『フード左翼とフード右翼』書影
近年二極化する食のトレンドから、消費行動から透けて見える政治意識を浮き彫りにする人気ライター速水健朗氏の意欲作。

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今日は、新年からがんばっている自分自身へのご褒美ランチを食べるとする。さてあなたならどちらを選ぶ?

A ラーメン二郎の大豚ダブル
B 契約農場で育てた有機野菜のバーニャカウダが名物のマクロビレストラン

ほほう、迷わずA)を選んだあなたのフード的な政治意識が明白に透けて見えてきましたよ。

いきなり何を言っているんだ? そもそも二つの選択肢が何のことを言っているのかもわからないぞ、ってそれもそうだ。

ラーメン二郎は東京・三田に本店を構えるデカ盛りの元祖的ラーメン屋。大豚ダブルとは大盛りでチャーシューの量を倍にしたもの。興味ある方は画像検索して欲しいが、豚の背脂が付着したあり得ない量のチャーシューと野菜が積み重ねられた様子は、圧巻を通り越してどこか神々しくさえある。その霊力に魅せられたマニアはジロリアンと呼ばれるほどだ。

一方Bは、耳慣れない単語のバーニャカウダ。これはイタリア・ピエモンテ州の料理で野菜をオリーブオイル、ニンニク、アンチョビベースの熱いソースに浸けて食べるもの。要は“オサレ野菜スティック”だ。マクロビとはマクロビオティックの略で、菜食をベースとする食のスタイル。思想性も強いためカルト扱いをする人も多いが、国内外問わずセレブリティーの信奉者は多い。

さて改めてあなたのご褒美ランチは(A)ラーメン二郎?それとも(B)マクロビレストラン?

「食べ盛りの男子ならAだろうし、女の子ならBが多いんじゃない?」「いや、オレ意外とマクロビ興味あるんだよね」「二郎って中毒性があるから、ときどき無性に食べたくなっちゃうのよ」

これをネタに友だちとワイワイガヤガヤするのも悪くはない。だが、Aを選ぶ人とBを選ぶ人の間に想像以上に大きな政治意識的断絶があると指摘する本『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(速水健朗著:朝日新書)が今話題だ。

右翼左翼など剣呑な言葉が使われているが、この本で語られるフード左翼右翼とはどういったものなのだろうか?

「『フード左翼』というのは僕が作った造語で、工業化してしまった食を農業の側に取り戻して、安心安全を取り戻そうとする人たちです。『フード右翼』は基本的にはその対抗軸として存在しています」

語ってくれたのは著者で人気ライターの速水健朗さん。同書では「フード左翼」の特徴として「オーガニック・自然派」「健康志向」「ファーマーズマーケット」「ベジレストラン」などの単語が挙げられており、対する「フード右翼」は「化学肥料・農薬」「ジャンク志向」「近所のスーパー」「ファミレス・ファストフード」と対比させている。

ということは冒頭の設問はAを選んだ人はフード右翼寄りで、Bを選んだ人はフード左翼寄りということか。

本の中でも指摘されているように、一昔前はティラミス、ナタデココ、もつ鍋などのように日本人が皆飛びつきブームになったものが多かったが、同じ最近のブームでもドカ盛りとマクロビは正反対だ。

「近年、食の消費環境の選択肢が増えたことによって、努力をすれば質のいいものが比較的容易に手に入るようになりました。それにともないオーガニックなど食の理想を追求する人たちが増え、違いが浮き彫りになってきました」

しかし食の好みで左翼と右翼とに分けることにどんな意味があるのだろうか。不要な対立を煽るだけでは?

「中身を読まずにタイトルだけを見た人からそのような意見をよくもらうのですが、この本ではむしろ右左のレッテルを貼って対立軸を明確にすることこそが目的です。日本は政治対立を避けるような文化がありますが、立場と利益をはっきりさせないと議論もしようがないですから。もっとも左翼だ、右翼だとレッテルを貼られるのは僕も嫌ですから、最近はフードレフト、フードライトと呼ぶことを提唱してます。そう呼ぶと何となくカッコイイでしょ(笑)」

立場のマッピングこそが大切だというだけあり、序章でいきなり食のマトリクスが提示されている。縦軸上下に「健康志向」と「ジャンク志向(安さ・量重視)」が取られ、横軸左右に「地域主義」と「グローバリズム」が置かれている。マトリックスの左上に位置するのがフード左翼で、右下にくるのがフード右翼だ。中には「地産地消」「ジャンクフード」「ご当地ラーメン」「ベジタリアン」「B級グルメ」「フェアトレード」などの言葉が配されており、眺めながら自分はどこに位置するのかを考えるだけでも楽しい。

しかしこの本、ただ人を類型化して楽しむだけのものではなさそうだ。フード左翼の変遷を歴史とその背景にある思想を含めて丁寧に追っている。たとえば「スローフード運動」という言葉自体は聞いたことがある人も多いだろうが、それが1980年代にイタリアの左派系運動から始まったということを知っている人は意外と少ないだろう。また日本ではあまり報じられることがないが、モンサントという世界的バイオ化学メーカーをめぐる種子の問題についてもきちっと言及している。それでいて決してフード左翼に肩入れしているわけでもない。

「有機農業だけでは世界の人口は養えないですし、逆に安くて大量に生産されるフードライト的な食は『食の民主化』に寄与していると言えます」

それではなぜわざわざこのような対立軸を持ち出しているのだろう?

「日本では冷戦終焉から20年も経っているのに、政党レベルでの再編が行われません。二大政党制を導入しても結局まったく同じ政策しか出てこないですし。その中、アメリカのように都市型の政治意識と農村型の政治意識の対立というのが一つの現実的な可能性だと思います。そしてそういう意識は食の選択という日常的な消費行動にも出てくるということをはっきりさせたかったんです。消費者としての立場が実は政治意識を決定づけています」

なるほど、TPPなど難しい問題を持ち出すまでもなく、冒頭の設問にさえその人のもつ政治意識が滲み出てくるというわけだ。

本書で描かれているフード左翼勃興の歴史を「理想的な食の未来につながる動き」と思うか「意識の高い都市リベラルの独善」として反感を持つかで自分の政治意識がつまびらかになってくる。それを自覚した上で、序章のマトリックスを見返すのも面白い。

また有機農法や遺伝子組み換え作物など食にまつわる論点を挙げていると同時に、バイオテクノロジーのオープンソース化など食にまつわる興味深いソリューションの可能性も提示しているのは勉強になる。

みんな何かを食べて生きている。そして食べる度に何らかの選択をしている。たまには自分がどういう食べ物を選ぶのかに自覚的になって、そこから自分の政治意識を考えてみるのも面白いかもしれない。
(鶴賀太郎)