実はボーイズラブ!?江戸時代のベストセラー「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんの真実

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十返舎一九による江戸文学東海道中膝栗毛』と言えば、江戸に住まう一介の町人である弥次郎兵衛と喜多八の名コンビが織りなす滑稽本にして旅行文学として有名です。絵本や児童書でもタイトルが“やじさんきたさん”と名付けられたり、長谷川町子さんによるパロディ漫画『新やじきた道中記』が今も読まれていたりと、万人向けのコメディとして流布しています。

しかし、原作の『膝栗毛』での“弥次喜多”コンビの、そうしたコミカルかつ颯爽とした弥次喜多コンビのイメージとは、はるかにかけ離れたものでした。今回は、弥次さんと喜多さんのキャラクターと、二人が旅立つまでの発端について二部構成で紹介していきます。

実は江戸っ子じゃなかった?後付けで駿府生れになった弥次喜多コンビ

『東海道中膝栗毛』は、当初の題名を『浮世道中膝栗毛』と言いましたが、人気が出て次々に続編が出された最後に発端が描かれました。それによると、弥次郎兵衛の出身地である府中(静岡県)で物語の発端が始まります。

本編では江戸っ子を気取っている場面が描かれる二人組ですが、発端では府中で出会ったことになっています。その理由と言うのが、「弥次喜多コンビの素性を知りたい」と言う読者からのリクエストがあったからとも、「あんな軽薄なのが江戸っ子か!」と叱られてしまったからとも言われています。

実はボーイズラブ?弥次さんと喜多さんの馴れ初め!

『膝栗毛』の主人公・弥次郎兵衛は本編では数え年で50歳(満49歳)の中年オヤジ扱いですが、元は栃面屋と言う商家の跡取りとして産まれました。百両や二百両の小判に困ることのない富裕な身分でしたが、酒と女をこよなく愛する遊び好きの御曹司でもあったのです。

それだけでなく、華水多羅四郎(ちょっと汚い)なる旅役者の一座にいた美少年の役者に目を付けて陰間としていました。その少年・鼻之助が後の喜多八であり、この二人は男性同士の恋愛でコンビを結成していた、いわばボーイズラブだったのです。

ちなみに、喜多さんは出発した時に数え30歳(満29歳)で、この時は少年役者だったため、二人の出会いは伊勢参りに先立つこと十数年前だったと思われます。

更に、弥次さんは栃面屋の当主としての勤めもそっちのけで遊びに金をつぎ込み過ぎたばっかりに借金で首が回らなくなり、鼻之助を連れて江戸に夜逃げをしてしまいます。その時に詠んだ歌が、

『借金は 富士の山ほど ある故に そこで夜逃を 駿河者かな』

と言う一句です。借金の山を富士山、駿河と“〜する”をかけた歌ですが、この時から何かあると歌をしたためる弥次さんの習慣と才能は発揮されていたのです。さて、次項からは江戸での珍事件と、それを起因にした旅立ちを紹介していきます。

東海道中膝栗毛