなか成功はしなかった。
西野監督との確執も噂されたが、西野監督はMF家長の能力を高く評価しており、我慢して起用していたので、そういったことはなかったと思われるが、当時のG大阪はタレントが豊富で、MF家長にこだわる必要もなかった。その結果、出場機会を失うことになった。タイプ的にはチームの中心になって攻撃をリードしたい選手であるが、MF遠藤がいたことで、G大阪では思い通りのプレーは出来なかった。
当時のMF家長にはMF遠藤やMF二川を押しのけてポジションを奪うだけの実力や安定感はなかったし、G大阪はMF家長なしでもタイトルをいくつも獲得できていた。今、振り返ってみると、「G大阪とMF家長は合わなかった。」というしかない。
■ 鮮やかな復活
2010年シーズンにC大阪でチームを3位に導いたことが評価されて優秀選手にも選ばれた。アジアカップの予備登録メンバーにも入っていて、2007年から遠ざかっている代表復帰も期待される存在となったが、復活したのは大分時代の2009年シーズンであり、大分では格の違いを見せつけていた。
大分でボランチで起用されることもあったが、この経験が本人には大きかったようで、サイド専門のプレーヤーというイメージが強ったMF家長は、プロの世界でも、中央の位置でプレーすることが可能になった。2008年2月に右膝前十字靭帯損傷を負傷したことで、「終わった選手」と思われていた時期もあったが、今では、怪我の影響は全く感じさせない。
それにしても、今シーズン、C大阪で見せたプレーは圧巻だった。秋口になってやや調子を落としたが、夏場と終盤戦の活躍は目覚ましかった。C大阪では<4-2-3-1>の「3」のポジションを任されたが、自由に動き回ってチャンスを演出した。際立つのはキープ力であり、フィジカルの強さは群を抜いている。ラストパスのセンスもあって、アシストやアシストのアシストも多かった。MF家長というと「ドリブラー」というイメージが強かったが、大分やC大阪では味方を使うプレーが格段に上手くなったので、プレーヤーとしての幅は広がった。
■ 卓越したフィジカルとキープ力
これまで、日本人選手が海外に移籍するとき、「フィジカルで負けないだろうか?」という不安が付きまとったが、MF家長に関しては全く問題はない。むしろ、海外の選手をふっとばしてドリブルで突き進みそうなイメージである。
課題は得点力である。とにかくシュートがうまくない選手であり、J1では148試合で10ゴールのみ。今シーズンも31試合で4ゴールのみ。攻撃的MFの選手としてはさびしい数字が残っている。
ただ、得点を取れそうなポテンシャルはある。ドリブルで相手を外してシュートを打つことも出来るし、左足のシュートは(枠には飛ばないが、)強力である。最近では、セットプレーのターゲットとしての資質があることを見せ始めていて、シーズン終盤にセットプレーからヘディングでゴールを狙うシーンが非常に多かった。
ということで、人並みに得点を奪う才能はあるはずであるが、なぜかゴールから見放されてしまう。「家長に得点力がないこと。」はサッカー界の七不思議といっていいレベルである。海外挑戦にたって、この部分は不安である。
■ 家長昭博はスペインでも活躍できるのか??
移籍先はスペインになりそうであるが、スペインリーグという日本人には鬼門のリーグであり、FW城彰二、FW西澤明訓、FW大久保嘉人、MF中村俊輔といった日本代表の中心選手が挑戦したが、いずれも思うような結果は残せず、定着することは出来なかった。特に2009年-2010年シーズンにMF中村俊輔がエスパニョールに移籍したが、なかなか出場機会に恵まれずに途中で退団したことは記憶に新しい。
スペイン人にとっては、日本人がリーガで活躍するイメージは皆無だと思うが、個人的には、MF家長であればそのイメージを払しょくできる可能性はあると思う。ドイツでプレーするMF香川のようなゴールを量産する活躍は難しいだろうが、気の利いたプレーも出来るし、ドリブルやパスで魅せるプレーも出来る。スペイン人に好まれそうなプレースタイルであり、スペインでも認められる可能性は十分にあるだろう。
確かに、MF中村俊輔が活躍できなかったが、これは能力的な問題というよりは、すでに少しピークを過ぎていた時期のスペイン移籍だったことが大きかったように思う。おそらく、全盛期のMF中村俊であれば、問題なくプレーできただろうし、過度にスペイン・コンプレックスを抱く必要はない。
ポジションはボランチという可能性は低いだろうから、サイドハーフか、トップ下ということになるだろう。どのポジションでも、日本時代に経験があるので、大きな問題にはならないだろう。エスパニョールでプレーしたときのMF中村俊はキレを失っていた時期であり、サイドでボールを持ったときに1対1の場面でもドリブルで突破できずに流れを切ることが多かったが、MF家長の場合は、得意のプレーであり、むしろ見せ場である。シーズン途中での移籍なので、まずはサブからのスタートになるだろうが、結果を残してチャンスをつかんでほしい。
■ 家長昭博はスペインでも活躍できるのか??
