舞台に立ち続けて16年。実力派俳優・大山真志の挑戦は続く。
最終回に向けてますます盛り上がりを見せるNHK大河ドラマ『真田丸』。真田信之(大泉 洋)と稲(吉田 羊)の息子、真田信政役に抜擢されたのが、舞台を中心に活躍する大山真志だった。アルゴミュージカルの出身で、芸歴16年となる実力派だが、映像作品への出演はほとんど初。そんな大山の素顔に迫るべく、まずは彼の原点となるミュージカルについて、そして大河ドラマの撮影について、じっくり振り返ってもらった。

撮影/後藤倫人 ヘアメイク/山下由花 取材・文/江尻亜由子 

マイケル・ジャクソンみたいに歌って踊りたい!



――大山さんのキャリアは、子役から始まるんですよね。2000年にアルゴミュージカル『あんず〜心の扉をあけて〜』でデビューされて。

デビューは小学校5年生のときでした。3歳くらいの頃からマイケル・ジャクソンが大好きで、ずっと歌をやりたいなと思ってたんですけど、知りあいのお母さんたちから「ミュージカルのオーディションがあるから、受けてみたら?」って勧められたんです。

――「オーディションがあるよ」と勧められたのは、そういうことがお好きだというのが、お母さんネットワークに知れ渡っていたんですかね?

そう……ですね(笑)。叔母と母が好きなおかげで、うちではずっと宝塚のビデオが流れていたんです。舞台を見に行ったり、家にビデオがあったりっていう環境だったので、「ミュージカルをやってみたら?」っていう勧めをすんなり受け入れられたんだと思います。

――マイケル・ジャクソンがお好きだというのも、ご両親の影響で?

はい。母がそういうものを買い与えてくれていたというか。確か、3歳のクリスマスプレゼントが、マイケル・ジャクソンのビデオだったんですよね。今となっては絶対おかしいんですけど(笑)。ただ自分としても、うれしかったのか何なのか、もらったビデオを毎日すり切れるくらい見てました。いつのまにかマイケル・ジャクソンになりたい、みたいな感じになって、マイケルのマネをしてTシャツを破って、怒られたこともありましたね(笑)。

――お母様は、どんな方なのでしょう。

もともと、自分が芸能関係の仕事をやりたかったんじゃないかな。声優になりたかった、とか言ってました。一方、父親は僕をスポーツ選手にしたかったみたいで。

――小学校の頃は野球もされてたんですよね。

少年野球団に入れられてたんですけど、まぁ嫌いで(笑)。こんな時間があるんだったらダンスを習わせてくださいって思ってました。初めて親に自分の意見を言ったのは、「野球をやめたい」でしたね。スポーツは嫌いじゃないんですけど、体を動かすんだったらダンスが一番だし、歌も習いに行きたいし。

――ダンスを習いたいと言ったのは、ミュージカルのオーディション前ですか?

オーディションには1回落ちてまして。落ちた理由が、ダンスが踊れなかったからなんですよ。それで「1年間、習いに行かせてくれ」って言って、レッスンに通って、2回目で受かったんです。

――きっとお母様は、今のお仕事をされてることを喜んでいらっしゃいますよね。

そうですね、公演は毎回見に来てくれます。たぶん、ちっちゃい頃からこういう仕事に就くように仕向けられていたんじゃないかと思いますけど(笑)、それが自分のやりたいことになっていったし、ありがたいなって思いますね。



ステージの中央でスポットライトを浴びる瞬間



――子役時代のお話に戻りますが、アルゴミュージカルの現場は厳しかったとか。

過酷でしたね。受かったはいいけど、ダンスも1年ではどうにもならない部分もあるので……。小学校2年生、3年生の子たちが自分より上手くてバンバン踊ってるような状況だったので、そこはがんばりました。1日6時間くらい踊ってましたね。

――6時間!

夏場でも扇風機しか回ってない場所で、延々と踊らされ続けるっていう。先生たちも熱い人たちだったので。努力をすることの大切さを教わりましたね。それこそ、学校が終わってからそのまま稽古に行って、っていう毎日が続いてたんですけど、その頃に身についた忍耐力は、今でも役に立っていると思います。

――途中で投げ出したくなったことはありませんか?

