永遠のマドンナ

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第86回は吉永小百合さん。多くの作品に出演し、いまも現役で活躍する大スターですが、意外な素顔を明かしてくれます。(以下、記事中の敬称略)

【貴重ショット】当時28歳、あまりに美しい吉永小百合の「ひとり婚約会見」

日仏の大女優を比較

 今回は吉永小百合(81)を取り上げるが、今年の8月7日に亡くなった岸恵子(享年93)と2014年に共著を出している。人生の大部分をパリで過ごした国際的な女優・岸と、日本を代表する女優・吉永小百合--まずは日仏の大女優を比較してみたい。

永遠のマドンナ

 横浜とパリで3回対談した本のタイトルは『歩いて行く二人』(世界文化社刊)。年齢では一回り異なる大女優二人の珍しい、そして貴重な企画である。

 出会いは吉永がラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューした1957年、ラジオ局のロビーだったとか。それは岸の映画「君の名は」(三部作、53~54年)が大ヒットし、映画監督イヴ・シャンピと結婚した年でもあった。もっとも岸の記憶では、出会いは吉永が「ガラスの中の少女」(60年)で主演デビューし、ミラノで行われた国際映画祭に出席した時だったらしい。

 二人が再び会うのは、それから26年後の映画「細雪」(83年)での共演だった。この時、吉永は38歳。本の対談が最初に行われたのは、さらにそれから26年後の09年(横浜)。そして13年にパリと横浜で行われた。

 二人が対照的なのは結婚観だ。24歳で外国人監督と結婚して世間をアッと言わせた岸に対し、吉永の結婚は日本中を巻き込んでの騒動になった。子役出身だと大人の役を演じられないと思った吉永は「一回、人間らしい生活をしないと、このまま私はダメになると思って」いたが、24歳の時には意中の人がすでに結婚したことを知ってショックを受けた。心の傷を癒すため逃れた先はパリだった。その後、フジテレビのディレクターだった岡田太郎(元共同テレビジョン社長、24年死去)と出会って73年に結婚したが……吉永はこう語る。

〈家族の大反対にあって、家出同然で結婚したんですが、あのとき決断しなかったら、本当に辛い人生だったと思います〉(前掲書より)

 興味深いのは、女優だけでなく文筆活動でも知られる岸と、国内では唯一無二の存在として映画界に君臨する吉永の社会観、生活感が異なっていること。話題は原発や尖閣諸島にも及んだ。

尖閣問題では……

 自由の国、フランスでの生活が長く、リベラルと思われがちな岸だが、原発に対しては現実的、リアリストだ。

〈今、実際にあるわけでしょう? そして、そこには人間のさまざまな叡智や努力が盛り込まれているわけじゃないですか。そして、日本の経済も原発もまったくなくしてしまったら、きっと困るんだろうと思うのね。だから、ただやみくもにダメ、あるいは逆に、続けるべきだとは私は言えないんです〉(同)

 一方の吉永。

〈私はさよなら原発にしたいんです。日本は地震がたくさんありますし〉(同)

〈経済のために原発は不可欠という発想は、私はもうやめたほうがいいと思うんです〉(同)

 尖閣諸島については吉永がこう切り出した。

〈中国といえば、尖閣諸島問題がありますよね。周恩来さんが「次の世代に委ねましょう」とおっしゃったのを、日本が国有化したために問題が起きてしまって。あれは曖昧でもいいじゃないかと私は思ってしまうんです〉(同)

 これに岸は反論する。

〈それはちょっと違うんじゃないかしら。尖閣諸島が日本の領土だと宣言したのは、確か一八九五年だった。実際に日本が実効支配していたのだし…それから七五年近くにわたって何も問題になっていなかったのに、一九六九年に国連が尖閣諸島のまわりに巨大な油田があるらしいと発表した途端にあの島は中国の領土だと言い出したように記憶しているけれど〉(同)

「近所のおばさんかと…」

 さて、本題はそんな吉永の人柄である。

 前掲書のパリと横浜での対談は吉永主演、阪本順治監督(67)「北のカナリアたち」(12年)の公開後だった。映画に合わせた監督の連載「極寒の現場から」で、吉永について話を聞くことができた。

 約8カ月間、極寒の北海道・礼文島でロケが行われた。風速20メートルの吹きさらしの中、体感気温はマイナス30度。そんな悪環境の中で連日、8時間立ちっぱなしのことも。それでも吉永は一言も「寒い」とは言わず、「寒風の中、1人でスタンバイされている姿は虚無僧のようでした」という。さらに、「煙突に登るシーンでは、登り足らないといった面持ち…崖っぷちも突端まで行こうとされるんですよ」。

 撮影に入って数カ月。出演者もスタッフも疲れが溜まっていた頃、吉永は両手でパンチを繰り出しながら雪道を走ってきたそうだ。それはいわば、吉永流のシャドーボクシング。阪本の監督デビュー作はプロボクサー、赤井英和主演「どついたるねん」。その時、吉永はパンチの動作をしながら「どついたるねん」と笑っていたとか。これに対して監督は吉本新喜劇風に仰向けにひっくり返ってみせた。監督がその一瞬で垣間見たのはプロ意識とユーモア溢れる吉永だったのではないか。

 吉永は共演者に対してはどうだったのだろうか。国民的映画「男はつらいよ」の歴代マドンナで、ベスト3に入る1人は間違いなく吉永だろう。出演したのは「柴又慕情」(9作、72年)「寅次郎恋やつれ」(74年、13作)。さくらの夫・博役でシリーズ全作に出演した前田吟(82)に、寅さんを語る連載で吉永評を伺った。

「これだけトップクラスの女優が次から次に出た作品は、後にも先にもありませんからね。そんな中でも吉永さんはスタッフの間でもウケがよかった。キレイに映ろうと思ってお化粧ばかり気にしたり、ライトの当たり方を気にしたりする女優が実は多いんだけど、現場の吉永さんは大学生が遊んでいるみたいな感じで誰にでも気さくだった。それでいてすごく華があって、しかも、庶民的なオーラもある。女優として稀有なタイプだと思います」

「ビックリするのは普段の吉永さんに会った時ですね。例えば、スタッフが亡くなったりした時。お通夜にはサングラスをかけるでもなく、ノーメークでやってきます。こんな言い方は失礼かもしれないけど、近所のおばさんかと勘違いするほど。たまに会った時なんかは平気でお久しぶりってハグしてきたりするしね。だけど、吉永小百合の吉永小百合たるゆえんはカメラが回ったら、やっぱり吉永小百合になっていることです」

 シャドーをしながら「どついたるねん」と迫ってくる吉永。お久しぶりとハグする吉永。その姿そのものが女優・吉永小百合のメッセージといえないだろうか。

峯田淳/コラムニスト
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デイリー新潮編集部