先日、世界中の猫好きに衝撃を与えた「ネコを飼うと子どもの記憶力が低下する」というニュースをご存知でしょうか。オハイオ州立大学とフロリダ国際大学の共同研究だそうですが、信憑性は…?メルマガ『しんコロメールマガジン「しゃべるねこを飼う男」』の著者でNY在住の医学博士・しんコロさんが、猫の名誉のために、この論文を隅々まで検証してくださいました。

ねこが記憶力を低下させる? 物議を醸す研究

ねこ飼いの方も読者さんには多いと思いますが、ねこの仕草に触れるのはねこ飼いの幸せの極みでもあります。そんな極みを体感してしまうと、その可愛さに正気を失いそうなほど癒やされます。ねこ好きな人は、「ねこは人類を支配するために、可愛い姿を身にまとって宇宙からやってきた侵略生命体だ」と言います。そして侵略されて脳が侵されることを進んで好みます。

みなさんも、経験あると思います(笑)。

もちろん、これはねこの可愛さを賛辞した言葉の数々です。「萌え死ぬ」なんてネット用語がありますが、同じ意味合いです。

しかし、メディア(ニュース等)を見ていると、時々大真面目で「ねこを飼うと頭が悪くなる!」といった記事を見かけます。先日、ツイッターでも話題にしましたが、ライブドアニュースやビッグローブニュースを始め、いくつかのメディアで「ネコを飼うと子どもの記憶力が低下する?」というような記事が目につきました。今日はそのニュースと元になった研究を僕が斬りたいと思います。

まずは、どんなニュースだったかというと、こうありました。

以下引用文(ビッグローブニュースより)

●ネコを飼うと子どもの記憶力が低下する?-米研究

オハイオ州立大学とフロリダ国際大学の共同研究によると、家庭内でネコを飼うことで、子どもの学校での成績に影響が生じる可能性があるという。ネコの腸内のトキソプラズマが、人を含む哺乳類の脳に伝染することで、子どもの記憶力と読解力が低下するというのだ。生命時報が伝えた。

トキソプラズマはネコ科の腸内の寄生虫で、人間の場合、火が完全に通っていない肉やきれいに洗っていない果物や野菜、あるいはネコのフンを処理する時に感染する。研究者によると、世界の3割以上の人の体内にこの寄生虫が存在し、一部の国では7割にも達するという。人や動物の体内にこの寄生虫が入ると、感覚と性格に変化が生じることがあるという。これまでの研究では、ネズミが感染すると猫を恐れる本能を失い、行動がより軽率になることが分かっている。

同研究により、トキソプラズマの脳への影響が、これまで考えられていたより深刻であることが証明された。研究者は家庭内でネコを飼っている12ー16歳の児童1755人の調査を行い、血液サンプルの分析を実施した。その結果、約135人が猫から、トキソプラズマに感染していた。さらに児童に筆記試験を行ったところ、陽性だった児童の読解と記憶力の点数が低かった。男児の読解の点数は7%、女児は11.31%低かったが、数学と推理能力に影響は見られなかった。

研究者は寄生虫が非感染者の脳内のドーパミンの分泌を変えた可能性があるとした。ドーパミンというこの神経伝達物質は学習、記憶、注意力の中で重要な力を発揮する。

ご家庭に子どもがいるねこ飼いの方には聞き捨てならないニュースです。このニュースの内容が本当ならば、これを理由に捨てられるねこが出てくることだってあり得ます。もしくは、ねこ人気が下がって身寄りのないねこが引き取られにくくなることだってあるでしょう。そういったねこ擁護派の懸念がある一方で、子どもの脳機能にねこが悪影響を及ぼすとしたら、それはそれで一大事です。

僕は基本的にこういったニュースを見た時に、鵜呑みにしません。鵜呑みにしないというのは、信じないという意味ではなくて、信じることも信じないこともしないということです。これは皆さんにも声を大にして言いたいのですが、テレビやインターネットなどの公の場で発言されているからといって、その情報が正しいとは限らないのです。最近、DeNAの「WELQ」という素人が書いた医学関連記事が社会問題になりました。他にも、大手メディアと代替メディアの間でも、それぞれの主張を押すために相手を「偽ニュース」と断定し合うことも頻繁に起きています。そんな時代ですから、情報を見た時にはまず鵜呑みにしないことは非常に重要です。