いやぁ、それはもう逃げられないですからね。3ヶ月っていう期間で、夏休みに地方を回る、旅の舞台の準備をするわけなので。大人の人たちは3人くらいで、メインで踊るのは小、中、高校生のメンバーだし。女の子は人数が多いけど、男の子は4人くらいしか出てなかったんですよ。その中で、男メンバーがリーダーシップをとらなきゃとか、ちっちゃい子たちの面倒を見なきゃっていう感覚もあったし。部活はやったことないんですけど、部活と同じ感覚だと思います。

――なるほど。そういう厳しい環境の下でもやっぱり、舞台に立つ楽しさのほうが勝るんですかね。

もう、強いですね。今でも舞台をやり続けているのは、やっぱり初めて舞台に立ったときの感覚が忘れられないからで。「こんなに面白いものはないな」って思ったんですよね。

――何がそこまで、大山さんを魅了するんでしょうか?

お客さんが目の前にいて、自分が真ん中に立って、スポットライトがパーンと当たったときに、自分が求めていたことってこれだったのかなって思えたんです。真ん中に立って歌えるっていうのが、すごく楽しかった。僕、わりと身長も高いので、真ん中に立たせてもらえることがけっこう多くて(笑)。当時は本当に純粋に、ただただ毎日舞台に立つのが楽しくてやってましたね。

――学校のクラスでも中心にいるタイプでした?

学校ではそうでもなかったんですよね。ひとつのグループにいるというよりは、いろんなグループを行き来してるような感じで。教室の片隅で、授業中に絵を描いてるような子とも、やんちゃしてるような子とも仲がよかった。

――ミュージカルで歌やダンスに取り組んでいることを、クラスのみんなは知っていたんですか?

僕がやってることはみんな知ってたし、学校の先生も見に来てくださってました。ただ学生時代は1年に1本とかの出演ペースだったので、普通に学生時代を謳歌してましたね。ちゃんとお仕事を始めたのは、高校を卒業してからです。




アクセサリーのデザイナーを目指したことも…



――2009年にミュージカル『テニスの王子様』に出演されて以来、舞台への出演が続いていますよね。2.5次元からストレートプレイまで、ジャンルに特化せず出演されているのには理由があるんですか?

基本的に、できないことがないようにしたい、といいますか。「マイケル・ジャクソンも全部やってたから、自分がこれはできません、あれはできませんって言うのはないよな」と思って。挑戦させていただけるなら、全部やりたいですっていう姿勢で取り組んできました。それも中途半端はイヤなので、声枯らしてでも全部全力でやるっていう。

――いろんなジャンルに挑戦することで、身に付いたことってあります?

なんだろうな……。どの舞台に出るときでも、何かを得ようとして舞台に立っているつもりではいます。毎回、いつも自分の持っている引き出しだけでやるのだと、どうしても自分も飽きてしまうし、観に来てくれているお客さんも飽きてしまうだろうから、毎回新しいものを得ようとがんばってはいるんですけど。

――「自分はこのジャンルが好きなんだな」と確認することも?

初めて殺陣をやらせてもらったときは、剣を振るのが楽しくて「俺、やっぱり男の子なんだな」って思いましたね(笑)。アクションも楽しいなと思ったり。でも、ミュージカルをやってるときは「歌で人に気持ちを伝えるのってすごく楽しいな」と思うし。コンサートをやらせてもらうと、自分の歌として歌える楽しさを感じるというか。

――それぞれに面白さがあるんですね。お芝居以外のお仕事をしたいと思ったことってあります?

ありますよ! 大学受験のとき、親父に「1校しか受けちゃダメ」って言われて、それが落ちちゃったんです。で、高校卒業の後からぐうたらな生活が始まりまして。毎日食っちゃ寝、食っちゃ寝しながら「自分は芝居とかやってたけど、本当にしたいことって何だろうな」って考えた結果、シルバーアクセサリーが好きなので、そういうものを作る仕事がしたいなと。

――アクセサリーデザイナーということですか?

そうです。専門学校に体験入学してみたりもしたんですよ。それで、「シルバーのデザインをやってみたい」って話したら、親父が「おまえ、進む道が違うだろ。まず、痩せろ!」って(笑)。

――(笑)。

その時点で体重が100kgを超えていたので、マネージャーさんにも「辞めるつもりか?」って言われてしまい……。「あ、すみません、早めに痩せます」という話になりました(笑)。

――やはりお父様も、役者さんへの道を後押しされてたんですね。

どうなんですかねぇ(笑)。でも、そこから半年間くらいジムとバイトの毎日を送るようになって、その後たまたま受かったのがミュージカル『テニスの王子様』だったんです。



ド緊張! 大河ドラマ『真田丸』の撮影秘話



――舞台を中心に活躍される一方で、NHK大河ドラマ『真田丸』への出演が話題になりました。まずは出演が決まったときのお気持ちから教えていただけますか?

