日本橋川の上空はほとんどが首都高の高架にふさがれています。これを地下トンネル化しようという声も聞こえますが、実際のところどのような姿なのでしょうか。

首都高老朽化、日本橋川は空を取り戻すのか?

 首都高(首都高速道路)は、東京都区部を中心に、その周辺地域に広がる都市高速道路です。最初の京橋〜芝浦が開通したのは1962(昭和37)年で、1960年代中には現在のC1都心環状線を中心に、1号から5号までの各線が全線あるいは一部開通、K1横羽線も東神奈川ICまでが開通しました。このとき、用地取得と建設期間の兼ね合いから、都心を流れる川のなかに支柱を立て、川の上空に高架の道を通すということが各所で行われました。


日本橋川から眺めた首都高江戸橋JCT。うねる巨大なコンクリートの構造物が川面近くにまで迫る(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。

 それから半世紀。首都高はその老朽化にともない、どう更新するかが今後の大きな課題になっています。特に騒音、振動問題との兼ね合いもあり、現在の高架を地下トンネル化しようという案も検討されてきました。日本橋川にかかる高架の撤去を目標に掲げる「日本橋川に空を取り戻す会」の活動も注目されました。

 日本橋川の上空にかかる首都高の高架は、おもにC1都心環状線と6号向島線、そしてそれをつなぐ江戸橋JCT(ジャンクション)です。いずれも交通量の多さには定評があり、交通の要所といってもいいところでしょう。


「勝どきマリーナ」が配布する周辺エリアマップ。ふだん目にする陸上の地図とはまったく異なる表情が見えてくる(画像:勝どきマリーナ)。

 しかし、ここが交通の要所であることは、なにも首都高ができてからではありません。姿かたちや名前こそ多少異なれど、そもそも日本橋川そのものが江戸の街に張り巡らされた水上交通網の一部だったからです。そしてこれにかかる一部の橋は、名所として浮世絵にも描かれました。

 上空に首都高が走るいま、かつて水上交通で賑わったころの日本橋川の面影はあまり感じられないかもしれません。しかし一方で、川の上空を走るこの巨大な都市高速道路の姿も、もしかすると見られなくなるかもしれません。これらを水上から眺めると、どのような姿をしているのでしょうか。

日本橋川を船で遡上、頭上はほぼ高架

 左手に築地市場を眺めながら隅田川をさかのぼり、やがて永代橋を過ぎると、左手に日本橋川とその最下流に架かる豊海橋が見えてきます。ここから日本橋川へと入っていきます。

 隅田川に比べると川幅は一気に狭まりますが、それでも今回レンタルしたヤマハ発動機の6人乗りボート、AS-21には十分な広さです。豊海橋、ついで湊橋をくぐると、右手から首都高6号向島線の高架がせりだしてきて、やがてその桁は頭上に架かってきます。


日本橋川の最下流に架かる豊海橋。

川上に向かい右手から6号向島線の高架が迫る。

鎧橋のたもとに「兜町」こと東京証券取引所。

 6号向島線は江戸橋JCT(東京都中央区)でC1都心環状線と分岐し、隅田川の東岸を走り、堀切JCT(東京都葛飾区)で中央環状線に接続します。1972(昭和47)年に向島までの一部区間が開通、1982(昭和57)年に向島から千住宇新橋までが開通しました。

 茅場橋、鎧橋をくぐったあたりから高架が分岐し、やがて6号向島線の起点、江戸橋JCTが迫ってきます。1963(昭和38)年、都道首都高速1号線(当時)の延伸および分岐部分として作られ供用が開始されました。そのすぐわきに、名前のもとになった江戸橋があります。ここから先、日本橋川の上に架かるのは、C1都心環状線になります。


江戸橋JCTが近づき、高架が分岐し始める。

江戸橋JCTの少し川上に江戸橋。

かつてすべての国道の起点だった日本橋。

 江戸橋のひとつ上流に架かるのが、川の名前にもある日本橋です。旧東京市の道路元標が置かれた場所で、大正時代の国道は「東京市より○○府県庁所在地○○に達する路線」とされていたため、つまりすべての国道の起点がこの道路元標でした。現在はそうした法的な規定はありませんが、橋の中央には「日本国道路元標」が埋め込まれており、また国道1号や4号、6号、20号などの起点でもあります。

観光資源として、空は必要か?

 日本橋は江戸幕府の開府とともに、1603(慶長8)年に最初の木造橋が架けられました。京都の東映太秦映画村にはこれが再現されており、時代劇などでその姿はおなじみかもしれません。江戸時代をとおし何度も焼け落ち、石造りになったのは明治時代で、現在のものは1911(明治44)年に架橋された19代目とも20代目とも言われています。


橋中央の欄干に据えられた青銅像は翼の生えた麒麟。ほか「はし(8×4)」にちなみ片面16、両面で32の獅子(4×4)像が配されているという(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。

 ここで清掃船に追いつかれ、しばしその通過を待ちました。流れが非常に緩やかな日本橋川は、川上から流れてくるゴミなどはもちろん、風に吹かれ川下から流れ込んでくる浮遊物もあり、ゆえに水面にゴミが滞留してしまいます。そこで、川面のゴミを回収する清掃船が投入されているのです。清掃を実施しているのは東京都建設局です。

 今回、船の操船を務めてくれた勝どきマリーナ(東京都中央区)の今野大樹キャプテンは、「川面にゴミが浮いているのが目に付くと、余計にゴミを投げ込まれてしまうので、こうして常にキレイにしておくことが大事なのです」と話します。上空に高架が走っているゆえ、ただでさえ川面が薄暗いことも大きく影響しているそうです。言われてみれば確かに浮いているゴミは少なく、そしてこれは季節によるのかもしれませんが、水のにおいもまったく気になりませんでした。


写真の「道路元標地点」オブジェの真下、橋上に「日本国道路元標」が埋め込まれている。

歌舞伎役者の坂田藤十郎さんと市川團十郎さんにちなむ「双十郎河岸」。

東京都建設局の清掃船。真ん中のコンベア部分にゴミを掻き揚げて回収。

 もしも日本橋川が空を取り戻し、水面が明るくなったなら、より美しい川辺の景観が広がることになるのかもしれません。一方で、世界初の都市高速である首都高の、ビルの合間を縫うように高架が走る姿は、これまでSF映画などの創作物へ大いにインスピレーションを与えてきたという声も聞きます。日本橋の上に首都高の高架が走る景観こそが、地層のように歴史が積み重なっている姿であるという見方もできるでしょう。


ヤマハマリンクラブ「シースタイル」でレンタルしたAS-21と勝どきマリーナの今野キャプテン。(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。

 将来どのような姿になるのか未だ定かではありませんが、2017年6月現在の日本橋は多少薄暗くともきれいに整えられ、そしてそのわきに設けられた船着き場に、多くの観光客の下船していく姿が見られました。

【動画】日本橋川を河口から神田川まで遡上(3分32秒)