阪神が球団初セ・リーグ連覇 藤川球児監督は号泣 石井アキレス腱断裂、近本骨折乗り越え巨人とのデッドヒート制す 1リーグ時代以来88年ぶりV2
優勝マジックを「1」としていた阪神が12度目(1リーグ時代の4度を含む)の優勝を決め、球団史上初のセ・リーグ連覇を成し遂げた。デーゲームで広島に敗れたが、ナイターでマジック対象の巨人が敗れた。1リーグ時代を含めても、連続優勝は1937年秋、38年春以来、88年ぶり2度目の快挙。藤川球児監督(46)は史上5人目、投手出身ではプロ野球初の就任から2年連続頂点に立った指揮官となった。
苦しんだ分だけ、優勝の歓喜は格別だ。球団史上初のセ・リーグ連覇。1リーグ時代を含めても88年ぶりのV2を達成した。広島県内で取材に応じた藤川監督は、涙を浮かべ、言葉に詰まりながら「良かったです」「ハイパフォーマンスの選手が苦しんだことがあったので、とにかく選手を守るというのが一番」とかみ締めた。
初の監督就任からの2連覇は、藤本定義(巨人)、森祇晶(西武)、中嶋聡(オリックス)、小久保裕紀(ソフトバンク)に続いて5人目の快挙で、投手出身では初の偉業。91年に及ぶ阪神タイガースの歩みでも、ひときわ輝く勲章を手にした。
日本シリーズでソフトバンクに敗れた翌日の昨年10月31日。大阪・野田の電鉄本社でオーナー報告を終えた藤川監督は、すでに26年シーズンを見据えていた。
「今度は日本一になるための刺激を下さい。でも、他のセ・リーグ5球団もリーグ優勝をするためにもうチームづくりをしています。また一歩ずつです」
昨年は2位・DeNAに13ゲーム差をつけた独走V。リーグ屈指の戦力を誇り、今季もペナントレースの最右翼とみられていたが、現実は厳しかった。昨季、50試合連続無失点のプロ野球記録を打ち立てた中継ぎエースの石井が2月のキャンプで左アキレス腱(けん)を断裂。3月のWBCを辞退し、復帰はシーズン終盤の9月にまでずれ込んだ。
「石井大智という素晴らしいアスリートが歩みを止めてしまったことに深い悲しみはありますが、チームとしては常にそういうことがある。戦力がダウンしたと思っていない」。指揮官は強がったが、開幕前から当初の構想に狂いが生じてた。
シーズン序盤は順調に白星を重ねたものの、4月下旬に近本が死球を受けて左手首を骨折。パ・リーグ相手には6勝12敗と大きく負け越した。交流戦終了時点では、貯金5で首位・巨人に0・5ゲーム差の2位。前評判ほどのスタートダッシュを切れなかった。
だが、巨人相手に無類の強さを見せつけた。特に8月の直接対決は6戦全勝。9月に再びゲーム差を詰められたが、何とか逃げ切った。阪神1位、巨人2位は2リーグ分立後では初めての快挙だ。
打線では4番・佐藤が打撃の主要3部門でトップを走る活躍を見せ、森下も負けじと追いかけている。投手陣では、高橋が開幕10連勝を飾り、3か月連続の月間MVPを獲得。石井離脱で不安のあったリリーフ陣も、木下、工藤の160キロコンビら若手が台頭してきた。
シーズン終盤に藤川監督は優勝争いについて「修羅の道だなと思いますね。普通の人が歩く道ではない」と独特の言い回しで苦しい胸の内を吐露した。重圧を乗り越えた先につかんだセ・リーグのペナント。この勢いで3年ぶりの日本一に突き進む。
◆藤川 球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年7月21日、高知市生まれ。46歳。高知商から98年ドラフト1位で阪神入団。2005年にプロ野球新80登板、07年は同46セーブ(ともに当時)。12年に報知新聞社制定「第14回ゴールデンスピリット賞」受賞。同年オフにカブスに移籍し、レンジャーズを経て15年6月に四国IL・高知入団。同年オフ阪神復帰。20年に引退後は球団本部付SAなどを務め、24年10月に監督就任。NPB782登板で60勝38敗243セーブ、防御率2・08。MLB29登板1勝1敗2セーブ、防御率5・74。右投左打。
