聖☆おにいさん(1)

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ここ数年「宗教ギャグ漫画」がジワジワと人気を集めているのはご存知でしょうか?
2013年の5月に映画公開もされた、中村光さん作の『聖☆おにいさん』はその代表的なものだと思います。

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『聖☆おにいさん』は目覚めた人「ブッダ」と神の子「イエス」が東京・立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごすという異色の日常コメディ漫画です。

お金に細かいブッダと、しょこたん以上に驚異的な速度でブログを更新しているイエスの「最聖」コンビはほのぼのとしていて、とても魅力的です。

こちらの漫画、フランスでは翻訳出版されているのですが、宗教に寛容な日本人には受け入れられても、「恐らく国外持ち出し禁止だろうな……」という、ある意味危険な何かを感じさせる一面も持っているように思います。

「異なる宗教を信仰する者同士が仲良く暮らし、お互いに助け合って生活していくことは、やはり日本独特の考え方なのだろうか?」

この謎が非常に気になったので、筆者は母校でもある、同志社大学神学部の関谷直人教授にお話を伺いに参りました。

筆者:「先生、お久しぶりです。今回は『聖☆おにいさん』という漫画についてお話をしたくて参りました。

私が神学部に在籍していた時は、様々な宗教を信仰する生徒が神学部で学んでいて、それでいて皆仲良く助け合っていたので、こういった漫画はアリだな〜と思って楽しんで読んでいたのですが、このように「他宗教の人の価値観を受け入れて、その上で自分の信じる宗教を信仰する」という考え方は、日本独特のものなのでしょうか?キリスト教の中でもカトリックではこの考え方は認めない……ということはあるのでしょうか?」

教授:「仏教徒や神道を信仰している日本人は一般に他宗教に対して寛容です。しかし、日本人の一%に満たないキリスト教徒は必ずしもそれほど他の宗教に寛容とは言えないかもしれません。特にプロテスタントは聖書中心主義です。「聖書に書いてあることを唯一の規範」とする考え方ですよね。もちろん一神教の一つですから自分たちが信じている神以外の「神」を拝むことは偶像礼拝として退ける傾向があります。

ですから、例えば、地蔵盆に参加したり、おみこしを担ぐこと、仏式のお葬儀でのご焼香なども、キリスト教信者の中には「とんでもない!」と考える人もいます。そういう方々にとっては、聖書ネタのパロディなんて、論外だということになるでしょう。

ただ、正確にいうと、そこには幅があります。日本のキリスト教徒の中には他宗教に対して、寛容な人もいれば、厳しい人もいる。
それはどこの国でも同じだと思います。

それに、これは意外に思われるかも知れませんが、どちらかと言えば「カトリック」の方が他宗教の「実践」に対して寛容なところがあります。多くの場合、そうした「実践」を一つの文化的習慣と捉えて、それを自分たちの世界に取り込む傾向があるのですよ。例えば、カトリックの世界では「座禅」を自分たちの信仰の養いの一つ方法として取り入れている所もありますから。

日本の仏教や神道は、その点でさらに寛容なところがあります。一神教であるユダヤ教やキリスト教、イスラム教のように、この世界を創造した「唯一神」を排他的に信仰するというところが日本の宗教には希薄です。神道は特に儀礼を中心とした実践主義的な宗教ですし、「八百万の神」となれば、「どんな神様であれ、加わってくれるのであれば悪いことではない」ということになります。

お寺さんの中には、子どもたちを集めてクリスマス会を行っているところもあると聞きます。こうした信仰を持つ方々は、友人のキリスト教徒の人が亡くなれば教会でのお葬式に参列してくださるでしょうし、キリスト教葬儀の習慣の一つである献花もしてくれるでしょう。」

教授はこんな風に答えて下さいました。筆者は勉強不足だったため、想像していた考えと真逆で、とても驚きました。

世界を見ると、ほとんどの国が宗教国家です。アメリカでは、大統領就任式で、左手を聖書において宣誓する。ヨーロッパでも生まれた子どもの多くは、幼児洗礼を受けます。

そのため、宗教色の強い他国では「宗教ギャグ」が描かれている漫画を読む、ということは今もかなり厳しい状況にあるように思います。

教授:「(漫画をめくりながら)でもこの宗教ネタ、特にキリスト教の方は、日本では元ネタがわからない人も多いのでは?※1「石をパンに」とか※2「三度もわたしを知らないと言ったなー!!」とか……。雰囲気で楽しんでいる人も多いと思うのですが。ヨーロッパに行くと、今度は逆に仏教ネタの方がわからなかったり……ということがあるかもしれませんね。」

(※1 イエスが四十日四十夜の断食を経験した直後、空腹を覚えると悪魔が現れ「石をパンに変えたらどうだ」と誘惑した。イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と返した。ちなみにイエスは水をぶどう酒に変えたり、5つのパンと2匹の魚の量を増やし、5000人を満腹にしたことがある)

(※2 イエスの弟子ペトロは最後の晩餐のとき「鶏が鳴く前にあなたは三度私を知らないというだろう」と言われていた。ペトロは「絶対にそんなことはしない」と激しく言い寄ったが、イエスが逮捕されて問い詰められると、三度も「イエスなんて知らない」と言ってしまう。そしてちょうどそのとき鶏が鳴き、ペトロも予言を思い出して泣いた)

確かにそうです。日本人でも、詳しい意味はわからず、雰囲気で本編を楽しんでいる読者も多いかもしれません。

ですが、日本人は「子どもが生まれたら神社にお宮参り、結婚式は教会で、お葬式はお寺で……」ということを当たり前に行う民族でもあります。無神論者の人が多くても、宗教観が薄いとは一概には言えません。

『聖☆おにいさん』の漫画をきっかけに、八百万の神を信仰する日本人が、仏教やキリスト教の教えを知り、日本人の宗教観について考えるきっかけになれば、それは素敵なことのように思います。宗教を知ることによって、歴史や文化のあらゆる背景にあるものが見えてきます。ぜひ、『聖☆おにいさん』など宗教漫画を読んで、そういったことに少しでも思いを巡らせていただければ嬉しいです。