研究の信憑性を検証

話がそれましたが、この記事を見た時に、僕は元の論文を見てみようと思ったわけです。論文は2015年にParasitology(寄生虫学)という雑誌に掲載されたもので、タイトルはToxoplasma gondii seropositivity and cognitive functions in school-aged children(トキソプラズマ抗体の存在と児童の認識能力)というものです。タイトルはわりとニュートラルです。「トキソプラズマ感染が児童の認識能力を低下させる」というタイトルではありません。

さて、論文に記されている調査では、数学、言語、図形空間認識、記憶力の4項目に渡って児童の能力を調べました。そして、トキソプラズマ抗体が血中に検出された(つまり、感染歴がある)子供と、検出されない未感染の子供でそれらの能力に差があるかを調べたのでした。

その結果、男児には差が見られませんでした。上記のニュースには7%読解力が劣ったとありますが、実際の論文のデータを注意深く見ると、統計学的な有意差がないのです。つまり、差がないということです。「統計学的有意差」というのは、データを扱ったことがない人には耳慣れない概念なので、簡単に説明しておきます。例えば、紅組と白組がカラオケ大会をしたとします。紅組の点数の平均点が90点、白組の平均点が85点だったとします。この時、科学の世界ではすぐに「紅組の勝ち」という結論は出せないのです。個人の点数には必ずばらつきがあるので、この5点差がばらつきのせいなのか、それとも本当に信頼できる点数の差なのか、それを統計学で分析して結論を出すのです。

話をこの研究に戻すと、「男児は7%の差」というのは統計学的に優位ではない、つまり「ばらつき」であるわけです。それなのにあたかも差があったかのような書き方をするのは明らかな間違いです。

一方、女児の場合は数学以外の科目で感染歴のある子の点数が低い結果が出ました。では、トキソプラズマは女児だけに悪影響を及ぼしたのか?と推測されますが、さらにデータをよくみると、この研究自体に大きな欠陥があります。

まず、感染していた女児達の家族の20%が英語を母国語として使っていないのです。一方で感染していない女児達の家族の同数値は6%。そして、この14%の差には「統計学的有意差」がありました。単純に考えて下さい。英語を母国語としていない家族に育っていれば、母国語として使っている家庭の子供よりも英語の読解力が劣るのは当然のことです。

問題はまだあります。トキソプラズマに感染していない児童が、他の感染症にかかっている割合が58%であるのに対し、トキソプラズマに感染している児童は73%の割合で何か他の感染症にかかっていたのです。そしてこれも統計学的有意差がありました。つまり、トキソプラズマ以外の別の感染症が、こうしたテストの結果に影響を及ぼした可能性も否定できないわけです。こういう条件の時、単純に「トキソプラズマのせいだ」とは結論できないのです。

極めつけに、この研究で対象となったトキソプラズマに感染している子供達は感染していない子供達よりも生活水準を示す数値が低く、より貧困度が高いのです。その結果も統計学的有意差がありました。アメリカでは、親の収入と子供の学力には相関があることが知られています。収入が多い家庭は子供により教育を与えることができますが、収入が低ければそれもできません。悲しい現実ですがそれが事実なのです。

こうしてみると、トキソプラズマに感染している子供達の中には以下の条件が当てはまる子達が多いわけです。

英語が母国語でない。つまり家族が外国からの移民である。トキソプラズマの他に感染症がある。健康状態が悪い可能性がある。貧困率が高い。教育や環境や栄養状態が劣る可能性がある。

そりゃ、こんな条件では成績に影響が出るのも無理もないでしょう。公平な比較をする時は、こういった条件を同じにしなければ、明確な結論が出せないのです。特にこの研究に関しては、上記3点のように結果をスキューして(偏らせて)いるとしか思えない要素が存在しています。もし僕がこの論文を査読・審査したとしたら、母国語でない子供のデータを除いて分析しても差が出るかどうか、公平な比較方法を要求するでしょう。おそらく、論文の著者達もそうしたものの、そうすると結果に差が出なかったのだろうと思います。もしそれで差が出ていたら、もう少しインパクトの大きい(レベルの高い)ジャーナルに投稿できたに違いありません。僕の辛口コメントで著者達には気の毒ですが、研究の質としてはイマイチで、僕が査読者だったらリジェクト(掲載不可)しているでしょう。

