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トヨタ・スープラ(1986)

スープラというのはセリカの輸出時に冠されていた名前で、その名前が完全に独立したのは1986年のことだった。当時は203psのストレート6を搭載していたが、2002年の最後のスープラは324psを発生させ、0-97km加速を5秒足らずでこなすクルマとなった。

トヨタ・セリカGT-Four(1988)

もともと後輪駆動だったセリカが前輪駆動になったのは1985年のこと。1988年には4駆のグレードも追加され、GT-Fourと名乗った。184psのターボチャージドエンジンを搭載し、アウディ・クアトロよりも安かった。われわれはGT-Fourの持つパワー、パフォーマンス、安定感を愛していたが、漠然としたステアリングだけは情熱を殺いだ。

レクサスLS400(日本名:セルシオ)(1989)

豊田喜一郎のいとこである豊田栄治が1983年に組織した、世界中のライバルに対抗できる高級車を作るという目標を掲げたチームが示した集大成がこのクルマ。1989年の発売開始から2年後、アメリカ国内における輸入車販売台数のなかでトップに輝いた。

AUTOCARがこのクルマに初めて試乗したのは1990年のこと。「なぜアメリカでヨーロッパの並み居るライバルたちを蹴散らせたのかがすぐにわかる。のびやかで静粛性にも富んでいるし、リラックスしたりドライビングの喜びを味わうことだってできるクルマ。しかしもっと良いクルマだってある。トヨタにしては上出来、そんなところだ」と評していた。

アメリカでのレクサスの成功の源をたどれば、ここに行き着く。

トヨタ・セラ(1990)

日本国内向けのクルマだが、イギリスやアメリカにも少しだけ輸出された。コンセプトカーとして出展されたときはAXV-競灰鵐札廛箸般松茲辰討い織札蕕正式に生産開始されたのは1995年。1496ccのエンジンを搭載し、約16000台が作られた。

トヨタRAV4(1994)

RAV4は小型SUVという新しいジャンルを開拓した。1994年にスズキ・ビターラ(日本名:エスクード)や、ダイハツ・スポ―トラック(日本名:ロッキー)と比較試乗したが、とくに目立ったことはなかった。しかしトヨタ製の多目的車としてのコンセプトがはっきりとわかるクルマであった。

トヨタ・プリウス(1997)

初代プリウスは不格好だ。1997年に販売の火ぶたが切って落とされて以来、1000万台ものハイブリドカーが作られた。

プリウスを1998年に初めてドライブした際に、日本で先駆けて発売された近未来のクルマが世界に届くまで、そう時間は掛からないだろう」と言ったが、2000年にはイギリスとアメリカでも販売が開始され、環境的な取り組みにプリウスは魅力的な選択肢のひとつであった。

トヨタ・ヤリス(日本名:ヴィッツ)(1999)

大衆向けのマーケットはつまらないものになっていたが、このクルマが登場した1999年、われわれは「新しくてバランスよくできている、チャーミングなトヨタを求めてショールームには人だかりができるだろう」と述べていた。

アメリカでは、ヤリスはコンパクトカーとしてしか売られていなかったが、このたびヤリスiAというクルマがデビューした。マツダ2(日本名:デミオ)に毛が生えたほどの大きさ。やはりコンパクトだ。

トヨタiQ(2008)

トヨタは新しいシティビークルのカタチとしての革命を狙ったのだろうか。高すぎる値段設定は、iQの販売台数を虫の息にさせた。われわれは「ただクルージングの性能を備えているだけではなく、スマートを筆頭としたライバルのスーパーミニ勢と比較すると大人3人が乗れるレイアウト(4人乗りだが実質は3人乗りと言ったほうがいいため)という点で分がある」と述べたが、荷室は最低限であった。

2011年、アストン マーティンのテイストを織り交ぜたiQ、アストン マーティン・シグネットがスーパーカーを愛するひとに向け販売された。価格は£30,000(441万円)で、2年間の販売であった。

トヨタ86(2012)

トヨタはしばらくのあいだ、エンスージァストを喜ばせるようなクルマがなかったため、2012年にこのクルマが出たときは皆が歓迎した。「86はある種妥協なのかもしれないが、抱きしめたくなるクルマ。俊敏でシャープ、小さいスポーツカーを愛する世代へ向けたクルマだ」と評していた。

ちなみにアメリカの総合試験で5つ星を獲得しているクルマでもある。