もう、素直に喜びましたね。親もすごく喜んでくれていたので。出るからには真摯に役と向き合って、ひとりでも多くの人に大山真志を知ってもらえたらなと思いました。

――大河ドラマ出演は、目標のひとつだったんでしょうか?

いやぁ……もちろん役者としては誰もが出たいと思うものだと思うんですけど。映像をほとんどやったことがないのに、まさかこんなに早く!?という驚きもあって。でもやっぱり、自分としては何かを残さなければいけないなっていう気持ちのほうが強かったです。

――最初の撮影は、どんなシーンだったんですか?

初日は第43回「軍議」の、刀を振ってるシーンだったんですけど。殺陣の先生に「こうやって、こう振って」っていわれて、その場で形をつけてもらいました。「おぉ、殺陣からか」ってドキドキしましたね。

――現場は、緊張感がありました?

ピリッとはしてますね。僕もホントに緊張して……。舞台とは全然、緊張の度合いが違いました。初めてのことばかりですし。現場で映像もチェックもするし、台本も読んでるはずなのに、編集されたものがテレビで放映されてるのを見て「こうやって描かれるんだ」「自分はこんな顔してたんだ」って思ったり(笑)。新鮮でした。

――セリフ回しに苦戦したりしませんでしたか?

(脚本の)三谷幸喜さんはスゴいなぁと思います。無駄なセリフがまったくないので、しゃべっていて、わけわかんなくなることがないですし……とは言え、実際は、わけわかんなくなってたんですけどね(笑)。

――なりましたか(笑)。

緊張しすぎて9回くらいNGを出してしまったことが……。しかももう、だいぶ中盤に入ってからだったし、そんなにたくさんセリフがあるシーンでもないのに。1回ミスったら、「うわぁ、どうしよどうしよ」って頭が真っ白になってしまって。

――そういうとき、周りの方がサポートしてくださったのでは。

それが、周りは自分より年下の子たちで(笑)。「なんで俺は、こんなところで!一番の年上なのにつまずいてるんだ!!」って、ホントに顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。先輩方が「大丈夫だよ」って声をかけてくださって、ありがたいやら申し訳ないやら……。でも、まぁいい経験……でしたね。もう絶対にしたくないですけど(笑)。

――時代劇用のかつらや衣装も、きっと舞台とは違いますよね。

そうですね。映像だと細部まで作り込まれているんだなと思いました。かつらも、40分くらいかけて境目の線を丁寧に埋めていったり。甲冑は、舞台上でもつけたことがあったので一応慣れてはいましたけど、重かったですね。30kgくらいあるんですよ。

――そんなに重いんですね! 軽量化されていないんですか。

あえて、そのままの重さで。エキストラの方たちなんて、甲冑をつけた状態で6時間ずっと待ってたりとか、走り回ったりしなきゃいけないので、とても大変だったと思います。



――共演者の方の印象はどうでしたか?

実はそんなにお話できてないんですが、でも(真田幸村役の)堺(雅人)さんは、すごく優しかったですね。ロケに行ったときに、甲冑をつけたまま馬から降りて、タタタタッて歩いてきてくださって。休憩に入られたところで、お話しに来てくださったんです。

――どんなお話を?

堺さんは演劇出身の方なので、お話していたら舞台関係に共通の知り合いがいることがわかりまして。僕がよく演出していただいている方なんですけど、その方が、堺さんの後輩にあたるそうで。それで「彼の舞台に出ているのか。いつか舞台で共演したいですね」って言ってくださったのが、すごくうれしかったです。

――(真田信之役の)大泉 洋さんとは、どんなお話を?

それこそ撮影始まって間もない頃に、作法などを教えていただきました。正座して手をももの上に置くときは、年が上にいくにつれて手を置く位置が遠くなっていって、若い人たちは、手を体に寄せるように近くに置いていかなきゃいけないんだよ、とか。あとは、洋さんも舞台をやっていらっしゃるので、舞台のお話をさせていただきました。

――大山さん演じる信政が初登場した第41回「入城」では、吉田 羊さん演じる稲に怒られていましたよね。

吉田 羊さんとは、初めてお会いしたのがその怒られるシーンだったので、「はじめまして」ってご挨拶して、その何十秒後かに怒られるっていう(笑)。

――母上に怒られた瞬間、急になさけない顔になって……。

あははは。母上には、頭が上がらないです。普通にビビってました。芝居だとわかっていてもちょっと怖かったです(笑)。