うぬぼれていたわけではありませんが、J1はもちろん、代表でも、海外でもやってきた。2013年もそれなりに試合には出ていたし、スムーズに次が決まるかと思っていましたけど、考えが甘かったですね。1か月ぐらいオファーを待つ状態で、引退という二文字がちらつきましたが、それは絶対にしたくなかった。でも、移籍先が決まらなければ、自分の意志とは関係なく、現役を辞めなければならない。
 
 妻にも前向きなことがなかなか言えませんでした。不安はありましたが、でもその気持ちを誰にも言えなくて、あの時は苦しかったですね」
 
――最終的には、J2の岐阜への移籍が決まりましたが、当時のように心が折れそうな時、苦境に陥った時、そこから這い上がるために大事にしてきたこととは?
 
「諦めたくないとか、もっと頑張らないととか、自分を奮い立たせることも必要ですが、僕の場合は、グラウンドに入ると、そういった感情は一切なくなって、純粋にサッカーを楽しめているんです。一生懸命に練習に励めば、充実感を得られる。
 
 その時の気持ちだけは、絶対に忘れないようにしていました。自分が立ち返る場所というのかな。サッカーで勝負していて、これで生きているんだと実感できる瞬間を大事にする。必死にやるけど、エンジョイすることも忘れないように、という感じですね」
 
――今年8月には、42歳を迎えました。現役にこだわるのは、サッカーが好きで楽しいからですか、それとも、このままでは終わりたくないという気持ちのほうが強いから?
 
「正直に言えば、現役は楽しいだけではありません。試合に負けたり、納得のいくプレーができなければ、それはそれで辛いし、苦しい。楽しみもあるけど、葛藤とか、苦痛とか、そういったものもすべて合わせて、プロだと思っています。
 
 今の自分としては、このままでは終わりたくないという気持ちのほうが強いですね。サッカーを始めて、ある意味、順風満帆なサッカー人生を送ってきて、挫折もして、そこから這い上がって。それを何度か繰り返してきたなかで、大きな怪我をして、自分が納得のいくパフォーマンスがだんだんできなくなってきていた。
 
 それで、もう何をどうすればいいか分からない時期があって、自分がどんどん落ちていくのも分かるんです。でも、ある時、信頼できる治療家の方に出会えて、改善の兆しが見えてきた。ここからまた、上がっていける感触を掴めたんです。
 
 年齢的にも全盛期の頃に戻るのは難しいけど、少しでもいいから盛り返していきたい。這い上がっていく自分を見つけられれば、もしかしたらどこかで納得できるかもしれない。引退するとすれば、そんな自分を見届けられた時かもしれませんね」
 
――だから、このままでは終わりたくない、と?
 
「そこはやっぱりプライドでもありますね。トップレベルでやってきた自負もある。現状からダメになっていくのではなく、良くなっていく過程でグローブを外す決意ができれば、まだ何をするかは決めていませんが、次の道にも気持ち良く進めるはず。
 
 現役を退くなら、自分の納得のいく形で。そう上手く行くとは思っていません。口で言うほど簡単ではないし、心残りがあるまま、引退することになる可能性は十分にある。だから、これもまたチャレンジ、『壁』ですよね。
 
 あとはやっぱり、親としての責任ですね。脚光を浴びてやっているだけじゃない。大変な状況でも、這いつくばってでも目標を達成する。そういう姿を、子どもたちにも見せたいんです。もしかしたら、小さくてまだ分からないかもしれないけど、自分が実体験していれば、僕の言葉にも説得力が生まれるはず。そのほうが相手の心に響くと思うんです。そういうメッセージを伝えられるような親、人間になりたいんです」