新入社員研修考〜スキルとマナー習得を超えて伝えるべきこと/村山 昇
新入社員研修においては、たしかに最低限のマナーとスキル、心構えを教え込んで現場に送り出すことが不可欠です。が、20代である彼らの1年1年の成長と不安は著しい。数年先まで見据えた「観・マインド」次元での教育が必要です。

今年も新入社員を迎える季節がやってきました。新入社員研修も始まります。4月からの入社直後の研修では、とにかく彼らに必要最小限のスキル&マナーを教えて、配属現場に送り出さねばなりません。私は主に「観・マインド」を醸成する研修プログラムをつくっています。本稿ではその観点から、入社から半年後くらいのタイミングで行う新入社員フォローアップ研修について書きたいと思います。

◆自信喪失・ミスマッチ感をどうフォローするか
新入社員たちが最初の研修を終えて配属現場に散り、半年くらい経ったとき、どんな点をフォローアップしていくか、それはさまざま考えられます。私は彼らを観察していて、次の3つの点にフォローが必要だと感じています。それは───

 1)「自信喪失感」へのフォロー
 2)「ミスマッチ感」へのフォロー (ここを中心に書きます)
 3)「自立から自律への意識醸成」のフォロー (本稿では割愛します)

1つめのフォローについて。半年後、新入社員たちの少なからずがさまざまに自信をなくし、落ち着かない気持ちでいることでしょう。先輩のようにてきぱきと仕事がこなせない。社外とのやりとりで緊張しすぎてしまう。電話を取るのが怖い。失敗を恐れるあまり能動的に動けない。上司との人間関係がうまくつくれない……など、アンケートではいろいろと不安を訴える声が出てきます。これに対しては、個別の面談と、OJTではまかないきれない追加の技術研修、例えばコミュニケーション研修やプレゼンテーション研修、フォロワーシップ研修などの対応があります。実際、現況のフォロー研修はこのようなメンタルケアの面談とスキル補強型が中心となっています。

2つめは「ミスマッチ感」へのフォローです。半年間、実際に仕事をやってみると、入社前の期待や理想と、現実の仕事内容や職場の雰囲気にギャップが生じ、それが不整合感や違和感となって表れます。配属が希望と異なっていた人であれば、なおさら「ミスマッチだ」となりますし、希望どおりに配属された人でも、「ひょっとしたら自分は場違いな会社を選んでしまったのかも」と感じはじめます。

ミスマッチは彼らにとって誘惑の言葉です。ミスマッチという理由づけによって、辛抱づよくその与えられた場で能力を開いていく努力を脇に置いて、ある種、自己肯定してしまえるからです。「自分には潜在能力はあるが、ミスマッチだから開けないだけなんだ。環境を変えればなにかが起こるはず」と。そして、ゲームのリセット感覚で転職を考える人も出てきます。特に景気が好転し、人手不足が顕著になると、第二新卒採用の案件は増加するのでなおさらです。

こうしたミスマッチ感による心の揺らぎは、半年後のタイミングから、その後1年も2年も続き、拡大することも起こります。大卒入社の3割が3年以内に離職するという現象は、このこととつながっています。入社3年目に次の大きなフォローアップ研修を施すところが多いですが、20代の彼らにとって、その揺らぎの1年間、2年間はとても長い。ですから、新入社員のフォロー研修は、彼らのその後の数年先まで見据えたプログラムが必要だと留意すべきです。

私はこうしたときこそ「観・マインド」にはたらきかけることが重要だと考えます。「観・マインド」とは、思考や感情、記憶をつかさどる精神性で、単純には、ものの見方・とらえ方、意識基盤といったものです。

観はだれの内にもすでになにかしらが醸成されています。ただ、その分厚さや堅固さ、向きは異なります。学生から上がったばかりの新入社員たちの多くは当然、観がぜい弱(未醸成)です。入社から半年経った彼らが、多少の違和感を「これはミスマッチだ」と考えてしまうのは、忍耐力の欠如というよりむしろ観のぜい弱さによるものだと思います。

