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 いまや1000万人を超えるといわれる日本のランニング人口をターゲットに、各メーカーはシューズ開発にしのぎを削っている。製品ができるまでのプロセスを取材した前回に引き続き、ニューバランスの日本人向けハイエンドのランニングシューズ『HANZO』を例にとって、マーケティング戦略まで追ってみる。


HANZOの踵にはその名の通り忍者のロゴがついている*  *  *

「アメリカで陸上といえばトラック競技が盛んで、ニューバランスのマーケット的にもトラックスパイクがメインなんですが、そこでのテーマが”サイレント・ハンター”。すなわち、日々黙々と練習する者こそが最後に大物を狩るということで、モチーフがファルコン、ハヤブサなんです。最初は今回の開発も日本版サイレント・ハンターということでファルコンをモチーフに進めていたんですが、どうせなら日本らしくしようという声が出ました。

 じゃ、日本で速く走る、静かに走る、そして大きな仕事をするといえば忍者だよね……ということで、サイレント・ハンターのテーマにも合う忍者になりました。ロゴのほか、各所に刀文や手裏剣のギザギザとか、エッジの効いたカッティングとか、忍者をイメージしてデザインしています」

 新製品のネーミングや、ロゴマーク決定の経緯について、このように説明するのはニューバランスジャパン商品企画GBUプロダクト部ランニングチームマネージャーの武田信夫氏だ。


左が最初の試作品。中が2回目の試作品。最初と2足目はまだハヤブサがモチーフだが、右の3足目からは製品のHANZOに近いものになっている

 もともと米国のニューバランスが求めるデザインは、あくまでも”シンプル”。余分なパーツを省いて、素材を少なく、軽く、見た目もクリーンで、なおかつ作りやすいものを目指す。HANZOも例外ではないが、日本主導で開発した製品だけに、そこにはゆずれない”日本らしさ”もある。その最たるものが屈曲部と爪先だ。

 よりシンプルに、より軽く、より見た目を新しくするため、アメリカでは縫い目をなくし、圧着素材1枚だけのデザインがスタンダードになっている。だが、HANZOは日本人ランナーが重視する足当たりのやわらかさを出すため、屈曲部にはメッシュを、爪先にはスウェードを使用した。

「洋服でも1枚ものというのは着づらいですよね。胴体や袖のところに縫い目があるから着心地がいい。シューズも同じことで、細かく裁断されたパーツを繋いだほうが履き心地がいいんです。ですから、手間がかかっても、どんなに効率が悪くてもこだわって、しっかりやりました。

 今回の”言い出しっぺ”は僕で、日本人ランナーはこういうテイストが好きということで開発を進めましたが、実はデザイナーはアメリカ人なんです。日本にもデザイナーはいますが、まずは絵として新しいものを出したかった。そのためには、国内他社のシューズの残像が残っている日本人デザイナーではない人にお願いするのがいいと考えました。3Dにして組み立てる設計は日本人ですが、デザインや、ランナーのデータ取りもアメリカ人。そして、履く人は日本人がメイン。日米合作なんです」(武田氏)

 HANZOのコンセプトで特徴的なのは、フルマラソンで2時間台を目指すような”脚に覚えのある”エリートランナーをメインターゲットにしているところだ。ある意味、履く人を選ぶような、尖ったシューズともいえる。そこにはどのような意図があったのか。


ランナーの力量、用途に合わせた3モデルのHANZOが生まれた「ランニングシューズのビジネス規模が大きいということもありますが、5000〜6000円の商品を数多く売って規模を広げても、それで本当の意味でベスト・ランニング・ブランドと言えるのか? リアルランナーは履いていないわけですから、やっぱり、ストイックに走っている人に支持されないといけないんじゃないかというところから、日本人エリートランナーにフォーカスを当てて、そこに提供できるシューズの開発にたどり着きました」(武田氏)

 ただし、トップモデルだけでは市場の要求を100%満たすことはできず、ビジネスチャンスも限られてしまう。そのため、ここまで開発経過を書いてきたエリートランナーのための「Sモデル」のほかに、シリアスな市民ランナーレベルのための「Rモデル」、部活や日々のトレーニングに使える「Tモデル」を同時に開発し、発売した。注意したいのは、3モデルはそれぞれ機能が異なり、自分の走るレベルに合わせて選ばないと体に無理がくるということだ。

「スピード=走り方。シューズはそれに合わせて設計されています。足の筋力がついていない方が踵の薄いSモデルで走れば、地面からの突き上げがきつく、負荷に耐えられずに故障します。ランニングはスピードが遅ければ遅いほど、ウォーキングに近くなる。つまり、踵で着地しているということ。ウォーキングというのは歩幅を広くして歩く、振り子運動です。そういう人が踵のサポート機能がないシューズを履いたら、ケガにつながります。


開発者の武田信夫氏は自社・他社を問わず、世に出たランニングシューズを実際に履いて、走ってチェックしている でも、勘違いしないでほしいのは、Sでも、フルマラソン2時間台や箱根駅伝の選手しか履けないわけではないこと。3キロだけハイペースで走りたい。フルマラソンは4時間かかるけど、ハーフでスピード勝負したいという方ならSを履いてもOKでしょう。要は使い方です。普段はRで練習して、本番はSで勝負しようというのもアリですし、それがRとTの組み合わせでもいい。

 ランナーなら誰でも、「トップモデルを履いて走りたい』という憧れがあるでしょう。でも、『まだそこまで実力はない……』というのであれば、距離と時間を工夫してください。それもまた、走ることの楽しみになるはずです」(武田氏)

 日本人スタッフの発案により、日本人のエリートランナーを想定してつくられたHANZO。開発のプロセスや背景を聞けば、「なるほど」と思わされる部分が多い。ただ、最終的にシューズを選ぶのは一人ひとりのランナーだ。この意欲作は、はたして日本人ランナーたちに受け入れられるだろうか。

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