新社会人に贈る2015 〜働くという「鐘」「山」はとてつもなく大きい/村山 昇
この春、社会人となり職業を持つみなさん、おめでとうございます。これから何十年と続く仕事人生の出発にあたり、2つのメッセージをお伝えします。
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陽光きらめく春。このたび社会人となり、職業を持つみなさん、おめでとうございます。これから何十年と続く仕事人生の出発にあたり、次の2つのことをお伝えしたいと思います。
1)「働くこと」は深く応えてくれること梵鐘のごとし
〜あなたは鐘を割り箸でたたきますか、丸太でたたきますか
2)「働くこと」はおおいなること山のごとし
〜「登山型キャリア」と「トレッキング型キャリア」
◆目の前の仕事にどれだけ「強く」当たれるか
まず1点めです。「職・仕事・働くこと」は梵鐘のようなものである───いきなりそう言われてもピンとこないかもしれませんが、私は若手社員の研修でよくこの比喩を用います。
働くことは、ほんとうに奥深い人間の営みです。私たちは、職・仕事を通して、無限大に成長が可能ですし、またそこから無尽蔵に喜びや感動を引き出すことができます。それはあたかも、働くことがお寺に吊してある大きな鐘のようなもので、丸太で力一杯しっかりとたたけば、ゴォーーンと深い音で鳴ってくれることに似ています。
ところが本来そんな深い音を鳴らす鐘であっても、割り箸のような木でちょこちょことたたいたならどうでしょう。チン、チーン、カラン、カランと、鍋ややかんをたたいているくらいにしか鳴りません。要は、鐘が深く味わいのある音を鳴らすのも、浅く軽い音を鳴らすのも、すべてはたたき方しだいということです。
みなさんはこれから緊張と高揚に包まれながら、スタートダッシュで懸命に仕事を覚えていくでしょう。おそらく、最初の半年や1年はすぐに経つと思います。そして2年が経ち、3年が経つころから、人によって差が出てきます。どういう差かというと、仕事という梵鐘をどんどん大きく鳴らすことができ、働くことの面白さや奥行きの広さを知っていく人と、仕事ってしょせんこんなものかと言って、働くことに対し強く当たることをやめてしまう人との差です。後者の人たちは、当然、梵鐘の鳴らす深い音を聴くことはありません。
働くという梵鐘は目に見えません。ここがとても重要な点です。もし働くという梵鐘が立派で大きな形として見えているものであれば、だれしも丸太でたたいて、よい音を鳴らせてみせようとがんばることができます。ところが実際は、働くことがどれほどの大きさなのか、そしてどれほどのものを自分に返してくれるかはわからない。一生懸命たたいたとしても、いい音が鳴らないかもしれないし、即座に反応してくれないときもある。仕事が自分の期待どおりに進むことは少なく、「なんでこうもうまくいかないんだ」と落ち込むことは頻繁に起こります。そんなとき、鐘にケチをつけるのは筋違いです。それは梵鐘の問題ではなく、あくまでたたくほうである私たち一人一人の問題なのですから。
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みなさんの職業人生はこれから何十年と続きます。けっして短気を起こさず、地道に能力を身につけ、意志を強く育み――すなわち、それが丸太を担ぎ、鐘をたたけるような力を持つということ――、目の前の仕事にひとつひとつ当たっていってください。すると中長期的には必ず思いどおりの音が鳴り響くようになるはずです。そしてその深く遠くまで響く音は、周囲の人にもよい影響を与えるものになるでしょう。
◆「10年後どうなっていたいか?」という質問に答えられなくてもよい
2つめの話に移ります。私は入社3年〜5年目くらいの若手社員にキャリア研修を行っています。すると、少なからずの人たちから「いまの会社・いまの仕事で何を目指していけばよいのかわからない……」といった声が漏れ聞こえてきます。
就職活動のときは、あれほど志望動機を考えたはずなのに、いざ入社してみると、仕事の内容や会社の様子が実は思っていたものと全然違ったものであったり、あるいは予想外のところに配属されたりして、でも、ともかく目の前の仕事をこなすことにてんてこ舞いになる。そして働き始めて数年も経てば、当初の志望動機は知らずのうちに消え去ってしまっていて、「あれ、自分はこの会社でいったい何をしたいんだろう?」となる。