ですから私が新入社員向けのフォロー研修で行うのは、観醸成を促し、一段深いところにもぐってものごとを見つめさせる訓練をすることです。この次元の教育によって、彼らの意識基盤をつくり、自律的に行動を抑制したり、促進したりします。本稿では、私が行っている具体的な方法を2つご紹介します。1つは「概念化して肚に落とすワーク」、もう1つは「分厚い観から出た言葉を提示すること」です。

◆仕事観・能力観・プロフェッショナル観を養うワーク
まず「モザイク作文」というゲームワークです。

〈ワーク1回目〉
□受講者に、「海」「幸福」「夏の日」「中華料理」「甘い」と印刷してある5枚のカードを配ります。
□次に、講師はホワイドボードに大きく「机」と書きます。
□そして課題作業を告げます。───「カードに記された5つの単語を盛り込んで(順番は自由)、ホワイトボードに書いてある「机」に物語が帰結するよう作文してください。時間は10分間」

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受講者はあれこれカードの順番を入れ替えながら、なんとか「机」にたどり着くように作文を始めます。たとえば、回答はこのような感じになります───

 【出てきた作文例:Kさん・女性】
「桜の花が『甘い』香りを放つ4月、私たちは入学した。みんなで『海』に行き、大騒ぎをした後、横浜に立ち寄って本格的な『中華料理』に舌鼓を打った。そんな『夏の日』もまるで昨日のよう。そして秋が過ぎ、冬が過ぎた。『幸福』な思い出をいっぱい詰め込んで、きょう、私はこの教室、この『机』ともお別れだ」。

各自が書いた作文をグループで披露しあいますが、いろいろと名作・珍作が出て盛り上がります。それで次のワークです。

〈ワーク2回目〉
□作業内容は同じです。さきほどの手元にある5つの単語を盛り込んで作文します。
□ただ、帰結ワードを変えます。講師は「クルマ(車)」とホワイトボードに書きます。

 【出てきた作文例:Tさん・男性】
「『中華料理』の丸テーブルを囲みながら、きょうは我が家の家族会議だ。今年の『夏の日』の旅行は何処に行こうか。『海』にも行きたい、山にも行きたい。温泉にも浸かりたい、キャンプもしたい。そんな『幸福』プランはいろいろ出てくる。しかし、現実はそんなに『甘い』ものではなかった。なぜなら我が家は先月、『クルマ』を売っ払ったばかりだった(凹む)」。

帰結ワードががらり変わっても、受講者はたいてい見事に作文をこしらえることができます。人によっては1回目とまったく異なった感じで作文する人もいれば、1回目と同じような路線でシリーズ化する人もいます。さらに、ワークを続けます。

〈ワーク3回目〉
□作業内容は同じです。手元にある5つの単語を盛り込んで作文します。
□帰結ワードを変えます。講師は「夕焼け」とホワイトボードに書きます。
□さらに1点、要件を加えます。───「作文はサトシ君(中学3年生)に贈るものです。サトシ君は、高校受験の前日に交通事故にあって大けがをしてしまい、入院1週間目です。第一志望校の受験も見送らざるをえませんでした。ベッドで元気をなくしています」。

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さて、1,2回目のワークでは単純に作文すればよかったのが、3回目ではそれをやることの意味が加わりました。受講者は考えを巡らせます。どういう物語でサトシ君を励ませられるのかと。たとえば、このような作文が出てきます。

 【出てきた作文例:Hさん・男性】
「光太郎は小さな島を飛び出て一流の『中華料理』人になるために、東京の名店で修行を重ねた。そしていよいよ独立して東京に店を出した矢先、火事を起こしてしまい、店は全焼。莫大な借金だけが残った。光太郎は生まれ故郷の島に戻り、『海』を見つめていた。人生、そんなに『甘い』ものではないな、と。でも、命をなくしたわけじゃない。どうにだってやり返せる。この絶望の先に『幸福』はあるはず。『夏の日』の『夕焼け』が水平線を赤く染めていた」。

サトシ君への励まし作文はいろいろと出てきます。上の作例のように希望を持つかぎり頑張れるというメッセージを込めた内容のものもあれば、なにかオチのあるおもしろい小話を作って気分を明るくさせるものも出てきます。

さて、この単純な3回の作文ワークによって、入社半年後の受講者に何を学んでもらうことができるのでしょうか? 何の「観」を醸成することができるのでしょうか───?

