フィービー・ブリジャーズが語る音楽的ルーツ、ロックの聖地サウンド・シティでの体験
2017年のデビュー・アルバム『ストレンジャー・イン・ジ・アルプス』で新世代を象徴するシンガー・ソングライターとなったフィービー・ブリジャーズが、今年2月に二日連続となる初来日公演を実施。ジュリアン・ベイカー、ルーシー・ダカスとの女性トリオ=ボーイジーニアスや、コナー・オバースト(ブライト・アイズ他)と組んだベター・オブリヴィオン・コミュニティー・センターも話題となった彼女が、歌と作曲のルーツ、メタルへの意外な(?)造詣などを語ってくれた。
―(公演開催より)一足先に来日して、京都観光を楽しんだみたいですね。
素晴らしかった! 現地のガイドさんがずっと「Happy wife, happy life」って連呼してたのがすごく可笑しくて……(笑)。コーヒー片手に湖を散歩したりもしたんだけど、私が今まで訪れた場所の中でもいちばん美しい場所のひとつだと思ったわ。
View this post on Instagram
Phoebe Bridgersさん(@_fake_nudes_)がシェアした投稿 - 2019年 2月月27日午後1時58分PST
―今回、あなたのソングライティングのレシピについてお聞きしたいと思います。11歳から作曲を始めたそうですが、そもそもギターを手にするようになったきっかけは?
お父さんの友人がギターをプレゼントしてくれたの。それから好きなアーティストの曲を見よう見まねでカバーするようになった感じかな。
―どんな楽曲をプレイしていましたか?
たしか、フォーク・ミュージックだったと思う。ジョニ・ミッチェルとか、ジャクソン・ブラウン、それにエリオット・スミスが大好きだったから、彼らの曲をよくプレイしていたの。
―そういえば、あなたのお兄さんは「ジャクソン」っていう名前らしいですね。
そう、ジャクソン・ブラウンが由来ね(笑)。ちなみに、「フィービー」はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』から取ったと聞いたわ(主人公ホールデン・コールフィールドの妹)。
―では、人生ではじめて完成させたオリジナル曲って何ですか?
ええっと……。11歳のときに書いた「The Only Bird Flying the Other Way」って曲かな。子どもの頃の日記に書き留めただけだから、どこにも発表はしてないんだけど。それもフォーク調の曲だったはずよ。
―ギターやヴォーカルはすべて独学ですか? なにかしらの音楽教育は受けているのでしょうか。
10歳の頃にギターの先生がいて、すごく優しくてスウィートな人だったわ。その後はLos Angeles County High School for the Artsでパフォーミングアーツを学んだんだけど、ハイムの3姉妹やジョシュ・グローバンもこの学校の卒業生なの。
―へえ、錚々たる顔ぶれですね。歌詞に関しては、パッと言葉やメロディがひらめくタイプですか? それとも、常に思い付いたことをメモなどして、それを曲に落とし込んでいく?
いつもはこんな感じね(iPhoneのメモにびっしり打ち込まれた歌詞を見せる)。ほとんどが断片的なものなんだけど、ここからメロディを肉付けしたり、歌詞を作り込んでいくことが多いかな。もちろんメロディが先行することもあって、その時はとりあえずボイスメモに吹き込んだりね。
―では、3人のソングライターが集まったボーイジーニアスの場合は、どんな部分がチャレンジングでしたか?
チャレンジというよりも、イージーだったわ(笑)。何よりすごく楽しかったしね。それぞれがソロで曲を書けるソングライターであって、かつ年齢的にも同世代だから(フィービーは94年生まれで、ジュリアン・ベイカーとルーシー・ダカスは95年生まれ)、ヘンな気遣いとかもいらなかったし。いざ曲を書きはじめたら、4日間でライティングからレコーディングまで完成しちゃったことに自分たちでもビックリしたぐらいよ!
―ボーイジーニアスがレコーディングを行ったサウンド・シティって、デイヴ・グロールが映画化(2013年の『サウンド・シティ - リアル・トゥ・リール』)したあのスタジオで間違いありませんよね?
