ミニマリストの鉢植え都市、東京──路地を彩る「ソーシャルグリーン」

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ニューヨークに長いこと暮らした日本人写真家と東京に長きにわたって暮らすフランス人ジャーナリスト。2人の「異邦人」が東京下町に驚きとともに見出したのは路上にまであふれ返る、鉢植えの「庭」だった。私空間と公共空間のあわいにあって、都市生活者に憩いをもたらしてきた、エコでソーシャルな「鉢植え文化」は、これからの都市デザインにどんな新しい視点をもたらしてくれるのだろう。(雑誌『WIRED』日本版VOL.17より転載)

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写真集『植木 〜 Petit pots et jardins』、刊行

『WIRED』日本版VOL.17に掲載した本テキストは写真家・高木康行の写真集『植木 - Petit pots et jardins』〈iKi editions〉へのル・モンド特派員による寄稿文「Bohemian gardens in Tokyo」からの抜粋。

鉢植えのなかで呼吸する都市

建物の高さや大きさが統一されず、様式もバラバラのコラージュである東京の、そのあまりにも混沌とした街並みに、ここを訪れる者は困惑する。しかし、東京の意外性は、別のところにある。巨大なメガロポリスを縦横に走る幹線道路から、わずかにそれた路地裏に、都会の喧騒や渋滞が嘘であるかのような空間が見いだされる。

ここは隣近所との関係を大切にするミニマリストたちのくつろいだ村落の世界である。高層ビルの林立する東京は外観でしかない。遠方からの来訪者がびっくりするのは、東京はすべてが超過密、超巨大であるにもかかわらず、それが決して障害とはならず、どこに行くにもスムーズな流れが保たれていることだ。

歩道もなく迷路のように張り巡らされた下町の路地を、歩行者や自転車がぶつかることもなく往き来する。道の両側には2階建ての木造一軒家が立ち並び、その先は袋小路。角を曲がれば驚く間もなく自然の風景と対峙することになる。

家の玄関先には、草花の鉢やプランターが所狭しと並ぶ。アスファルト舗装から取り残されたわずかな面積。ここに植えられた灌木は目隠しとしても重宝される。人がやっと通れる幅くらいしかない隣家との境に雑草が茂る。植木鉢は行儀よく肩を並べ、これが春先には花と緑の回廊となり、一見殺風景なこの土地に色どりと潤いを与えてくれる。鉢植えの数は数えきれぬほどで、小さな庭にも引けをとらない。

毎年、春そして夏がやってくると、ここはフラワーショー会場に変身する。鉢植えのひまわり、藤、朝顔、菊、ツツジ、ボタン、竹、それに盆栽も、次から次へと芽を出し、咲きそろい、通行人を楽しませる。

1鉢だけ、あるいは2段や3段も棚に並べられた鉢植えは、とても賑やかだ。手入れにも怠りはない。枯れてしまった鉢は新しいものと交換され、しおれた花や葉はすぐさま除かれる。梅雨時や夏の驟雨のあとには、周囲に土の香りが立ちこめる。都会にいながらにして大自然に囲まれているのと同じ気分だ。「路地に置かれた植木鉢の庭は、都市文化のなかに再現された自然である」と都市計画の専門家シルヴィー・ブロッソは書いている。この自然に助けられ、街は穏やかに呼吸しつづける。

世界最大の農村都市

地球上のほかの大都市と比較すれば、東京の緑はむしろ少ない(住民1人あたりの緑地面積は東京が5.3平方mに対し、パリ14平方m、ロンドン59平方m)。しかし東京には、緑地として統計には入っておらず、しかも他所では思いつかないような牧歌的な空間が存在する。それが路地沿いに展開する草花の鉢の列である。おかげで東京にも自然はある、と胸を張って言えるのだ。実際、夏になれば、ここでは早朝からセミの合唱も聞こえる。コンクリートばかりと思っていた街に、セミはちゃんと自然を見つけ、生息しているのだ。

舗装されずに残されたわずかな土地を、自然との共生のために最大限有効活用することに余念のない東京の住民たち。下町を基盤としたこのエコロジーには長い伝統がうかがえる。

江戸時代(1603〜1868)、幕藩体制を司る政治の中心は江戸であり、天皇の住まいは都である京都にあった。江戸の町では、士農工商の身分制度により、居住地が決められていた。

武士には江戸城の西側である山の手が与えられ、ほかの身分の者には隅田川の河口に沿った東側の地区である下町が割り当てられた。江戸庶民の鼓動を伝えるのはまさしくここ下町だ。下町こそ、豪放磊落な江戸庶民が生みだした大衆文化(歌舞伎、浮世絵、文学)のるつぼであった。

昔から日本人は、自然を市街地の一部として同化してしまうことに長けていた。例えば大名屋敷や寺の庭などがその例だ。建築評論家の川添登も書いているように、江戸は当時、世界最大の農村都市であった。山など周辺の風景も都市に組み入れてしまう。道のはるか彼方には富士山がそびえたつ。民俗学者の柳田國男が言うように、江戸の町には土の香りが漂っていた。山の手の屋敷は大庭園を備えているが、下町の住民にはその金銭的ゆとりはないし、空き地も少ない。ならば手っ取り早い鉢植えで庭をつくる、ということになった。

