山本賢一朗君

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分数は小学校算数の大きなヤマ場だ。多くの子は、これまでの整数の計算との混乱でつまずいてしまう。そんな分数を直感的に習得できる教材を発明した子がいる。

■算数の落ちこぼれを救った「分数ものさし」開発秘話

算数が苦手という話になると必ずといっていいほど登場するのが「分数の計算」だ。とりわけわり算は、大人ですら「どうしてひっくり返してかけるのか、さっぱりわからない!」と開き直ってしまうことも珍しくないだろう。

静岡県浜松市の中学1年生、山本賢一朗君も小学5年生の頃、友達からそんな相談を受けた。

以前から友達から勉強の相談を受けることが多かった賢一朗君だが、分数の計算の説明には苦労した。かけ算なのにどうして答えが元の数字よりも小さくなるのか。反対に割り算なのに大きくなるのはどうしてか。そして、なぜ割る数の分母と分子をひっくり返してかけるのか……。何度説明してもなかなか納得してもらえない。

「どうにかして簡単にわかってもらえる方法はないかな……。はじめは、円盤をピザを切るように扇形に等分して説明できないかとも思いました。でも、それでは計算の説明には無理がある。考えあぐねていたんです」

ずっと考えていたある日、賢一朗君は塾を経営する父・裕一朗さんから1本の「ものさし」を渡された。「素数ものさし」だ。裕一朗さんは息子が悩んでいるのを知っていたが、塾で教える立場でも、子供たちがつまずきやすい分数の計算をわかりやすく説明することは切実な問題。さまざまな教材を調べるうち、素数ものさしに出合った。

「素数の部分にだけ目盛りがついているものさしです。京都大学の生協で売られているもので、修学旅行で京都に行った教え子に買ってきてもらったんです」(裕一朗さん)

素数、つまり、2cm、3cm、5cm、7cm、11cm、13cm、17cmにしか目盛りがついていない。当然、ものさしとしては実に不便である。

「でも、そこがいい。素数以外の長さも、工夫すれば測れないこともない。そういった、ちょっとゲーム感覚の面白さがあって、しかも素数を『視覚化』しているところが興味深いですよね」(裕一朗さん)

素数ものさしを見ていて賢一朗君はひらめいた。目盛りのつけ方を工夫したものさしで、分数が説明できるのではないか……と。

■分数を整数に置き換えるという画期的発想

ここで、分数ものさしの仕組みを説明しておこう。

賢一朗君は12という数字に着目した。12は2でも3でも割り切れる、約数の多い数だ。だから12等分の目盛りをつけておけば、12分の1はもちろん、2分の1、3分の1、4分の1、6分の1も表すことができる。

分母が2、3、4、6の分数はどれも分母が12の分数に置き換えて考えることができるから、たし算やひき算の計算はすぐにできる。このアイデアは素数ものさしを見てすぐに浮かんだという。

賢一朗君は、5年生の夏をまるまる使い、分数ものさしを形にまとめた。夏休みの自由研究の作品として提出すると、浜松市の小中学生発明くふう展で優秀賞に輝いた。

■「分数ものさし」で分数の加減乗除ができる

しかし、賢一朗君はこれで満足したわけではなかった。かけ算、わり算も説明できるはずだ、と考えたのだ。

そんな賢一朗君の様子を見ていた裕一朗さんは、自分の母校である静岡大学に、この分数ものさしを持ち込んでみた。すると、同大教育学部の塩田真吾准教授が興味をもってくれた。塩田准教授から改良へのアドバイスと課題をもらいながら、少しずつ改良を重ねた。

たとえば、わり算のアイデアが生まれた原点がマグネットを使った試作品だ。12分の1や12分の2が1個ずつバラバラになっている。12分の1を並べているうちに、2分の1や3分の1を整数に置き換えるというアイデアが思い浮かんだのだ。