そうそう。デイヴはあのコンソールを自分のプライベート・スタジオに引き取ったのよ(※)。だから、映画に出ていたコンソールはもうサウンド・シティには置いてなかった(笑)。でも、ニルヴァーナやトム・ペティもレコーディングした場所だったから光栄だったわ。
※Neveのコンソールを買い取ったデイヴは、自身のスタジオ606に設置。ASIAN KUNG-FU GENERATIONが同スタジオに赴いた2015年作『Wonder Future』では、そのコンソールが録音に使われている。ちなみに、サウンド・シティは2011年に一度閉鎖したあと2017年に再オープンした。
―他にもサウンド・シティからは、あなたも好きなニール・ヤング(1970年の『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』)やフリートウッド・マック(1977年の『噂』)など数々の名盤が生まれていますよね。あの場所で何らかのマジックは感じましたか?
イエス! 素晴らしい体験だったわ。これまでのロックンロールの長い歴史は、何度も何度も白人男性が中心となって築き上げてきた。「ホワイト・ガイ・マジック」とでも言うのかしら(笑)。あなたも言うように、サウンド・シティってロックの巨人たちが入り浸った場所なわけでしょ? そんな伝統を、私たち3人の若い女性たちがぶち壊したっていうのが痛快よね。
―いわゆる「ロックの歴史」って興味がありますか?
そうね。実は先日ザ・ナショナルのマット(・バーニンガー)とサウンド・シティでレコーディングをしたんだけど、彼と一緒に座っていたソファは、昔カート・コバーンが歌詞を書くときに使っていたらしくて……。すごくクールだった(笑)。
Photo by Hikaru Hagiwara
―今年からスタートしたもうひとつのプロジェクト、ベター・オブリヴィオン・コミュニティー・センター(BOCC)の場合はどうでしょう。コナー・オバーストもキャリアを通してめちゃくちゃ多作な人ですが……。
去年の6月にはじめて4日間で完成したボーイジーニアスとは違って、BOCCはおよそ1年かけて準備したプロジェクトだったの。コナーは私が小さい頃からずっとファンで作品を聴いてきたアーティストでもあるし、憧れの存在でもあったから、まずは私が彼と同等(Peer)の立場にならなければいけなかった。アルバムの曲は最初から最後まで2人で作り上げたものなんだけど、コナーと私は2人とも脳みそをフル回転させながら曲を書いていたし、こういう作業は彼にとっても初めての経験だったみたいね。
―コナーが作ってきた作品の中で、一番のお気に入りは?
ブライト・アイズの『カッサダーガ』(2007年)かなあ……。あ、でも曲単位だったら「Cape Canaveral」がマイ・フェイバリットね! ソロ名義の最初のレコード(2008年の『Conor Oberst』)に入っているわ。宇宙船についてずっと歌っている曲で(ケープ・カナベラルは米フロリダ州の砂洲で、ケネディ宇宙センターとケープ・カナベラル空軍基地が存在)、私にとっては、彼がいかに素晴らしいソングライターであるのかを証明してくれるナンバーだと思っている。この曲って実はコナーにとってもお気に入りのひとつで、歌詞とメロディが宇宙に連れて行ってくれるような感覚があるのよね。
―BOCCの話に戻ると、「Dylan Thomas」のビデオはミシェル・ザウナー(ジャパニーズ・ブレックファスト)がディレクションしたんですよね。どういったコンセプトで撮影されたものなんでしょうか?
彼女いわく、『ツイン・ピークス』の世界を参考にしたみたい(笑)。それで、クレイジーでトリッピーなニューエイジっぽいイメージをみんなで集めたんだけど、結果的にはすごく楽しい撮影だったわ。そうだ! あなたたち、リリ・ヘイズ(※)のインスタはフォローしてる? 彼女はビデオの中でお婆ちゃんになった私を演じてくれてるんだけど、とても面白い人よ(iPhoneでリリの動画を見せながら爆笑)。彼女は、私たちの友人でもあるケヴィン・ヘイズっていうドキュメンタリー作家のママなの(笑)。
※1947年生まれのインスタグラム・スター。過去にフィオナ・アップルとも共演している。
―ちなみに、あのビデオで使われてる謎のシンボルって何ですか?
わかんない(笑)。レーベルが見つけてきたものをミシェルが選んだらしいから、私も教えてほしいぐらいよ!
