オリックスで8年、独立リーグ、台湾プロ野球を経て再び東京ドームへ 元ドラ1・吉田一将が37歳目前で見せた″投手の完成形″
流しのブルペンキャッチャー回顧録
第15回 吉田一将(マルハン北日本カンパニー)
社会人野球・マルハン北日本カンパニーの吉田一将。現在の所属を聞いて、「ああ、あの吉田投手!」とすぐにわかる方は、相当なプロ野球ファンだろう。
時計の針を13年前に巻き戻してみる。2013年のドラフト会議で、吉田はオリックスから1位指名を受けた。
吉田は青森山田高から日本大へ進み、3、4年時の東都大学リーグでの投球が評価され、JR東日本に入社。1年目からエース格として大奮闘した。都市対抗では全5試合、26イニングを投げて防御率0.69。抜群の安定感で準優勝の原動力となり、敢闘賞にあたる久慈賞と新人賞にあたる若獅子賞を同時受賞した。
2年目の都市対抗でも決勝に進出。2年連続でJX-ENEOS(現ENEOS)と相まみえた大一番では、初回から圧巻の3者連続三振で立ち上がった。
今日も快投か──。そう思われた2回、ピッチャー返しの打球が右腕を直撃し、無念の負傷降板。チームは再び準優勝に終わったが、吉田は即戦力投手の目玉として秋のドラフトを迎えることになった。

JR東日本時代の吉田一将 photo by Kyodo News
そのドラフトの少し前、吉田の全力投球を受ける機会があった。千葉県柏市にあるJR東日本グラウンドのブルペンだった。軽く投げ始めた立ち投げの初球。構えたミットの「そこ」にボールが来た。
全身のなめらかな連動。身長191センチの長身でありながら、このボディバランス。大きな体を持て余している感じがまったくない。
腰を下ろす。すると同時に、マウンドから声が飛んできた。
「カーブ、お願いします!」
おっ、カーブから投げるのか。
「腕の振り、確かめたいんで」
速球を投げる際に必要な縦の腕の振りができているか。カーブを投げることでそれを確認している。投球のメカニズムをよく理解している投手だ。
カーブを3球続けたあと、右打者のアウトローへ速球を投げ始めた。1球目から、糸を引くように地を這う。そこからスイッと伸びて、ミットに炸裂した。完璧なフォーシーム。長い中指と人差し指が、リリースの瞬間にボールの真ん中をパチッと切る。折り目正しく、鋭く滑ってくるスライダーも交えながら、およそ30球を投げ込んだ。
「ラスト2球ね!」
そう叫ぶと、「3球お願いします!」と返ってきた。
よし! 再びアウトローに構える。投げる瞬間、ミットをボール1個分、外へスッとずらしてやった。だが、ボールはずらした"そこ"へ来た。次も同じくスッとずらしたが、同じようにミットに吸い込まれた。
【社会人野球に入ってからの変化】ミスター・コンスタント──そんな称号で呼んでみると、吉田は照れくさそうな顔をした。ついさっきまでブルペンで全力投球していた形跡はまるでない。じつにフラット。そして、いい意味でクールだった。
「高校の頃から、『調子で野球するな』と言われていました。調子がよかったからいいピッチングができた、調子が悪かったからやられました、じゃあダメ。調子がよくない時にどれだけマウンドで粘れるか。それが野手の信頼になってきますから」
JR東日本に入社してからの2年間、吉田はいつも淡々と、そして確実に試合をつくってきた。
「そのとおりですね。私が知っているかぎり、吉田が打ち込まれたのを見たことはありません。先発でもリリーフでも、いつもきっちり試合をつくってきます。ブルペンより実戦のほうがよかったことは何度もありますが、ブルペンでよくて、マウンドに行ったらそれ以下、ということがないんです」
当時、吉田に寄り添って指導を続けていた山本浩司投手コーチも、そうはっきりと言いきっていた。吉田自身も、社会人野球に入ってからの変化をこう語っている。
「社会人になって、練習に入る時からモチベーションに波をつくらないようになりました。学生の時って、やらされている感というか、そういう空気ってありますよね。練習前も、練習中も、終わったあとも、いつも緊張しているみたいな。それが社会人になってメリハリのある野球生活になり、切り替えのスイッチをはっきり入れられるようになりました」
学生時代にはそれほど目立たなくても、社会人で一気に頭角を現す選手は決して少なくない。その理由のひとつに、こうした環境の変化があるのかもしれない。
「ベテラン選手の日常を見ていると、本当に勉強になります。『これさえやっておけば調子をキープできる』という、自分のスタイルみたいなものを持っていますよね」
当時のJR東日本には、片山純一(現・瀬戸内高監督)という社会人9年目の絶対的エース左腕がいた。
「片山さんは普段は30球ぐらいしか投げないのに、試合になると平気で完投できる。試合で100%の力を出すための練習が、しっかりできているように思うんです。走り込みやトレーニングも取り入れて、体そのものを強くしている。だからこそ、長く投げ続けられているんでしょうね」
【球速よりもコントロールがほしい】吉田に自身のキャッチフレーズをつけるとすれば何かと尋ねた。
「『ゲームメイク』なのかな......。相手より先に失点しないこと。もし万が一、先に取られても最少失点であること。味方が点を取った、そのあとのイニングは絶対に0で抑えること。初球のストライク率60%以上を目指してやっています。3球で1ボール2ストライクに持っていきたいので。そのなかで、両サイドは当然のこと、高めも使って、ど真ん中の変化球もあったり、初球を全力でいって、そこから徐々に引いていったり。いろいろとバリエーションをつけています」
では、野球の神様から、投手に必要なものをひとつだけもらえるとしたら?
