国会議員が「悲劇の母親」!?、ヤフオク好きな首相補佐官、オコゲはゲイにつく女? 【文春vs新潮 vol.27】

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[文春]野田聖子は『悲劇の母親』なのか」。フジテレビ系で1月21日に放送された「私は母になりたかった〜野田聖子 愛するわが子との411日」に異論が続出しているという記事である。筆者も観たが、たしかに違和感を抱く内容であった。野田さんはアメリカの女性から卵子の提供を受けた上で、交際中の男性の精子とその卵子とを体外受精させた。その受精卵が「野田氏の子宮で着床し、妊娠」した結果、多くの障害を持つ子どもが生まれたのだ。

産婦人科医の打出喜義さんが記事のなかで、筆者が抱いた違和の原因を解説してくれている。「野田さんは国会議員でありながら。国民に対して法を作りその法を守れと言うべき立場の人。ところが、自己責任や自由を盾にして、国内では認められない卵子提供をアメリカで受けてきた。個人の自由は尊重されなければなりませんが、自由は義務を伴うもの。“ルールに従う”という義務を立法府にいる彼女が守らずに、どんな意図で密着取材を依頼したのでしょうか」。

野田さんが政治家であること以外にも、違和の原因があると打出さんは続ける。「赤ちゃんが多くの障害を乗り越えて頑張っている姿には心よりエールを送りますが、その前段階の卵子提供の是非や高齢出産の危険性などの問題について、なぜだか番組で触れられていない。自分のエゴを押し通した結果、赤ちゃんが大変な目に遭っているという意見もあります」。

作家の佐藤愛子さんも、記事でやんわりと野田さんを批判している。まず、「私などの世代は生まれてこの方、この世には人間の力ではどうにもならないこと、抵抗してもしようがない、抵抗したくてもできないことがたくさんあって、その前には人間は無力だという事実を受け容れてきました」と述べる。さらに、医学の進歩により「子供は授かり物ではなく『作るもの』」になったことや整形で顔や身体を変えること、さらには死期まで引き延ばすことができるようになったことを取り上げる。

その上で、「欲望を充足させることは幸福のひとつに違いないでしょうが、それに馴れていくと欲望はだんだん膨張して、あれも、これも、もっともっと、という具合になっていく」と語る。そして、「欲望というものはあり過ぎても困るし、なくても困るむずかしいものだと思います。人間の欲望によって文明は進歩してきたのでしょうが、物質文明の進歩は私たちが大切にしてきたもの、大切にしなければならないものを見失わせる危険があるのではないか?」と野田さんの振る舞いに釘を刺している。


子どもができない夫婦が「卵子提供」や「代理出産」という道を選択することについては、賛否両論がある。いずれも日本では禁止されており、その理由は出産時のリスクや子どもの出自をどうするのかといったものである。だが、筆者がもっとも問題だと思うのは、精子や卵子をやりとりしたり、第三者の子どもを出産することにより発生するであろう「金銭のやりとり」だ。臓器売買が禁止されているのは、佐藤さんがいうように「欲望がだんだん膨張して」、自分の身体をパーツとして切り売りする人や、それを平気で買ってしまう人が出てくる可能性を否定できないからである。

身体の切り売りを黙認するのか否定するのか。それは、私たちの「倫理」にかかっていると思う。生まれた子どもにどうこう言うつもりは全くないが、野田さんの振る舞いに対する筆者の違和感は、倫理的に微妙な問題である「卵子提供による出産」を、あたかも自分は正しいことをしていると言わんばかりにテレビの電波で全国に流していた点にあったといえよう。はっきりいってあの番組は、単に野田さんの自己愛を表現するものだと視聴者に受けとられても仕方がないのでは。

[新潮]「ネットオークション三昧の『バカ首相補佐官』」。こちらも国会議員の話である。野田首相の政策運営と国会対策を担当する手塚仁雄秘書官が、ヤフーオークションの競売に熱心とのこと。自らも出品しているのだが、出品するモノの写真撮影や出荷作業などを秘書にやらせているというのだからあきれる。かつ、添付された写真のなかには、あきらかに議員会館内で撮影されたものもあるらしい。

新潮の取材に対して手塚さんは「何が悪いんですか」とか「僕の政治活動以外のことを秘書にやらせちゃいけないの?」などと開き直っている。たしかに違法行為をしているわけではないものの、「国会議員」が「秘書」を使って「議員会館」の中でヤフオクに参加するのはいただけない。自宅でやればいいじゃん、ねえ。

[文春]グラビアと記事で「凶悪ゲイストーカー放火殺人犯の『素顔』」を追っている。東京と山形で起きた2件の放火事件。いずれも浅山克己とその妻・小夕里の犯行であったことがあきらかになった。浅山はゲイであり、放火した家は、浅山が付き合ったことのある男性たちの親の家なのであった。つまり放火の理由は、別れた彼氏たちへの未練もしくは怨恨ということになろう。ねじれた事件である。

不思議なのは、ゲイの浅山に妻がいることだ。「彼女はいわゆる“オコゲ”なの。オカマにくっつく女のことよ」と名古屋のゲイバーのママが記事で解説している。ほう、「オコゲ」というジャンルがあるのか。愛にいろいろな形があることは、47年も生きていれば理解しているつもりだった。しかし、さすがに「オコゲ」は知らなかった……。とはいえ、ゲイに女性がくっついて、どんなメリットがあるのだろうか。

[新潮]「『日教組』を野放しにする『最高裁』と『野田政権』」。執筆は、ヤンキー先生こと義家弘介さん。最高裁が下した「君が代訴訟」の判決にいちゃもんをつけ、沖縄県での教科書採択問題や学校現場での「過激な性教育」などを批判。ようはいろいろな理由をつけて「日教組、憎し」と述べているだけなのだ。

たしかに、組合運動が衰退するなかで、日教組という組織そのものの存在意義は問われてよいと思う。一部の「左翼的」な考え方を持つ人々にも、時代遅れな感じを持たざるを得ない。だが、元「ヤンキー」であり、北星学園余市高校の教師だという経歴でその存在に興味を持った人物が、教育委員になり、国会議員になり、「亡国教育」と称して犬の遠吠えのごとく日教組を批判し続けている姿を見るのはいたたまれないものがある。

[その他]文春に「本当に真っ当な『源泉かけ流しの宿』66」という特集が組まれている。それくらい、「源泉かけ流し」をうたいながらそうではない温泉が多いと言うことか。同じく文春の「言うまいと思えど寒し『冬ドラマ』」。あいもかわらず今井舞さんが今期のドラマをぶった斬っているが、ほとんどがドラマの輪郭をなぞって文句をつけるだけのものであり、つまらない。新潮のグラビアは「カンボジアの大地を救う 地雷に挑む」。いまだに消えない戦乱の傷跡。結局、戦乱のあとに生きる人々にツケがまわってくる。

今週は、両誌ともに興味深い記事が多かったので引き分け。

【これまでの取り組み結果】

 文春:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 新潮:☆☆☆☆☆



(谷川 茂)