これだけ、日本人の移籍話が出てくると、Jリーグの空洞化という心配も出てくるが、ワールドカップ後のシーズンは、一番、海外に挑戦しやすい時期であり、能力を認められた選手は積極的に挑戦するべきだと思う。特にMF家長の場合、「複数年契約での完全移籍」ということで、条件としてはかなりいい部類である。
海外移籍の場合、チーム内に強力なライバルがいるかどうか、監督がどれだけて理解してくれているか、チームメイトとうまくコミュニケートできるか、家族が不安なく生活できるか等、いろいろな障害があるので、活躍できるとは断言できないが、基本的には、技術や創造性のある選手は、どの国に行ってもサポーターから愛されるはずである。運動量等、足りない部分もあるが、期待したいところである。
家長昭博 (いえなが・あきひろ)
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2010年はセレッソ大阪でプレーしたMF家長昭博がスペインリーグのマジョルカに移籍することが濃厚になってきた。少し前には、同じスペインのアトレチコ・マドリーへの移籍話が出ていたが、今度はマジョルカ。以前、ヴィッセル神戸のFW大久保嘉人が所属していたクラブである。
MF家長の保有権を持つのはガンバ大阪であるが、2008年、2009年は大分トリニータ、2010年はセレッソ大阪でプレー。共にレンタルでの移籍であり、2010年シーズン終了後、ガンバ大阪に復帰するのか、セレッソ大阪に完全移籍するのか、他のJクラブに移籍するのか、海外に移籍するのか、いろいろな選択肢があったあ、もともと海外志向が強い選手であり、このたび、悲願だった海外移籍が実現しそうな運びとなった。
MF家長はガンバユース時代から名前の知られた選手であり、2005年には20歳以下で争われるワールドユースにも出場している。2004年に高校3年生でG大阪とプロ契約し、いきなりデビュー戦でゴールをマーク。左サイドを主戦場とし、卓越したキープ力と緩急のあるドリブルで頭角を現し、G大阪でも準主力として活躍。北京五輪代表チームでも主力となった時期があったが、2007年シーズンに試みがされた右ウイングへのコンバートがうまくいかずに、G大阪でも出場機会が減っていった。当時のG大阪は、MF遠藤、MF二川、MF橋本、MF明神と中盤にタレントが揃っており、彼らを脅かすことはMF家長といえども難しかった。
結局、2007年のオフに大分にレンタルで移籍するも、シーズン開幕前の2008年2月に右膝前十字靭帯損傷を負傷。全治6ヶ月の重傷を負って、五輪出場もならなかった。復活したのは2009年シーズン。開幕から白星に見放されて降格の危機が迫りつつあった大分でシーズン途中にチャンスを得ると、ボランチや右ウイングバックといったポジションで新境地を開拓。鮮やかな復活を遂げた。結局、チームは降格してしまったが、ポポビッチ監督の下、快進撃を見せたチームを支える見事な活躍を見せた。
大分がJ2に降格したことで、G大阪に復帰するかと思われたが、移籍先に選んだのはライバルのC大阪。開幕当初はレギュラーではなかったが、7節からスタメン起用されると、その後、チームは快進撃を続けた。
■ 出場機会を失ったG大阪時代
G大阪時代はMF遠藤という軸になる選手がいたため、MF家長が起用されたのはサイドのポジションがほとんどだった。キープ力があって、ドリブルもうまいので、サイドアタッカーとしても機能していたが、西野監督はFWメッシとダブらせて、右ウイングでMF家長を試した。しかし、シュートがうまくないということもあって、なかなか成功はしなかった。
西野監督との確執も噂されたが、西野監督はMF家長の能力を高く評価しており、我慢して起用していたので、そういったことはなかったと思われるが、当時のG大阪はタレントが豊富で、MF家長にこだわる必要もなかった。その結果、出場機会を失うことになった。タイプ的にはチームの中心になって攻撃をリードしたい選手であるが、MF遠藤がいたことで、G大阪では思い通りのプレーは出来なかった。
当時のMF家長にはMF遠藤やMF二川を押しのけてポジションを奪うだけの実力や安定感はなかったし、G大阪はMF家長なしでもタイトルをいくつも獲得できていた。今、振り返ってみると、「G大阪とMF家長は合わなかった。」というしかない。
■ 鮮やかな復活
2010年シーズンにC大阪でチームを3位に導いたことが評価されて優秀選手にも選ばれた。アジアカップの予備登録メンバーにも入っていて、2007年から遠ざかっている代表復帰も期待される存在となったが、復活したのは大分時代の2009年シーズンであり、大分では格の違いを見せつけていた。