View this post on Instagram
Phoebe Bridgersさん(@_fake_nudes_)がシェアした投稿 - 2019年 1月月30日午前9時15分PST
―続いて、ヴォーカルについても聞かせてください。あなたのヴォーカルってすごく美しく透き通っていて、我々リスナーは聴く度に惚れ惚れしてしまうんですけど、ご自身では自分の声をどう評価しているのですか?
面白いことに、私もジュリアンも「流れるような」とか、「透明感のある」って言われることが多いんだけど、喋るとこんな感じ(ハスキーな声質)なのよね(笑)。でも、私は歌うとき専用に声色やアクセントを変えたりするのは好きじゃなくって、これといって意識しなくても自然に出てくるのが私の歌声なの。
―去年ジュリアン・ベイカーにインタビューしたとき、「私はシンガーなんだという自覚が芽生えてからは、自分の声は価値があるものなんだって自信が持てるようになった」と語っていて、タバコも止めたと話していました。デビュー前とデビュー後のあなたでは、意識の面で何が大きく変わったと思いますか?
私も1年くらいタバコを吸ってたんだけど、同じく禁煙したわ(笑)。やっぱりツアーに出るようになってからは、自分の喉や声をケアするようになるしね。夜は11時くらいには寝るようにしているし、バーでお酒を飲むことも減ったかな。自分のヴォーカルに関していえば、もっとコントロールできるようになったと思う。
―それを特に強く自覚した楽曲は?
うーん。というよりも、毎回毎回が自分にとってチャレンジなのよね。「この曲で何々ができた」っていうよりは、「その曲がだんだんと歌えるようになっていく」というか。たとえば(ボーイジーニアスの)「Me & My Dog」だと、はじめは毎晩スクリームするような感覚だったんだけど、ツアーが終わる頃にはそこまで力まなくても自然と歌えるようになった。そういった変化の真っ最中にあると思っているわ。
―昨日のライブ(※)でカバーしたヴァル・マッカラム(ジャクソン・ブラウンのバンドに長年参加しているSSW)の「Tokyo Girl」は、日本のためにチョイスしてくれたものですか?
※このインタビューは来日公演2日目の日中に収録、夜のステージでもこの曲が披露された。
そうよ。カナダのヴァンクーヴァーで演奏するときは、ヴァンクーヴァー出身のジャパンドロイズの曲をカバーしたことがあるし、ミネアポリスで演奏するときはザ・リプレイスメンツをチョイスするみたいに、訪れる地域に合わせてカバー曲を変えるのが楽しくて好きなの。
東京・代官山UNITにて。Photo by Kazumichi Kokei
―来日公演の初日では出囃子にディスターブドの「Down With The Sickness」を使っていましたよね(※)。また、自身のグッズにもメタル・バンドっぽいロゴを使っていますし、普段からメタルはよく聴かれるのですか?
※2日目はカンニバル・コープス「Evisceration Plague」だった。
大ファンというほどではないけどね(笑)。メタリカの『ブラック・アルバム』(1991年)は大好きだし、アイアン・メイデンもよく聴いていたけど、メタルという「ジャンル」で聴くというよりは、そのアルバムやアーティスト単位で好きになることが多いかな。でも兄がメタラーだったから、自然と他の人より詳しくなっていたのかもしれないわ(笑)。
―メタラーだから黒いファッションが多いのかと思っていました(笑)。ラウド・ミュージック全般はどうですか?
リフューズドは大好きよ! あとはデス・グリップスとか……。
―ご自身でもそういった音楽をやってみたいとは思う?
きっと楽しいでしょうね(笑)。ボーイジーニアスやBOCCもそうなんだけど、ソロだったら絶対にやらないような音楽をやりたいとは思うわ。それとは別に、グルーパーみたいにコンセプチュアルなレコードを作ることにも興味がある。
―最後の質問です。長らくツアーで歌い続けていく中で、作った時とは気持ちや関係性が変わってしまった曲もあると思うんですよ。でも、ファンはその曲を求めている。そういった葛藤とどう折り合いを付けているのでしょうか?
