《耳が聞こえなくても誰かを助けることができたら…》「東京2020パラ開会式」出演の女優・大城桜子さんが「防災士」に転身 苦しんだ“難病による深刻な体調不良”、そして新たな一歩
「東京2020オリンピック・パラリンピック」から6年。100人のパフォーマーがスカイブルーの衣装に身を包み、美しい花火で演出された開会式が記憶に残る。その歴史的な開会式に、メインパフォーマー"手話ガールズ"の1人として出演し注目されたのが、1歳半のときに病気で聴力を失ったろう者の大城桜子(ようこ)さん(39)だった。
【写真を見る】ハンディを抱えながらも地元の人々を救いたいと奮闘する大城さん。他、「東京2020パラリンピック」開会式に出演した際の様子など
2022年にNHKの連続ドラマ『あなたのブツが、ここに』で、女優デビューを果たして話題になった大城さんだが、現在は東京からおよそ1500キロ離れた沖縄で暮らしていた。防災イベントに参加し、身体が不自由な人にアドバイスを送る大城さん。彼女に何があったのだろうか──。【前後編の前編】
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私は2024年3月に、沖縄県にある実家に戻ってきました。芸能のお仕事を辞めてしまったわけではありません。体調不良で2022年から休養しつつも、2024年に2部作のオムニバス映画『不死鳥の翼』のエピソード2『不死鳥の泉』のキャストとして、「島ぜんぶでおーきな祭 沖縄国際映画祭(現・沖縄国際文化祭)」のワールドプレミアのレッドカーペットを歩きました。しかしこれを最後に、活動休止状態になっているのです。
体調不良はコロナ禍の頃に始まりました。ひどいめまいで、1人で日常生活を送るのが困難なほどになってしまいました。ただのめまいではなく、ひどいときは眼振といって、私の意志とは関係なく眼球が左右に勝手に動いてしまい嘔吐する症状が2か月続きました。寝ているときも起きているときもずっとそういう症状が続くので、トイレの方向さえわからず、文字も手話も読めず、人と会話もできない……。
救急車を呼びたくても、スマホがどこにあるかもわからない状態でした。症状が一時的に治まっても、当時はコロナ禍で外出が難しく、買い物に行けなくて何も食べられない日もありました。
症状が治まったときに近所のいろんな病院にかかりましたが、行った先々で「原因不明」といわれました。あるとき、奈良県立医科大学付属病院の受診を勧められ、そこでようやく指定難病の「遅発性内リンパ水腫」(高度の難聴の後にめまい発作を繰り返す病気)と診断されました。お薬をいただき、ストレスをためないための生活改善もご指導いただきましたが、このままでは誰にも気づかれず、1人部屋でひっそり死んでしまうのではないかと恐ろしくなりました。それで、"10年以上、本土でがんばって走り続けてきたのだから、沖縄に一度帰ってゆっくり休もう"、と母親とも相談し帰郷することにしました。
ところが、その直後、またも原因不明の腹痛と下血が続き……半年後、ようやく「腸管子宮内膜症」(主にS状結腸・直腸の腸管壁に子宮内膜様の組織が増殖する疾患)と診断されました。
このような体調不良続きで、帰郷後の最初の1年間は出かけるのにさえ慎重になっていました。でも、家族と一緒に暮らす安心感と、周囲の温かい目に守られながら、少しずつ元気になり、今は車の運転ができるほどに回復しました。油断するとまた悪化するので、きちんとお薬を飲み、バランスの良い食事や体質改善などに務め、ストレスをためないよう注意深く暮らしています。
「災害でパニックに…」新たな一歩を踏み出す
療養しながらも、新しい仕事を始めました。去年11月、防災士の資格を取得したのです。きっかけは2024年に発生した台湾での地震。沖縄に帰ってから1か月後、台湾で大地震が起き沖縄もパニックに陥りました。島民の多くが建物の屋上に避難する事態になったのですが、家にいた私は、外の避難アナウンスやサイレンの音がまったく聞こえず、テレビにかじりついて手話通訳を見て情報を必死に拾うしかありませんでした。しかし、テレビの手話通訳はいつしかフェードアウト……。津波による避難指示は解除されていないのに、体調不良で屋上にも上がれず、屋内でただテレビにかじりつくしかありませんでした。
この体験がきっかけで、自治会に参加したり、市役所や消防署に顔を出したり、防災講座に積極的に参加したりと、体調の良い日にできるだけ出かけて、いろんな人と関わるようにしました。おかげで、たくさんの"顔が見える関係"を築くことができました。今では外を歩いたら「大城さん!」と誰かが声をかけてくれるようになり、安心して外出できるようになりました。地域の人との関わり合いの大切さを知りましたね。
本土で体調不良に苦しんでいるときも、「こんなときに地震や火災があったらどうしよう?」「どこに助けを求めたらいいんだろう?」「耳が聞こえないのに、サイレンに気付けるだろうか?」という恐怖がありました。そこから市役所や消防署、カウンセラー、耳が聞こえない友人、手話通訳者と関わるようになり、少しずつ人に頼っていいのだ、と気づきました。
こうしたことが、防災士を志すキッカケになりました。耳が聞こえなくても誰かを助けることができたら。そう思っています。沖縄は東京や大阪と比べると、防災知識や危機管理はまだまだ行き届いていませんが、今では"防災士兼災害対応教育指導"という肩書きで、地元の防災士の方と一緒に防災イベントに参加し、身体が不自由な人、そして病気治療者の立場からアドバイスさせていただいています。具体的にはテントの設営方法や防災クッキング、新聞紙でお皿やスリッパを作る方法など。私自身も勉強しながら。
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ハンディを抱えながらも地元の人々を救いたいと奮闘する大城さん。続編では「東京2020パラリンピック」開会式でのアクシデント、オーディションに300回落ち続けた過去、女優を志してウエイトレス、ホステス、ホテルの清掃員などのバイトで食い繋いで叶えた夢などを報じる。
(後編につづく)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)