大分でボランチで起用されることもあったが、この経験が本人には大きかったようで、サイド専門のプレーヤーというイメージが強ったMF家長は、プロの世界でも、中央の位置でプレーすることが可能になった。2008年2月に右膝前十字靭帯損傷を負傷したことで、「終わった選手」と思われていた時期もあったが、今では、怪我の影響は全く感じさせない。
それにしても、今シーズン、C大阪で見せたプレーは圧巻だった。秋口になってやや調子を落としたが、夏場と終盤戦の活躍は目覚ましかった。C大阪では<4-2-3-1>の「3」のポジションを任されたが、自由に動き回ってチャンスを演出した。際立つのはキープ力であり、フィジカルの強さは群を抜いている。ラストパスのセンスもあって、アシストやアシストのアシストも多かった。MF家長というと「ドリブラー」というイメージが強かったが、大分やC大阪では味方を使うプレーが格段に上手くなったので、プレーヤーとしての幅は広がった。
■ 卓越したフィジカルとキープ力
これまで、日本人選手が海外に移籍するとき、「フィジカルで負けないだろうか?」という不安が付きまとったが、MF家長に関しては全く問題はない。むしろ、海外の選手をふっとばしてドリブルで突き進みそうなイメージである。
課題は得点力である。とにかくシュートがうまくない選手であり、J1では148試合で10ゴールのみ。今シーズンも31試合で4ゴールのみ。攻撃的MFの選手としてはさびしい数字が残っている。
ただ、得点を取れそうなポテンシャルはある。ドリブルで相手を外してシュートを打つことも出来るし、左足のシュートは(枠には飛ばないが、)強力である。最近では、セットプレーのターゲットとしての資質があることを見せ始めていて、シーズン終盤にセットプレーからヘディングでゴールを狙うシーンが非常に多かった。
ということで、人並みに得点を奪う才能はあるはずであるが、なぜかゴールから見放されてしまう。「家長に得点力がないこと。」はサッカー界の七不思議といっていいレベルである。海外挑戦にたって、この部分は不安である。
■ 家長昭博はスペインでも活躍できるのか??
移籍先はスペインになりそうであるが、スペインリーグという日本人には鬼門のリーグであり、FW城彰二、FW西澤明訓、FW大久保嘉人、MF中村俊輔といった日本代表の中心選手が挑戦したが、いずれも思うような結果は残せず、定着することは出来なかった。特に2009年-2010年シーズンにMF中村俊輔がエスパニョールに移籍したが、なかなか出場機会に恵まれずに途中で退団したことは記憶に新しい。
スペイン人にとっては、日本人がリーガで活躍するイメージは皆無だと思うが、個人的には、MF家長であればそのイメージを払しょくできる可能性はあると思う。ドイツでプレーするMF香川のようなゴールを量産する活躍は難しいだろうが、気の利いたプレーも出来るし、ドリブルやパスで魅せるプレーも出来る。スペイン人に好まれそうなプレースタイルであり、スペインでも認められる可能性は十分にあるだろう。
確かに、MF中村俊輔が活躍できなかったが、これは能力的な問題というよりは、すでに少しピークを過ぎていた時期のスペイン移籍だったことが大きかったように思う。おそらく、全盛期のMF中村俊であれば、問題なくプレーできただろうし、過度にスペイン・コンプレックスを抱く必要はない。
ポジションはボランチという可能性は低いだろうから、サイドハーフか、トップ下ということになるだろう。どのポジションでも、日本時代に経験があるので、大きな問題にはならないだろう。エスパニョールでプレーしたときのMF中村俊はキレを失っていた時期であり、サイドでボールを持ったときに1対1の場面でもドリブルで突破できずに流れを切ることが多かったが、MF家長の場合は、得意のプレーであり、むしろ見せ場である。シーズン途中での移籍なので、まずはサブからのスタートになるだろうが、結果を残してチャンスをつかんでほしい。
■ 家長昭博はスペインでも活躍できるのか??
これだけ、日本人の移籍話が出てくると、Jリーグの空洞化という心配も出てくるが、ワールドカップ後のシーズンは、一番、海外に挑戦しやすい時期であり、能力を認められた選手は積極的に挑戦するべきだと思う。特にMF家長の場合、「複数年契約での完全移籍」ということで、条件としてはかなりいい部類である。
海外移籍の場合、チーム内に強力なライバルがいるかどうか、監督がどれだけて理解してくれているか、チームメイトとうまくコミュニケートできるか、家族が不安なく生活できるか等、いろいろな障害があるので、活躍できるとは断言できないが、基本的には、技術や創造性のある選手は、どの国に行ってもサポーターから愛されるはずである。運動量等、足りない部分もあるが、期待したいところである。
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