要するに、この論文のデータでは「トキソプラズマに感染すると子供の成績が悪くなる」という結論は出せません。ただし、トキソプラズマがヒトの脳や行動に影響を及ぼすかもしれないという説にはいくつかのエビデンスがあるものの、まだ明確にはなっていないということは付け加えておきます。

結局、こういった曖昧な研究をあたかも「証明された」のように書いたメディアが軽率すぎなのですが、その影響をしっかりと自覚してもらわないと本当に困ります。しかも、あることないことでっち上げています。ニュースには「ネコの腸内のトキソプラズマが、人を含む哺乳類の脳に伝染することで、子どもの記憶力と読解力が低下する」という記述がありましたが、この論文ではそんなことは全く証明していないし検証さえしていません。記者が思い込んで適当に書いただけです。

なぜこんなニュースが生まれたかというと、単にキャッチーで読者の目をひくからです。明確な結論が出ていないイマイチな研究をあたかも大発見のように取り上げて、証明もされていないことを科学に素人な記者が勝手に書き足し、より目立つようにしているのです。医学界にはもっと重要な研究や発見がたくさんあるのに、ニュースを見ているとキャッチーなものばかりを取り上げる傾向があります。それは週刊誌などの民間メディアだけでなく、NHKでさえも同様です。

疫学調査の限界

さて、ここでみなさんに一つ賢く医学ニュースを見るコツをお教えします。ニュースを見ていると、本当に医学的に証明されたことと、疫学的に調べた結果がごっちゃになっています。医学ニュースを見た時には、それが実験的に証明されたことなのか、疫学調査なのかを区別することが重要です。疫学調査のデータはあくまでも問題提起であって、結論ではないのです。もっともわかり易い区別の仕方は、「100人を対象に調べた結果」とか「〜を習慣としている人を対象にした結果」とか「〜に住んでいる2000人を調査したところ」のような記述があるものは疫学調査です。

よくある例として、「ワインを飲む習慣のある人は、ビールを飲む習慣の人よりも心臓病罹患率が低い」という統計(疫学)データがあったとします。ここで「そうか!ワインのが良いのか!」と鵜呑みにしてはいけません。かといって、「ワインのが良いなんてことはない!」と否定してもいけません。あくまでも、「ふーん」と中立でいることです。なぜなら、こういった疫学調査の多くに限界があるからです。

ワインを飲む習慣がある人の心臓病罹患率が低いというデータが本当だったとしても、そのデータだけでは原因がワインにあるとは結論づけられないのです。もしかしたら、ワインを飲む人はビールを飲む人よりも健康的な食事をしているかもしれません。ビールを飲む人は揚げ物などを好む傾向があるかもしれません。ワインを飲む人はそもそも酒量が少ないかもしれません。ワインを飲む人の方が、もしかしたら健康に意識が高く、ライフスタイルそのものがビールを飲む人とは異なるかもしれません。このように、ワイン以外にもデータに影響を及ぼす無数の要素が存在するということを忘れてはならないし、すべての要素を公平にして調査するのは疫学調査では無理だということも知っておく必要があります。それが疫学調査の限界なので、必ずフォローアップとして医学的・実験的に検証していくわけです。そういったデータの総体があってはじめて、「ワインは心臓病予防に効果があるか」どうかが検証できるわけです。

いかがでしたでしょうか。少し小難しい話になりましたが、ねこの名誉にかけて、曖昧な研究で書かれた悪記事を斬ることにしました。今後もこのようなニュースがあったら、皆さんの代わりに僕が元となる論文を見て検証しますので、どうぞお便りください。

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『しんコロメールマガジン「しゃべるねこを飼う男」』

著者/しんコロ(記事一覧/メルマガ)

ねこブロガー/ダンスインストラクター/起業家/医学博士。免疫学の博士号(Ph.D.)をワシントン大学にて取得。言葉をしゃべる超有名ねこ「しおちゃん」の飼い主の『しんコロメールマガジン「しゃべるねこを飼う男」』ではブログには書かないしおちゃんのエピソードやペットの健康を守るための最新情報を配信。

出典元:まぐまぐニュース!