例えば6分の1÷2分の1の計算。6分の1、2分の1はそれぞれ、「12分の1がいくつ分」と整数に置き換える。6分の1÷2分の1は「2個」を「6個」で割ること、つまり、2÷6=3分の1と計算できるのだ。

「この『整数に置き換える』アイデアを賢一朗がもってきたときには、わが子ながら驚きました」

分数の計算がわからない――そんな友達の相談を受けてから1年。ついに賢一朗君の満足いく「分数ものさし」ができあがった。大学がお披露目したところ様々なメディアから取材を受け商品化も決まった。

「こだわったのは小学生の筆箱に入る15cmで作ったこと。特別な教材ではなくて、普段から使うことで分数感覚が自然と身につくと思います。たくさんの人に使ってもらえるものができたらいいなとは思っていましたが、本当に商品になるなんてびっくりしました」(賢一朗君)

■父曰く「天才じゃない」から発明できた

分数ものさしの開発譚を聞いていると、賢一朗君はさぞや天才少年なんだろう……と思えてしまうが、父親の裕一朗さんから見るとまったく逆なのだという。

「仕事柄たくさんのお子さんを見てきました。そのなかには、いわゆる『地頭のいい子』も何人かいました。でも賢一朗はまったく違うタイプ。興味のあるものはどんどん吸収するんですが、それ以外のことは何度教えてもなかなか覚えない。経験上、幼児期から低学年くらいまでに、基本的な学習能力は決まると思っています。ムラのあるタイプの子は、勉強量をできるだけ積み重ねて、もっている素質の底上げをしておく必要があると考えていました」

裕一朗さんは賢一朗君に「おまえは天才じゃないから努力しろ! 他人の100倍勉強しないとだめだ」と宣言。テスト前、賢一朗君の勉強内容をチェックして「この程度で安心していいのか? まだまだだろう!」とできるまで机に向かわせた。時には夜10時や11時になることもあったという。

「あの頃は賢一朗にいつも厳しく、冷たく接していましたね。毎日泣かせていましたよ」(裕一朗さん)

■中1になった今は「津波体験キット」作りに夢中

そのかいあって、賢一朗君の学校の成績はぐんぐん伸びて、クラスで勉強のことを頼られるような存在となったのだ。しかし、そんなにスパルタな父を賢一朗君はどう感じていたのだろうか。

「はじめのうちはつらかったです。でも、言われた通りコツコツやっていると勉強ができるようになってきて……。ああ、こういうことも大切なんだなと思うようになりました。いまは、やってよかったなと思っています」

「つらくあたった」と話す裕一朗さんだが、生活のすべてを勉強でがんじがらめにしたわけではない。賢一朗君はむしろ多趣味といっていいだろう。運動だけでもサッカー、テニス、卓球、水泳、剣道。幼稚園から続けるピアノでは4年生で全校の伴奏をやるようになり、浜松市音楽科研究発表会の伴奏にも選ばれた。作曲もこなす。また、読書感想文コンクールも入賞常連となった。

「習い事で学んだのは頑張らなくちゃいけないときは頑張るということ。コツコツやってきた結果が出たのが4年生頃かな」(賢一朗君)

中学生になった賢一朗君。ある日突然、「津波の力ってどれくらいかなあ」と言いだした。東日本大震災の映像を見て津波の恐ろしさを知ったからだ。

水圧などについて習った賢一朗君は、足に巻くおもりとエキスパンダーを組み合わせ、津波の引き潮を体感できるキットをつくり、夏休みの自由研究として提出した(浜松市小中学生理科自由研究展銅賞。特許申請中)。中学3年間をかけて津波に取り組んでみたいという。

「常に頭のなかに、これってできないかな、というアイデアがいくつかあるんです。津波もそうですし。たとえば、ベクトルをうまく説明できないかとか、あとワープって本当にできないかな、とか……。そんなことを考えたり、工夫したりするのが好きなんですね」(賢一朗君)

(金子 聡一 撮影=干川 修)