私が意図するのは次の2点です。
 1)能力をひらく能力=「メタ能力」の重要性
 2)「優れた組織内プロフェッショナル」観の醸成

◆「メタ能力」とは
メタ能力の「メタ(meta)」とは「高次の」という意味です。たとえば心理学の世界では、「メタ認知」という概念があります。メタ認知とは、認知(知覚、記憶、学習、思考など)する自分を、より高い視点から認知することです。たとえば、何かスポーツをしているときに、実際にグランドに立ってプレーしている自分がいると同時に、試合全体を上から俯瞰し、自分を含め戦う相手や観客などを観察し、プレーする自分に指示を送る自分がいます。この俯瞰でみている意識のはたらきが「メタ認知」というわけです。

それと同じように、自分が持つもろもろの能力を、一段高いところから統合して成果に結び付ける能力をここで「メタ能力」と呼びます。

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【?次元能力】能力をもろもろ保持し、単体的に発揮する
「〇〇語がしゃべれる」「数学ができる」「記憶力が強い」「幅広い教養がある」、「文章力が優れている」「表計算ソフト『エクセル』の達人である」、「〇〇の資格を持っている」「運動神経が鋭い」「論理的思考に長けている」───これらは単体的な能力、素養としての能力です。これらを発揮することを?次元の能力があるととらえます。

新入社員の多くは、こうした?次元能力を自己の強みとして就活でアピールし、採用もされたので、その延長線上で配属されるだろうことを(一人勝手に)思っています。つまり───

  ・「私は語学力が買われた。だから海外折衝の部門に配属されるはず」。 →でも、国内支社の購買部に配属された。意欲ダウン
  ・「私は広告研究会でコピーを何本も書いてきた。その能力で採用されたにちがいない。だからクリエイティブな仕事のできる部署に配属されるはず」。 →ところが、体育会的な営業部に配属された。意欲ダウン

会社では往々にしてこのような配置があるわけですが、これを彼らがミスマッチだとして意欲の低下や安易な転職につながらないようにするために、会社側は新入社員たちに対して、メッセージを発しておくことが必要です。すなわち、「あなたがたの採用は?次元能力を見込んでのことではない。?次元能力・?次元能力こそ、会社が期待するものである」と。

【?次元能力】能力を"場"にひらく能力
私たちは仕事をするうえで、能力を発揮する「場」というものが必ずあります。たとえば、営業部で働いているとすれば、その営業チームという職場、営業という職種の世界、そして事業が属する市場。一般社員であるか管理職であるかという立場。これらが「場」です。そして場はそれぞれに目標や目的を持っている。

私たちは、もろもろに習得した知識や技能(=?次元能力)を、さまざまに編成して「場」に成果を出そうと努める。この?次元能力を一段上から司る能力が、?次元能力であり、ここで「メタ能力?」と名付けるものです。

【?次元能力】能力と場を"意味"にひらく能力
さらに言えば、もろもろの?次元能力を自在に組み合わせ、場の要請に応じて成果を出し、ある大きな意味・事業理念を満たしていく(そのために新しい能力を積極的に獲得したり、場をも変えていったりする)能力が、?次元能力/メタ能力?です。

さきほどの「モザイク作文」が、まさにこのメタ能力という概念を肚に落とすためのワークです。つまり、5枚のカードは自分が持つ単体の能力(?次元能力)です。そして講師がホワイトボードに書く帰結ワードは、場が与えるミッションです。そのミッションをかなえるべく、5つの能力素材を組み合わせて、自分なりの成果物(=作文表現)を出す。自分の得意で好きな?次元能力の延長に業務があるのではない。会社という事業組織においては、必ず「場」(職場・市場・立場)からの要請・需要があって、それに応える形で成果を出していく。それが「会社という舞台で仕事ができる人」であり、「優れた組織内プロフェッショナルの姿」なのだ、というマインドセットに通じていくワークです。

