結婚して妻になった途端、女はオンナでなくなるのだろうかー

かつてはあれほど自分を求めた夫も、結婚後は淡白になり、ただ日々の生活を営むパートナーになった。

外見に気を遣い、綺麗な女であろうとしても、褒めてくれるのは同じ主婦ばかり。

そんな中、自身の市場ニーズを確認するべく、既婚者限定の食事会に参加した遥。

そこで会社経営者の藤田と出会い食事に行ったり、マキコ達と新たな食事会へ参加する遥だが、一線は超えずにいた。

そんな中、遥は主婦雑誌の撮影で大学時代の仲間と遭遇した。




若さからくる自信と万能感など、加齢と共に消えて無くなることは言うまでもない。

遥たちがよく掲載される主婦雑誌には、毎月必ず「これでもう迷わない!年齢別コーディネート」や「若見えする秘訣、教えます」などの見出しが躍っている。

さも、「女は年齢に見合った服を着るべき。さもなくば、若く見えなければいけない」とでもいいたげだ。

34歳という年齢は多くの女性にとって、自分の生き方を振り返るきっかけとなる。結婚を急いでみたり、子供を持つリミットをふと考えてみたりするのだ。

しかしそれは妻や母となった後でも美貌を維持し、ファストファッションを買い漁る必要のない遥たちとて例外ではなかった。



撮影が思ったより長引いた為、小林と遥は表参道の『スモークバー アンド グリル』で夕食をとることにした。

「それにしても本当に変わってないね、藤村さん。」

小林は、自分が勤めるメーカーの商品を手に微笑む遥を、懐かしそうに見守っていた。その眼差しに遥の警戒心は解け、学生時代と同じように気楽に2人で店内に入る。

「そう?もう34歳の、立派なおばさんだわ。」

自分の容姿には並々ならぬ自信を持っている遥だが、最近は口元のほうれい線が気になっていたところだ。謙遜しながらも、嬉しさを隠せない。小林は続けた。

「いや、俺の嫁も同じ歳だけど、酷いもんだよ。着る服も自分なりに気を使ってるみたいだけど、なんか決まってないというか。髪もよくプリンになってるし。まぁ、小さい子供が2人もいれば仕方ないかもしれないけど。」

自分の妻の容姿を悪く言う小林に、遥は少し違和感を覚える。

Facebookに投稿されていた結婚式の写真を見たことがあるが、小林の嫁はやや大きすぎる位の目をした、アイドル系の美人だったはずだ。




それに自分なりに気を使っている、ということはファッションに興味がないわけではないのだろう。

ただ、2人の子育てに追われ小林のようなメーカー職の夫を持つ専業主婦が、そう頻繁に美容院に行けるわけではないことを遥は知っている。

それが妊娠をきっかけに仕事を辞め専業主婦になり、世間の描く幸せな家庭像に沿って子供を2人産む。すると、どうなるか。

2人分の学資保険や教育費、住宅ローンに圧迫され、女は自分にかけるお金がぱたっと無くなる事に気がつくのである。


34歳を過ぎたら、2万円のニットを買えるか否かが、分かれ道?


専業主婦の外見偏差値は、夫の収入によって変わってしまう


小林の妻の姿を、遥は少々残酷に想像してみる。

きっと彼女は、遥のInstagramのフォロワーに沢山いるタイプの女性なのかもしれない。着飾ることに関心があることは伺えるのだが、今ひとつ垢抜けないタイプだ。

健気にもプチプラ通販のアイテムで全身をコーディネートし、加工した写真をアップするような…

それでも20代前半など若ければ、安いアイテムを着ていても、それを補えるほどの輝きを放つ肌やたっぷりと艶めいた髪もあり、そう悲惨なことにはならない。




だが、34歳を過ぎたあたりから、ある程度仕立ての良いものを着ていないと急に濃い化粧だけが浮き上がってくるのも事実なのだ。

遥は、「もうこの歳で2万円以下のニットを着ると安っぽく見えちゃうよね」という紗弥香や亜希との会話を思い出した。

加工アプリのない蛍光灯の照明の下では、肌のくすみやシワ、洋服の生地などの品質は残酷にも明らかになってしまう。

きっと、小林の妻だって本人なりに頑張っているのだろう。

けれど、夫からはそう評価されていない。それでは、報われないではないか。全てが推測でしかないが、遥はそんな風に感じた。

そんな風に思うのは、遥自身もある程度の美貌を保っているのに特に夫には評価されず、いつの間にか34歳になっているという事実があるからだ。

もしかしたら、もう34歳になる自分が、いつまでも若く美しくありたい、チヤホヤされたいと思うのは普通ではないのかもしれない。

小林の醸し出す雰囲気に、懐かしさや親しみを感じ惹かれてはいるのだが、彼の妻や自分の年齢のことを考えると、どうも会話に集中できない遥だった。


懐かしさから、一度は小林に惹かれた遥だったが…?


安心感があるだけでは、ダメなんです。




「それで、それからどうしたの?」

たまたま主婦雑誌の撮影で一緒になった亜希と遥は、外苑前いちょう並木沿いの『KIHACHI』でお茶をすることになった。

私服撮影帰りなので各々の持ち物の中から最高の服を身についけてるとはいえ、遥と亜希はいかにも優雅で洗練された婦人然としている。いちょう並木沿いを歩く人々はこの美しく、不自然な程に完成されたファッションに身を包む女2人を眺めながら歩いた。




「どうしたって、特に何もなし。普通にLINE交換して、またご飯行こうねって約束したくらいよ。だけど…」

外の景色を眺めながら、遥は小林との夜を思い出す。

食事は、驚くほど気楽で楽しいものだった。旧友の小林と話していると、まるで女友達と会っているかのような不思議な安心感を覚え、酒も進む。だが、小林が話題に出した彼の妻の話の方が、ずっと遥の気持ちをざわつかせていた。



「彼と話していると安心するし、凄く褒め上手なの。私の普段の努力を認めてもらえるような気がするし。」

「紗弥香みたいに、ときめいたりするの?」

「それはないの。LINEが来ても、単純に嬉しいだけよ。もし当時この人を選んでいたらどんな家庭を築いていたかな、なんて思ったりもしたくらい。」

遥にしては、珍しく長い間1人で喋り続ける。

「けど、彼の奥さんの話がすごく引っかかって。私を褒めたつもりなんだろうけど、比較して奥さんのファッションが決まってないとか言っていたの。そんな風に自分の奥さんを形容したり、逆に言えばそんな暮らししかさせられない人なんだな、って冷めちゃったのかもしれないわ。」

「そうなんだね…」

亜希は一通り遥の話を聞き終えると、ふと呟いた。

「でも、いいんじゃない?今の旦那様が保証してくれる生活レベルは維持しつつ、その人と食事に行ってチヤホヤして貰うだけで。」

遥はここ数ヶ月の間、迫り来る加齢の恐怖や夫の無関心から目を逸らすように美容に熱中したり、食事会に参加してきた。

別に不倫をしている訳ではないのだからこれくらいは許されるだろう、と思っている部分もある。

だが、他人の口から発せられる自分は、なんと浅はかな女に聞こえるのだろうか。

遥は決まりが悪そうに微笑み、飲みかけのアイスコーヒーに手を伸ばした。

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