古賀茂明とアンドレアス・ルビッツ/純丘曜彰 教授博士
/本人たちはXXだから捨ておくが、後から考えてみれば、十分に暴走の予兆はあったはず。この状態で、あえてXXに「刃物」を渡した連中の責任こそ重大だ。/

 べつに個人攻撃をするつもりではないので、ちょっと文体を軽く話そう。この二人、似ていないか。かたや生放送の報道番組で、司会者を無視して暴走し、公共の電波で言いたい放題。他方は、知ってのとおり、コックピットから機長を追い出し、アルプスに突っこんで乗客全員を殺した。

 後から考えてみれば、十分に予兆はあったはず。だが、これという決定的な規則上の問題を見い出し切れず、事故に至った。本人たちはどちらもXXなので、ほっておくが、この状態で、あえてXXに「刃物」を渡した連中の責任こそ重大だ。

 ルフトハンザに乗っていると、しばしば思うのが、規則上の問題が無いのだから、問題は無い、という杓子定規な態度。また、自分の担当外で明らかな問題があっても、自分は担当外だ、担当者に言え、と言って、それっきり放置。いかにもドイツ人らしい発想。日本のエアラインだと、規則上の問題が無くても、むしろ、規則上で問題が無い限り、できるだけの便宜をはかってくれる。自分が担当で無ければ、すぐに担当者に連絡をつけてくれる。事故を起こす組織というのは、そういう細やかな創造的配慮、チームプレイとしての自覚が、おうおうに事故以前に死に絶えてしまっている。

 古賀茂明についても、同様だろう。あれだけ、これまでにやってきたのだから、最後になにかやらかすことは想像できた。(だから、多くが「楽しみ」に見ていたんだが。)惰性なのか、温情なのか、最後にまた彼を呼んだ番組のディレクター一人の問題ではなく、局長でも、社長でも、会長でも、事前に構成表が上がっているのだから、彼の名を見つけた時点で番組に呼ぶのを止めさせ、もっときちんとした中東情勢の専門家のコメンテーターに差し替えるように業務指示を出すことはできたはず。なぜ半端に、最後の暴走の機会を与えてしまったのか、それこそが最大最悪の「不正」だ。(「こちらもそれは出させていただくということになっちゃいます」というやりとりからすれば、むしろ出演の方が、某所からの圧力として、局の意向に反して無理やりネジ込まれていた可能性も高い。その密約が反故にされた、ことに怒っているのか。)

 規則上の問題が無い、というのは、おうおうに、規則の方に不備がある。原発の津波でもそうだが、想定していないのだから、だれにも責任が無い、などというのは、役職者として卑怯だ。組織であれば、現場はともかくも、局長や社長、会長は、問題を予見し、そのために新たな規則を決定し、現場に課することができるはず。彼らは、そのために、高い地位と良い待遇で組織の中にいるんじゃないのか? 刑法などと違って、法の下の平等もへったくれもなく、とにかく、組織として事故、事件を防ぐことこそが絶対任務なのだから、恨まれようと、逆切れされようと、裁判になろうと、受けて立つ、くらいの決然たる覚悟が無くて、なにが役職者か。

 現場だって、本音を言えば、ああいうコメンテーター、ああいうコパイロットは、なんとかしてほしい、いつか危ないことになる、と思っていた人がいなかったわけではあるまい。ただ、上のだれかが問題の人物と昵懇で、問題は無い、と押し切られてしまうと、それとケンカしてまで問題の人物を追い出すような権限も、地位もない。そういうときに、自分で泥をかぶってでも、きっちり問題の人物にカタをつける、もっと上の役職者こそ、人望を集めるのではないか。

 どちらの組織にも、そういう役職者がいなかった、という意味では、組織として形骸化した死に体だった。だが、こういう危ない人物、どこぞの会長だとか、どこぞの研究リーダーだとか、どこぞの客員教授だとか、最近、あちこちで聞く。事件が表沙汰になってから、大騒ぎする。だが、そういう危ない人物にあえて妙な暴走のチャンスの余地を与えてしまうやつがいるからこそ、こうなる。組織というのは、役職者というのは、きちんと現場を細かくチェックして、だれかがそいつらに勝手に「刃物」を与えてしまうのを事前に止めるためにこそ、存在しているのじゃないのか?

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大 学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソ ン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)