実は、昨晩のステージでもそんなことを考えていたのよ。日本のオーディエンスってとても静かじゃない? だから騒々しいオーディエンスの前で演奏するときとは違って、目を閉じて歌うとまるで自分の練習場所にいるときのような気持ちになる。そうすると、もっとその曲を身近に感じることができるし、書いたときには分からなかったけれど、「自分はこんな気持ちを歌っていたんだ」と気付くことができるのね。コナーも言ってたんだけど、オーディエンスの前で歌うことによって、自分自身がその音楽を見つめ直すことになる。私にとって、曲との関係ってそういうものだと思っているわ。
Photo by Hikaru Hagiwara
素晴らしかった! 現地のガイドさんがずっと「Happy wife, happy life」って連呼してたのがすごく可笑しくて……(笑)。コーヒー片手に湖を散歩したりもしたんだけど、私が今まで訪れた場所の中でもいちばん美しい場所のひとつだと思ったわ。
View this post on Instagram
Phoebe Bridgersさん(@_fake_nudes_)がシェアした投稿 - 2019年 2月月27日午後1時58分PST
―今回、あなたのソングライティングのレシピについてお聞きしたいと思います。11歳から作曲を始めたそうですが、そもそもギターを手にするようになったきっかけは?
お父さんの友人がギターをプレゼントしてくれたの。それから好きなアーティストの曲を見よう見まねでカバーするようになった感じかな。
―どんな楽曲をプレイしていましたか?
たしか、フォーク・ミュージックだったと思う。ジョニ・ミッチェルとか、ジャクソン・ブラウン、それにエリオット・スミスが大好きだったから、彼らの曲をよくプレイしていたの。
―そういえば、あなたのお兄さんは「ジャクソン」っていう名前らしいですね。
そう、ジャクソン・ブラウンが由来ね(笑)。ちなみに、「フィービー」はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』から取ったと聞いたわ(主人公ホールデン・コールフィールドの妹)。
―では、人生ではじめて完成させたオリジナル曲って何ですか?
ええっと……。11歳のときに書いた「The Only Bird Flying the Other Way」って曲かな。子どもの頃の日記に書き留めただけだから、どこにも発表はしてないんだけど。それもフォーク調の曲だったはずよ。
―ギターやヴォーカルはすべて独学ですか? なにかしらの音楽教育は受けているのでしょうか。
10歳の頃にギターの先生がいて、すごく優しくてスウィートな人だったわ。その後はLos Angeles County High School for the Artsでパフォーミングアーツを学んだんだけど、ハイムの3姉妹やジョシュ・グローバンもこの学校の卒業生なの。
―へえ、錚々たる顔ぶれですね。歌詞に関しては、パッと言葉やメロディがひらめくタイプですか? それとも、常に思い付いたことをメモなどして、それを曲に落とし込んでいく?
いつもはこんな感じね(iPhoneのメモにびっしり打ち込まれた歌詞を見せる)。ほとんどが断片的なものなんだけど、ここからメロディを肉付けしたり、歌詞を作り込んでいくことが多いかな。もちろんメロディが先行することもあって、その時はとりあえずボイスメモに吹き込んだりね。
―では、3人のソングライターが集まったボーイジーニアスの場合は、どんな部分がチャレンジングでしたか?
チャレンジというよりも、イージーだったわ(笑)。何よりすごく楽しかったしね。それぞれがソロで曲を書けるソングライターであって、かつ年齢的にも同世代だから(フィービーは94年生まれで、ジュリアン・ベイカーとルーシー・ダカスは95年生まれ)、ヘンな気遣いとかもいらなかったし。いざ曲を書きはじめたら、4日間でライティングからレコーディングまで完成しちゃったことに自分たちでもビックリしたぐらいよ!
―ボーイジーニアスがレコーディングを行ったサウンド・シティって、デイヴ・グロールが映画化(2013年の『サウンド・シティ - リアル・トゥ・リール』)したあのスタジオで間違いありませんよね?
そうそう。デイヴはあのコンソールを自分のプライベート・スタジオに引き取ったのよ(※)。だから、映画に出ていたコンソールはもうサウンド・シティには置いてなかった(笑)。でも、ニルヴァーナやトム・ペティもレコーディングした場所だったから光栄だったわ。
※Neveのコンソールを買い取ったデイヴは、自身のスタジオ606に設置。ASIAN KUNG-FU GENERATIONが同スタジオに赴いた2015年作『Wonder Future』では、そのコンソールが録音に使われている。ちなみに、サウンド・シティは2011年に一度閉鎖したあと2017年に再オープンした。
―他にもサウンド・シティからは、あなたも好きなニール・ヤング(1970年の『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』)やフリートウッド・マック(1977年の『噂』)など数々の名盤が生まれていますよね。あの場所で何らかのマジックは感じましたか?