そういう仕事観・能力観・プロフェッショナル観を会社側が発信していかねば、いつまでも彼らは「会社はやりたいことをやらせてくれない」とか「ミスマッチだ」などの感情に傾きやすく、組織にとっても個人にとってもハッピーでない状態に陥るリスクが継続します。

「単に〜ができる」という?次元能力を超えて、どんな部署に配属されようと、どんな業務命題を与えられようと、そこで成果を出し、大きな意味のもとに自分をひらいくメタ能力に優れた組織内プロフェッショナルに育っていってほしい───そういったメッセージを研修プログラムに込めて伝えるのが、新入社員フォロー研修の大きな目的になりえるのではないでしょうか。

◆分厚い観から出た言葉を差し出す
知識や技術は伝授や植え付けが可能ですが、観やマインドはそうした一方的な教え込みはできません。あくまで、ある観を示し、それによる影響や感化によって本人の内の醸成を促すことができるのみです。研修でさまざまなワークや講義を行った後に、私が届ける言葉はたとえば次のようなものです───

「最初の仕事はくじ引きである。
最初から適した仕事につく確率は高くない。
得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年を要する」。
───ピーター・ドラッカー(経営学者)

「下足番を命じられたら、
日本一の下足番になってみよ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」。
───小林一三(阪急グループ創設者)

「小さな役はない。小さな役者がいるだけだ」。
───(演劇の世界での言葉)

「人生とは10パーセントの我が身に起こること、
そして90パーセントはそれにどう対応するかだ」。
───ルー・ホルツ(米・アメリカンフットボールコーチ)

「転職は、今いる会社で実績を積み、"伝説"をつくってからでも遅くはありません。
いや、実績を積んだときはじめて、転職するもしないも自由な身になれるのです」。
―――土井英司『「伝説の社員」になれ!』

こうした言葉の含蓄を彼らがどこまでそしゃくできるかはわかりません。しかし、耳に入れておくのとそうでないのとでは大きな違いが生まれます。こうした下地があれば、この先、彼らが遭遇する出来事から、「あ、あのときのワークはこういう意味があったのか! あの言葉の本質はこれだったのだ!」という気づきが起こりやすくなります。そしてそのときの意識変化、行動変化は根本的なものになるでしょう。「観・マインド」醸成の教育とはこうした中長期わたってじわりと効いていく類のものです。

昨今、経営者や人事担当者は社員を「自律的」に育てたいとよく口にします。この「自律」とは何でしょう。"律"とは規範やルールです。つまり、自らの規範やルールに基づいて判断、行動できることが自律ということです。自らの規範やルールを内面に打ち立てるには、そもそもその根っことなる価値基軸や観がしっかりなければなりません。ですから、自律的な人材の育成には、観の醸成教育を避けて通ることはできません。

と同時に、そこでは組織側の観も問われることになるでしょう。一体全体、会社はどんな就労観、事業観、人材観、キャリア観、社会観を持って事業を推し進めようとするのか。そこをていねいに発信し、社員と共有しようとすることが会社にも求められます。「観は人それぞれ多様だから、縛ることはよくない」というのは、社会全体には言えることですが、こと事業体にあっては、むしろ観を共有できる人が集まって、強い思いの製品・サービスをつくるほうが望ましい姿といえます。共有できる理念・バリュー・文化が土壌としてあって、その上に多様で強力なアイデアが出る。昨今、顧客に強く支持される企業の共通点はそういったところにありはしないでしょうか。

いずれにしても、新入社員に対し、技術習得や知識獲得とは別に、意味・価値次元からものごとを考える機会を、内面の揺らぎの大きい20代にこそ豊富に与えるべきだと思います。「観・マインド」の醸成や共有は、しかるべきタイミングを逃すと、人の内面の土壌は固まってしまい、後からの教育はなかなかうまくいきません。新入社員をけっして子ども扱いせず、真正面から「観・マインド」を見つめさせる問いを投げかけていいのではないでしょうか。