皇居三の丸尚蔵館がグランドオープン…「国立博物館と思えないほど小ぢんまり」した展示館が「令和の正倉院」に生まれ変わるまで
皇居の東御苑にある皇居三の丸尚蔵館が、11月3日にグランドオープンを迎えることとなり、9月4日に大展示室が公開された。小規模なギャラリーレベルの展示スペースしかなかった脆弱な旧施設からリニューアル。元の8倍の広さの展示会場を有する“正真正銘”の博物館に生まれ変わる。宮内庁関係者は「これからが『令和の正倉院』としての再スタートです」と意気込んでいる。
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遺品のための宝物庫
三の丸尚蔵館は昭和天皇が崩御した1989年、香淳皇后と即位後間もない上皇陛下が、昭和天皇へと代々受け継がれてきた絵画や書、工芸品などの遺品を国に寄贈したことから、保存と公開を目的に1993年に開館した。

その後も旧秩父宮家や旧高松宮家、三笠宮家からの寄贈品が加わり、現在では国宝10件と重要文化財13件を含む、計6300件を収蔵している国立の博物館だ。国立博物館は東京、京都、奈良、九州の各国立博物館と合わせて5か所しかないが、これまでは160平方メートルという「国立の博物館とは思えない、しょぼい展示室」(元学芸員)だけの“倉庫的性格”の強い施設だった。
一方、正倉院は756(天平勝宝8)年に光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺へ献納したことをきっかけに、それらを収蔵するため759(天平宝字3)年までに建設されたもの。献納された貴重な品々を伝え残すため、東大寺境内に高床式で校倉造[あぜくらづくり]の「宝物庫」として、この正倉院が建てられた。
前出の宮内庁関係者は「正倉院は歴史的建造物として、当然ながら国宝に指定されており、1998年には『古都奈良の文化財』の構成資産の一つとして世界文化遺産にも登録されているので、展示施設としてはもちろん使用できません」と説明した上で、こう話す。
「建物を文化財として保護する一方で、天皇家に受け継がれてきた貴重な国の資産を国民の鑑賞に供するのは当然のこととして、毎年秋の2か月間、奈良国立博物館に場所を移して『正倉院展』が開催されているのです」
正倉院展には昨年の秋、高円宮妃久子さまが足を運び、宝物の数々を鑑賞されている。また同時期、東京の上野の森美術館で開催された関連デジタル展「正倉院 THE SHOW」を秋篠宮家の次女・佳子さまが鑑賞された。多忙を極める天皇陛下は即位後、まだ正倉院展を訪れる機会を得ていないが、2024年1月23日には皇后陛下と連れ立って東京・渋谷の明治神宮ミュージアムへ赴き、特別展『正倉院宝物を受け継ぐ-明治天皇に始まる宝物模造の歴史-』を熱心に鑑賞されている。会場では人間国宝らによって精巧に再現された「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」の模造作品をご覧になり、伝統技術の継承について説明を受けられた。
前述の通り、皇居三の丸尚蔵館は建て替えによって展示スペースを8倍の1280平方メートルに増床。2019年から始まった工事は期に分けられ、23年11月に第1期工事が終わり、展示室1、2のみで「一部開館」という形式から営業を始めていた。第2期工事が全て完了したため、11月からは全体の面積の半分(610平方メートル)を占める展示室3の使用が、いよいよ開始されることとなった。
反発した右翼が発砲
「そもそも三の丸尚蔵館が誕生した背景には、複雑な事情があるのです」
宮内庁元幹部は、そう語る。昭和天皇崩御から暫く経った1989(平成元)年5月2日、読売新聞が朝刊の一面で昭和天皇の総額20億円に上る資産に、国税当局が一般国民と同様、香淳皇后と上皇陛下を相続対象とする課税を行う方針であることをスクープ。一般国民は天皇の遺産にも巨額の相続税が課されるという、前例のないニュースに驚くとともに「課税は当然」との見解と「不敬だ」との意見が正面からぶつかる事態となった。
8月16日には、課税の実施に憤慨した右翼団体メンバーの男が、御所のある皇居を管轄する麹町税務署に乱入。「課税の中止」を訴えて署内で拳銃を天井に向けて発砲し、そのまま立てこもるというテロ事件を起こした。男は直後に逮捕されたが、課税は5日後の同21日に公示され、配偶者控除が適用された香淳皇后は非課税となったものの、上皇陛下は4億2800万円を納税することとなったのだ。
「相続税法上、三種の神器や宮中三殿など『皇位とともに伝わるべき由緒ある物(御由緒物)』は非課税と定められています。ですが、皇室に代々受け継がれてきた絵画や書、工芸品などの膨大な美術品や文化財、献上品などは“天皇個人の私有財産”とみなされ、原則課税対象とされたそうです」(前出・宮内庁幹部)
納税作業は宮内庁が代行。無事納付が行われたが、
「伊藤若冲の《動植綵絵》などは他に類を見ない至宝で、市場価格での評価は極めて困難だったそうです。初めから分かっていたことですが、皇室伝来の宝物は財産評価が困難であり、さらに納税のために美術品を売却したり物納したりすれば、歴史的文化財が散逸してしまう危険性も大変高いことが、つまびらかになったということなのです」(同)
私有財産を国に寄贈
そこで“考案”されたのが、国への寄贈による「非私有財産化」だったのだ。香淳皇后と上皇陛下は翌6月、手元に残す一部の品を除いた3000件、計6000点の美術品を国庫に一括寄贈。これを保管するための宝物庫として建造されたのが、三の丸尚蔵館だった。
「ただし、ただの宝物倉庫では管理のための予算が宮内庁をかなり圧迫します。ですが博物館にして、一般公開する機会を設ければ、実態のある博物館として正当に別枠で予算がもらえるわけです。開かれた皇室をPRし、皇室伝来の宝物を国民と分かち合うという側面はありますが、それはある意味建て前でもあり、一石二鳥を狙ったわけです」(同)
こうした経緯で翌年の11月に開館したのが三の丸尚蔵館だったのだ。だが時は流れ、退位前の上皇陛下が「もっと多くの国民に鑑賞してもらいたい」との意向を強められたことから「宮内庁を中心に、三の丸尚蔵館を名実ともに博物館と言えるものにする方針が固まったのです」(同)。
余談だが、前代未聞の「天皇への課税」に最も激しく反発し、凶行に及んだ右翼団体の関係者は、その後の1994年5月30日、東京・新宿の京王プラザホテルで、首相を退陣した直後の細川護熙氏に、至近距離から天井に向け拳銃を発砲する事件を起こしている。
三の丸尚蔵館のリニューアル工事は総工費155億円に上った。宮内庁はグランドオープン当日から、無料で一般公開されている東御苑にカフェや売店などを併設した休憩所を開業すると発表している。
三の丸尚蔵館の運営は宮内庁から独立行政法人国立文化財機構に移管。カフェはコーヒー専門店の猿田彦珈琲が運営する。猿田彦とは『古事記』や『日本書紀』に登場する神の名で、天孫降臨神話の中で神武天皇の曽祖父(ひいお爺さん)のニニギノミコトが天から降りてきた際に地上で道案内をしたと伝えられる。「コーヒーの新しい道を切り開く」というビジョンに合致することから店名に採用されたものだ。
来館者の憩いの場所も用意され、「看板に偽りのないモノホン(本物)の博物館」(前出の元学芸員)に生まれ変わった皇居三の丸尚蔵館が2か月後、「令和の正倉院」として新たにスタートを切る。
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部