下町には長屋がつきものだ。狭いながらも独立した木造家屋が一列に並んでいる。当時は厠と井戸は共有だった。路地も共有の空間である。

1軒ごとに庭を備えるほどの広さはない。そこでまずは井戸の隣にお稲荷さんを祀り、周囲に草花を添える。いまでも下町を散歩していると古いつるべ式の井戸を見かけることがある。草花は装飾を目的とするほか、蚊を追いやるなど薬草としての効果を期待されるものもあった。17世紀になると、庭のある武家屋敷が目立ちはじめ、裕福な商人、そして庶民にいたるまでが草花に関心をもつようになった。

より安定した平穏な時代に入ると、浪人中の武士は生計を立てるため鉢植えづくりに精を出しはじめた。大名家の庭師も鉢植えの商売をはじめ、これをきっかけに、植木市が立つようになった。染井村の植木屋、伊藤伊兵衛が庶民も読める園芸書を書いたのもこのころだ。鉢にも高価な焼き物が使用されだし、また盆栽も登場する。

当時の版画や屏風絵には、鉢植えの草花が描かれている。1860年、日本にやってきた英国人植物学者ロバート・フォーチュンは、日本で草花の鉢植えが大流行しているのに驚いている。そのころは、朝顔、あやめ、菊の人気が高かった。

再発見される路地

江戸より続くフラワーショーはいまも東京の街角のあちこちで見ることができる。歩道、ビルの入り口、並木の根方、ここかしこに色とりどりの季節の花が咲く。どれも個性的で親しみを感じさせる。

なかでもひときわ目立つのが下町周辺だ。この地域は第二次世界大戦中の大空襲の被害から奇跡的に復活したが、1960〜70年代の高度経済成長期に続く不動産バブルの混乱に巻き込まれた。月島界隈は50年ほど前まで隅田川の河口にあるひなびた漁村だった。それがいまでは高層マンションが立ち並び、その陰に隠れるようにして細い路地と鉢植えに囲まれた長屋がかつての姿のまま残っている。

植木鉢は、ガーデニングを楽しみ、玄関先を草花で飾るためだけのものではない。日本文化固有の趣向がここにはある。住民は自然の放つ微妙な香りや音、季節の変化に敏感だ。時の流れを伝えるのは寺の鐘だけではない。花のつぼみが開けばお昼が近い、蝉しぐれが聞こえるようになれば夏真っ盛りだ。

路地の庭固有の時間性が伝わってくる。鉢植えの庭は質素で新奇性には欠けるかもしれない。でも日本人の美意識は生きている。不完全、未完成、控えめ、そこから湧き出てくる美。不完全は無常へとつながり、永遠に繰り返される自然の営みとなる。並んだ鉢植えは良好な隣人関係を保つのにも役立つ。芽が出て花が咲けば、それで会話がはずみ、夏にヒグラシやコオロギが鳴けば、一緒に耳を澄ます。本国フランスではすっかり忘れられた『ファーブル昆虫記』に感動した日本の少年少女は多い。

いま改めて、この路地裏の庭は市民権を得た。行政も急に下町の緑化運動などを奨励しはじめている。コンクリートジャングルのなかに見つけた一服の清涼剤。東京の下町は、公園や大庭園だけが緑地帯ではないことを示した。

都会のなかで自然の姿はどうあるべきか、という問いに、行政、都市計画家、住民が一体となって街づくりについて考える機運が生まれはじめた。どのように都市にある緑の活性化を図るか。

下町を抱える墨田区、台東区などでは、古いものをすべて一掃する再開発計画の見直しを考えはじめている。さらに鉢植えの並んだ下町の路地再発見のガイドブックもつくられ、これを片手に散策する他所からの人たちも増えた。

ただ、忘れてはならないことがある。狭い道路に沿って行儀よく並んだ鉢植えの庭、この下町の原風景は、かつてそこに住む住民が自然発生的につくり上げていったもので、行政の指導のもとにつくられたものではない。制度化されつつある下町の美意識について改めて考えさせられる。

フィリップ・ポンス|PHILIPPE PONS
フランスの新聞『ル・モンド』の東京特派員を務める。中世から現代まで社会的弱者の生態を迫った『裏社会の日本史』『江戸から東京へ─町人文化と庶民文化』〈ともに筑摩書房刊〉など日本文化の深層を鮮やかに描き出した著作で知られる。

高木康行|YASUYUKI TAKAGI
1990年代よりニューヨークを拠点に写真家として活動。日米の雑誌で撮影を手掛けてきたほか、『ル・モンド』などでも活躍。写真集に屋久島を撮影した『小さな深い森』がある。www.yasuyukitakagi.com

無印良品 有楽町 Open MUJI
トークイヴェント「東京ボヘミアンガーデン」

日時:2016年5月1日(日)14:00〜15:30
会場:無印良品 有楽町 3階Gallery
定員:30人
参加費:無料 ※ イヴェントは終了しました
登壇者:高木康行(写真・映像家)、ヴァレリー・ドゥニュー(作家・出版・キュレーター)
※ 参加には、事前に無印良品 有楽町の店頭、または電話(tel.03-5208-8241)にて申し込みを。参加対象は12歳以上。

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『WIRED』VOL.17「NEW FOOD なにを、なぜ、どう、食べる?」

太古から近未来、深海から宇宙までをめぐる食の旅は、北の果て、スヴァールバル世界種子貯蔵庫からスタート。ニューヨークを拠点に「食」をデザインする建築家・重松象平が描く「食の未来図」に、サンフランシスコ発の完全栄養代替食「ソイレント」の夢。日本からもドミニク チェン、米田肇、池田純一が、それぞれの視点で「これからの食」を語る。