たぶん、これを読んでいるみなさんの中にも、入社して数年後にはそうやって悩む人が出てくるでしょう。そんなときのために、キャリア形成には2つのタイプがあることをお伝しておきましょう。
◆頂を目指す「登山型」/穏やかに回る「トレッキング」型
もし、あなたが職業人として一心不乱に没頭できるキャリア上の目標像・到達点が確固とあり、そこに邁進しているのであれば、それはとても幸福な働き人です。どんどん突き進めばよい。しかし、世の中には、そういった明確な目標が見出せない人のほうが圧倒的に多いものです。特に会社員の場合は、自分の配属は自分で決めることができず、中長期の目標を見出しづらい存在です。しかし、このことにめげる必要はまったくありません。山の楽しみ方に、「登山」と「トレッキング」というタイプがあるように、キャリアにもこの2つのタイプがあるからです。
登山の場合、目標はただ一つ「登頂」です。その結果を得るためにあらゆる努力をしていく。頂を目指す途中、道草はしない。
つまり、「登山型のキャリア」とは、「プロ野球選手になってホームラン王をとる!」とか「弁護士になって多くの人を助けたい!」、あるいは「新薬開発の先進企業に入ってガンの治療薬をつくりたい!」「この会社でNo.1の営業マンになる!」などのように、唯一絶対の頂上を決めて脇目も振らずそこを目指すキャリアです。
他方、トレッキングの場合は、登頂のように明確な目標をあらかじめ掲げるわけではありません。山の中を回遊して、何か自分のお気に入りの場所を探すというその活動自体を楽しみにするものです。途中でたまたま見つけた滝や池が気に入れば、しばらくそこにたたずんでその居心地を楽しめばいいし、道端に咲く植物をいろいろと観察しながら時間をかけて歩くのもいいでしょう。そうした過程で山の奥深い細かなものがさまざま見えてくる。
すなわち、「トレッキング型」のキャリアは、「自分は絶対ここを目指すぞ」というような目標は思い浮かべていない(浮かべられない)けれども、会社内でいろいろな部署を経験したり、場合によっては転職したりして、働く環境を変えつつキャリアを形成していくスタイルです。あるときは営業現場で商品を売ることの楽しみや苦労を知ったり、あるときは企画部門で新しいアイデアを打ち出すことの奥深さや大変さを知ったり。また、業界を越えて転職したときなどは、業界ごとで仕事に対する考え方がこんなに違うんだ、と感じることもあるかもしれません。
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そうしてトレッキングを続けていくと、しだいに山のことがわかってきて、体力や技術もついてくる。すると自分の登りたい山が見えてきて、その頂上に挑戦したいなと思えるときがやってくるかもしれない。そのときが「登山型キャリア」への転換点です。ですから、「いま何を目指してよいかわからない」という人に対し私は、あせらずトレッキングを楽しむことでいいのではと答えています。
私自身も、20代、30代はトレッキング型でした。メーカーや出版社など数社を渡り、さまざまな仕事を経験しました。そして40代になって、人財教育事業という山がすーっと見えたのです。「これをライフワークにしたい。この道を自分なりに究めたい」と思い、独立しました。だから、いまはどっぷり登山型のキャリアです。私がいま見つめている頂上は、「働くとは何か?の第一級の翻訳者になる!」「100年読まれ続ける本を著す」です。そこを目指し、日々、険しい岩斜面にはいつくばって一歩一歩登っています。
登山型とトレッキング型とで、どちらがよいかわるいかという問題ではありません。人それぞれでいいと思いますし、一人の人間の中でも人生の状況によってどちらを選ぶかが変わってきます。ただ、ハイリスク・ハイリターンという意味では、登山型は危険が大きい分、達成したときの喜びも成長も大きいといえます。そして何より自分の強い意志で見出した頂上を目指すわけですから、人生の醍醐味がそこにはあります。
いずれにせよ、働くことという山は巨大で奥深く、さまざまな楽しみも試練も内包しています。登っても登っても、歩いても歩いても、そこから得るものには限りがありません。みなさんはいよいよこの山の中に入っていきます。おおいに山に育んでもらってください。
では、みなさんお一人お一人のご活躍を期待しています。いつかどこかでお会いしましょう!