イエス! 素晴らしい体験だったわ。これまでのロックンロールの長い歴史は、何度も何度も白人男性が中心となって築き上げてきた。「ホワイト・ガイ・マジック」とでも言うのかしら(笑)。あなたも言うように、サウンド・シティってロックの巨人たちが入り浸った場所なわけでしょ? そんな伝統を、私たち3人の若い女性たちがぶち壊したっていうのが痛快よね。
―いわゆる「ロックの歴史」って興味がありますか?
そうね。実は先日ザ・ナショナルのマット(・バーニンガー)とサウンド・シティでレコーディングをしたんだけど、彼と一緒に座っていたソファは、昔カート・コバーンが歌詞を書くときに使っていたらしくて……。すごくクールだった(笑)。
Photo by Hikaru Hagiwara
―今年からスタートしたもうひとつのプロジェクト、ベター・オブリヴィオン・コミュニティー・センター(BOCC)の場合はどうでしょう。コナー・オバーストもキャリアを通してめちゃくちゃ多作な人ですが……。
去年の6月にはじめて4日間で完成したボーイジーニアスとは違って、BOCCはおよそ1年かけて準備したプロジェクトだったの。コナーは私が小さい頃からずっとファンで作品を聴いてきたアーティストでもあるし、憧れの存在でもあったから、まずは私が彼と同等(Peer)の立場にならなければいけなかった。アルバムの曲は最初から最後まで2人で作り上げたものなんだけど、コナーと私は2人とも脳みそをフル回転させながら曲を書いていたし、こういう作業は彼にとっても初めての経験だったみたいね。
―コナーが作ってきた作品の中で、一番のお気に入りは?
ブライト・アイズの『カッサダーガ』(2007年)かなあ……。あ、でも曲単位だったら「Cape Canaveral」がマイ・フェイバリットね! ソロ名義の最初のレコード(2008年の『Conor Oberst』)に入っているわ。宇宙船についてずっと歌っている曲で(ケープ・カナベラルは米フロリダ州の砂洲で、ケネディ宇宙センターとケープ・カナベラル空軍基地が存在)、私にとっては、彼がいかに素晴らしいソングライターであるのかを証明してくれるナンバーだと思っている。この曲って実はコナーにとってもお気に入りのひとつで、歌詞とメロディが宇宙に連れて行ってくれるような感覚があるのよね。
―BOCCの話に戻ると、「Dylan Thomas」のビデオはミシェル・ザウナー(ジャパニーズ・ブレックファスト)がディレクションしたんですよね。どういったコンセプトで撮影されたものなんでしょうか?
彼女いわく、『ツイン・ピークス』の世界を参考にしたみたい(笑)。それで、クレイジーでトリッピーなニューエイジっぽいイメージをみんなで集めたんだけど、結果的にはすごく楽しい撮影だったわ。そうだ! あなたたち、リリ・ヘイズ(※)のインスタはフォローしてる? 彼女はビデオの中でお婆ちゃんになった私を演じてくれてるんだけど、とても面白い人よ(iPhoneでリリの動画を見せながら爆笑)。彼女は、私たちの友人でもあるケヴィン・ヘイズっていうドキュメンタリー作家のママなの(笑)。
※1947年生まれのインスタグラム・スター。過去にフィオナ・アップルとも共演している。
―ちなみに、あのビデオで使われてる謎のシンボルって何ですか?
わかんない(笑)。レーベルが見つけてきたものをミシェルが選んだらしいから、私も教えてほしいぐらいよ!
View this post on Instagram
Phoebe Bridgersさん(@_fake_nudes_)がシェアした投稿 - 2019年 1月月30日午前9時15分PST
―続いて、ヴォーカルについても聞かせてください。あなたのヴォーカルってすごく美しく透き通っていて、我々リスナーは聴く度に惚れ惚れしてしまうんですけど、ご自身では自分の声をどう評価しているのですか?