「いつでもアウトローに投げられるコントロールがほしいですね」
即答だった。こちらが予想していたのは「プラス5キロの球速」だったが、あれだけのコントロールがありながら、さらに"精度"を求めることにちょっと驚いた。
「スライダーのコントロールとキレにはけっこう自信があるんで、まず右打者の外角低めにストレートを決める。そこからボール1個分高く、1個分内側を狙ってスライダーを投げて、ストライクゾーンからボールゾーンへ流してやれば......」
コントロールという概念の「単位」が、こちらとは違っていた。
「社会人に入って、レベルの高さにびっくりしたんです。これだけハイレベルの野球なのに、あまりメディアに取り上げられないじゃないですか。もっと目を向けてほしいと思うんです。18歳から40歳くらいまでの選手がいて、いろんなプレースタイルを持っている。アマチュア野球というと、どうしても高校野球に目が向いてしまうと思うんですけど、玄人というか、本当に野球に興味のある人は、絶対に社会人だと思うんです」
【補強選手で披露した"完成形の姿"】そんな吉田が、この夏、都市対抗で東京ドームのマウンドに戻ってきた。しかも、JR東日本東北の補強選手としての出場だったから、かつてと同じモスグリーンを基調としたユニフォームでマウンドに上がった。かつてボールを受けた者として、その勇姿を見て泣きそうになった。
オリックスで8年間プレーし、中継ぎとして実績を残した。その後は独立リーグ、さらに台湾プロ野球でも投げた。さまざまな環境を渡り歩き、苦労も重ねてきたのだろう。
そして今年、日本大の先輩でもある館山昌平監督に誘われ、マルハン北日本カンパニーの一員に加わった。スラリとした長身。品格すら感じさせるマウンドでの立ち姿。涼しげな表情。そして、オーソドックスなオーバーハンド。13年前と、何ひとつ変わっていない。
それどころか、ストレートはコンスタントに145キロ前後をマークし、最速は148キロ。しかも、プロの投手でも一線級と言える2300回転台を記録する、力強いストレート。その迫力は、若い頃をしのいでいるようにさえ見えた。
それでいて、初球からスライダーや落差の大きなカーブを外角低めいっぱいに決める。ストライク先行でカウントを整えながら、打者にプレッシャーをかけていく。
そんな高等技術を、澄ました顔でスイッとやってのける。両サイドの低め、高めへと丁寧にストライクとボールを出し入れし、勝負どころでは真ん中低めに伸びのある快速球を投げ込む。信越硬式野球クラブの打者を翻弄し、8回を8奪三振、無失点。チームの初戦突破に大きく貢献した。
磨きに磨き抜いたその精度と威力には、吉田一将という投手が歩んできた「人生」が刷り込まれているように思えた。昔と変わらない、用心深さと大胆さ。用心深さは投手の「インテリジェンス」であり、大胆さは投手の「牙」である。吉田の熱投を見ながら、そんなことをあらためて思い出した。
9月24日には37歳になる。13年前、「ミスター・コンスタント」と呼んだ右腕は、さまざまな野球人生を経て、その持ち味を失うどころか、さらに研ぎ澄ませて東京ドームへ帰ってきた。
願わくば、もう一度。プロの舞台で、この右腕の勇姿を見てみたいと思うのは、私だけではないだろう。
吉田一将(よしだ・かずまさ)/1989年9月24日生まれ。奈良県出身。青森山田高、日本大、JR東日本を経て、2013年ドラフト1位でオリックスに入団。2014年から8年間で通算226試合に登板し、18勝20敗2セーブ55ホールド、防御率3.74を記録した。オリックス退団後は新潟アルビレックスBC(現オイシックス新潟アルビレックスBC)、台湾プロ野球・台鋼ホークスを経て、2026年からマルハン北日本カンパニーに所属。同年夏の都市対抗ではJR東日本東北の補強選手として、13年ぶりに東京ドームのマウンドに立った。
安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe