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陽光きらめく春。このたび社会人となり、職業を持つみなさん、おめでとうございます。これから何十年と続く仕事人生の出発にあたり、次の2つのことをお伝えしたいと思います。
1)「働くこと」は深く応えてくれること梵鐘のごとし
〜あなたは鐘を割り箸でたたきますか、丸太でたたきますか
2)「働くこと」はおおいなること山のごとし
〜「登山型キャリア」と「トレッキング型キャリア」
まず1点めです。「職・仕事・働くこと」は梵鐘のようなものである───いきなりそう言われてもピンとこないかもしれませんが、私は若手社員の研修でよくこの比喩を用います。
働くことは、ほんとうに奥深い人間の営みです。私たちは、職・仕事を通して、無限大に成長が可能ですし、またそこから無尽蔵に喜びや感動を引き出すことができます。それはあたかも、働くことがお寺に吊してある大きな鐘のようなもので、丸太で力一杯しっかりとたたけば、ゴォーーンと深い音で鳴ってくれることに似ています。
ところが本来そんな深い音を鳴らす鐘であっても、割り箸のような木でちょこちょことたたいたならどうでしょう。チン、チーン、カラン、カランと、鍋ややかんをたたいているくらいにしか鳴りません。要は、鐘が深く味わいのある音を鳴らすのも、浅く軽い音を鳴らすのも、すべてはたたき方しだいということです。
みなさんはこれから緊張と高揚に包まれながら、スタートダッシュで懸命に仕事を覚えていくでしょう。おそらく、最初の半年や1年はすぐに経つと思います。そして2年が経ち、3年が経つころから、人によって差が出てきます。どういう差かというと、仕事という梵鐘をどんどん大きく鳴らすことができ、働くことの面白さや奥行きの広さを知っていく人と、仕事ってしょせんこんなものかと言って、働くことに対し強く当たることをやめてしまう人との差です。後者の人たちは、当然、梵鐘の鳴らす深い音を聴くことはありません。
働くという梵鐘は目に見えません。ここがとても重要な点です。もし働くという梵鐘が立派で大きな形として見えているものであれば、だれしも丸太でたたいて、よい音を鳴らせてみせようとがんばることができます。ところが実際は、働くことがどれほどの大きさなのか、そしてどれほどのものを自分に返してくれるかはわからない。一生懸命たたいたとしても、いい音が鳴らないかもしれないし、即座に反応してくれないときもある。仕事が自分の期待どおりに進むことは少なく、「なんでこうもうまくいかないんだ」と落ち込むことは頻繁に起こります。そんなとき、鐘にケチをつけるのは筋違いです。それは梵鐘の問題ではなく、あくまでたたくほうである私たち一人一人の問題なのですから。
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みなさんの職業人生はこれから何十年と続きます。けっして短気を起こさず、地道に能力を身につけ、意志を強く育み――すなわち、それが丸太を担ぎ、鐘をたたけるような力を持つということ――、目の前の仕事にひとつひとつ当たっていってください。すると中長期的には必ず思いどおりの音が鳴り響くようになるはずです。そしてその深く遠くまで響く音は、周囲の人にもよい影響を与えるものになるでしょう。
◆「10年後どうなっていたいか?」という質問に答えられなくてもよい
2つめの話に移ります。私は入社3年〜5年目くらいの若手社員にキャリア研修を行っています。すると、少なからずの人たちから「いまの会社・いまの仕事で何を目指していけばよいのかわからない……」といった声が漏れ聞こえてきます。
就職活動のときは、あれほど志望動機を考えたはずなのに、いざ入社してみると、仕事の内容や会社の様子が実は思っていたものと全然違ったものであったり、あるいは予想外のところに配属されたりして、でも、ともかく目の前の仕事をこなすことにてんてこ舞いになる。そして働き始めて数年も経てば、当初の志望動機は知らずのうちに消え去ってしまっていて、「あれ、自分はこの会社でいったい何をしたいんだろう?」となる。
たぶん、これを読んでいるみなさんの中にも、入社して数年後にはそうやって悩む人が出てくるでしょう。そんなときのために、キャリア形成には2つのタイプがあることをお伝しておきましょう。