面白いことに、私もジュリアンも「流れるような」とか、「透明感のある」って言われることが多いんだけど、喋るとこんな感じ(ハスキーな声質)なのよね(笑)。でも、私は歌うとき専用に声色やアクセントを変えたりするのは好きじゃなくって、これといって意識しなくても自然に出てくるのが私の歌声なの。
―去年ジュリアン・ベイカーにインタビューしたとき、「私はシンガーなんだという自覚が芽生えてからは、自分の声は価値があるものなんだって自信が持てるようになった」と語っていて、タバコも止めたと話していました。デビュー前とデビュー後のあなたでは、意識の面で何が大きく変わったと思いますか?
私も1年くらいタバコを吸ってたんだけど、同じく禁煙したわ(笑)。やっぱりツアーに出るようになってからは、自分の喉や声をケアするようになるしね。夜は11時くらいには寝るようにしているし、バーでお酒を飲むことも減ったかな。自分のヴォーカルに関していえば、もっとコントロールできるようになったと思う。
―それを特に強く自覚した楽曲は?
うーん。というよりも、毎回毎回が自分にとってチャレンジなのよね。「この曲で何々ができた」っていうよりは、「その曲がだんだんと歌えるようになっていく」というか。たとえば(ボーイジーニアスの)「Me & My Dog」だと、はじめは毎晩スクリームするような感覚だったんだけど、ツアーが終わる頃にはそこまで力まなくても自然と歌えるようになった。そういった変化の真っ最中にあると思っているわ。
―昨日のライブ(※)でカバーしたヴァル・マッカラム(ジャクソン・ブラウンのバンドに長年参加しているSSW)の「Tokyo Girl」は、日本のためにチョイスしてくれたものですか?
※このインタビューは来日公演2日目の日中に収録、夜のステージでもこの曲が披露された。
そうよ。カナダのヴァンクーヴァーで演奏するときは、ヴァンクーヴァー出身のジャパンドロイズの曲をカバーしたことがあるし、ミネアポリスで演奏するときはザ・リプレイスメンツをチョイスするみたいに、訪れる地域に合わせてカバー曲を変えるのが楽しくて好きなの。
東京・代官山UNITにて。Photo by Kazumichi Kokei
―来日公演の初日では出囃子にディスターブドの「Down With The Sickness」を使っていましたよね(※)。また、自身のグッズにもメタル・バンドっぽいロゴを使っていますし、普段からメタルはよく聴かれるのですか?
※2日目はカンニバル・コープス「Evisceration Plague」だった。
大ファンというほどではないけどね(笑)。メタリカの『ブラック・アルバム』(1991年)は大好きだし、アイアン・メイデンもよく聴いていたけど、メタルという「ジャンル」で聴くというよりは、そのアルバムやアーティスト単位で好きになることが多いかな。でも兄がメタラーだったから、自然と他の人より詳しくなっていたのかもしれないわ(笑)。
―メタラーだから黒いファッションが多いのかと思っていました(笑)。ラウド・ミュージック全般はどうですか?
リフューズドは大好きよ! あとはデス・グリップスとか……。
―ご自身でもそういった音楽をやってみたいとは思う?
きっと楽しいでしょうね(笑)。ボーイジーニアスやBOCCもそうなんだけど、ソロだったら絶対にやらないような音楽をやりたいとは思うわ。それとは別に、グルーパーみたいにコンセプチュアルなレコードを作ることにも興味がある。
―最後の質問です。長らくツアーで歌い続けていく中で、作った時とは気持ちや関係性が変わってしまった曲もあると思うんですよ。でも、ファンはその曲を求めている。そういった葛藤とどう折り合いを付けているのでしょうか?
実は、昨晩のステージでもそんなことを考えていたのよ。日本のオーディエンスってとても静かじゃない? だから騒々しいオーディエンスの前で演奏するときとは違って、目を閉じて歌うとまるで自分の練習場所にいるときのような気持ちになる。そうすると、もっとその曲を身近に感じることができるし、書いたときには分からなかったけれど、「自分はこんな気持ちを歌っていたんだ」と気付くことができるのね。コナーも言ってたんだけど、オーディエンスの前で歌うことによって、自分自身がその音楽を見つめ直すことになる。私にとって、曲との関係ってそういうものだと思っているわ。
Photo by Hikaru Hagiwara