『鉄道員』高倉健さんと共演した中本賢

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「幼いころから浅草で映画のロケを見て“あっちの世界に行きたい”と憧れを持っていてね。だから、地区でいちばん大きな東映の映画館に『鉄道員』の看板が掲げられたときは感激しました。高倉健さんを筆頭に、志村けんさん、中本賢の“けん”が3つもあって夢のようでした」

こう語るのは、中本賢さん(70)。映画人にとって、高倉健さんは特別な存在だったと振り返る。

「『鉄道員』の仕事が決まったとき、同じ事務所だった石倉(三郎)さんから自宅に電話がかかってきました。ふだんからすごく仲がよかったのだけど、このときばかりは『テメエ! この野郎、俺を差し置いて、なんで健さんと一緒にやるんだ、バカヤロー』って、いきなり怒られましてね(笑)。相当悔しかったみたいですけど、健さんはそれほどの存在なんです」

撮影現場の雰囲気も特別だった。

「健さんは衣装にシワが入らないように、撮影所では座らないので、椅子は一つもありませんでした。しかも、優しそうな感じではない人たちがドワーッと大勢いて、ただ見守っているんです。『鉄道員』は、健さんが何十年ぶりかに東映に帰ってきた作品だったから、会社的にもお祭りだったんです。

すでに監督としてデビューしているような人も、健さんの映画でカチンコ打ちたいって助監督やるわけです。しかも感極まって、カチンコ持ちながら泣くんです。泣き散らかしている顔の前で、芝居なんかできないですよね。でも、その気持ちもよくわかるんです」

志村けんさんは、1日だけ、北海道の幌舞駅のロケに参加した。

「食堂で顔を合わせたら、ボクの元芸名(アパッチけん)で呼んできて『アパッチ、オレら“けん”だけど、何て呼べばいいんだ』って冗談言っていました。でも、『どうすればいいんだよ』『セリフ言えれば大丈夫ですよ』『いや、俺初めてだし困ったよ』って、もう相当ビビってました」

それはベテラン俳優の小林稔侍も同じ。高倉さん演じる乙松が亡くなり、電車で送り出す際、小林が涙するラストシーンを撮影するときだ。

「出番がないのに、健さんが見学にいらっしゃって、ボクらの芝居を見ているんです。稔侍さんもすごく緊張しちゃって『アパッチ、ちょっと来て。練習してくれ』と、何十回も練習させられる。そのうち、何を演じているのかわからなくなるんです。『稔侍さん、いい加減にしてくださいよ』とか言いながら、なんとかやったんですね」

高倉健さんを中心とした映画の世界があったのだ。

【PROFILE】

なかもと・けん

’56年生まれ、東京都出身。’75年から「ザ・ハンダース」のメンバーとして活躍。’90年以降は俳優として数多くの映画、ドラマに出演。ドキュメンタリー映画「賢き川」が’27年1月より東劇などで公開予定。