◆頂を目指す「登山型」/穏やかに回る「トレッキング」型
もし、あなたが職業人として一心不乱に没頭できるキャリア上の目標像・到達点が確固とあり、そこに邁進しているのであれば、それはとても幸福な働き人です。どんどん突き進めばよい。しかし、世の中には、そういった明確な目標が見出せない人のほうが圧倒的に多いものです。特に会社員の場合は、自分の配属は自分で決めることができず、中長期の目標を見出しづらい存在です。しかし、このことにめげる必要はまったくありません。山の楽しみ方に、「登山」と「トレッキング」というタイプがあるように、キャリアにもこの2つのタイプがあるからです。
登山の場合、目標はただ一つ「登頂」です。その結果を得るためにあらゆる努力をしていく。頂を目指す途中、道草はしない。
つまり、「登山型のキャリア」とは、「プロ野球選手になってホームラン王をとる!」とか「弁護士になって多くの人を助けたい!」、あるいは「新薬開発の先進企業に入ってガンの治療薬をつくりたい!」「この会社でNo.1の営業マンになる!」などのように、唯一絶対の頂上を決めて脇目も振らずそこを目指すキャリアです。
他方、トレッキングの場合は、登頂のように明確な目標をあらかじめ掲げるわけではありません。山の中を回遊して、何か自分のお気に入りの場所を探すというその活動自体を楽しみにするものです。途中でたまたま見つけた滝や池が気に入れば、しばらくそこにたたずんでその居心地を楽しめばいいし、道端に咲く植物をいろいろと観察しながら時間をかけて歩くのもいいでしょう。そうした過程で山の奥深い細かなものがさまざま見えてくる。
すなわち、「トレッキング型」のキャリアは、「自分は絶対ここを目指すぞ」というような目標は思い浮かべていない(浮かべられない)けれども、会社内でいろいろな部署を経験したり、場合によっては転職したりして、働く環境を変えつつキャリアを形成していくスタイルです。あるときは営業現場で商品を売ることの楽しみや苦労を知ったり、あるときは企画部門で新しいアイデアを打ち出すことの奥深さや大変さを知ったり。また、業界を越えて転職したときなどは、業界ごとで仕事に対する考え方がこんなに違うんだ、と感じることもあるかもしれません。
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そうしてトレッキングを続けていくと、しだいに山のことがわかってきて、体力や技術もついてくる。すると自分の登りたい山が見えてきて、その頂上に挑戦したいなと思えるときがやってくるかもしれない。そのときが「登山型キャリア」への転換点です。ですから、「いま何を目指してよいかわからない」という人に対し私は、あせらずトレッキングを楽しむことでいいのではと答えています。
私自身も、20代、30代はトレッキング型でした。メーカーや出版社など数社を渡り、さまざまな仕事を経験しました。そして40代になって、人財教育事業という山がすーっと見えたのです。「これをライフワークにしたい。この道を自分なりに究めたい」と思い、独立しました。だから、いまはどっぷり登山型のキャリアです。私がいま見つめている頂上は、「働くとは何か?の第一級の翻訳者になる!」「100年読まれ続ける本を著す」です。そこを目指し、日々、険しい岩斜面にはいつくばって一歩一歩登っています。
登山型とトレッキング型とで、どちらがよいかわるいかという問題ではありません。人それぞれでいいと思いますし、一人の人間の中でも人生の状況によってどちらを選ぶかが変わってきます。ただ、ハイリスク・ハイリターンという意味では、登山型は危険が大きい分、達成したときの喜びも成長も大きいといえます。そして何より自分の強い意志で見出した頂上を目指すわけですから、人生の醍醐味がそこにはあります。
いずれにせよ、働くことという山は巨大で奥深く、さまざまな楽しみも試練も内包しています。登っても登っても、歩いても歩いても、そこから得るものには限りがありません。みなさんはいよいよこの山の中に入っていきます。おおいに山に育んでもらってください。
では、みなさんお一人お一人のご活躍を期待しています。いつかどこかでお会いしましょう!